自動車業界を匠の技で支える「職人」特集。第9回はトヨタ初の本格スポーツカー「トヨタ 2000GT」を新車同様に甦らせる「レストアの匠」に話を聞く
3DプリンターやAIをはじめとするテクノロジーの進化に注目が集まる現代。だが、クルマづくりの現場では今もなお多数の「手仕事」が生かされている。
トヨタイムズでは、自動車業界を匠の技能で支える「職人」にスポットライトを当て、日本の「モノづくり」の真髄に迫る「日本のクルマづくりを支える職人たち」を特集する。
今回は「レストアの匠」、自動車整備士 岡田浩二の後編をお送りする。
第9回 伝説のスポーツカーを新車同様に甦らせる「レストアの匠」岡田浩二
トヨタメトロジック株式会社 サービス部 芝浦サービス室 整備グループ第1整備チーム 主査
幼少時からクルマとレースが好きでこの道に
では、トヨタ2000 GTのレストア作業は実際にどのような場所で、どのように行われているのか。岡田の職場のガレージでフルレストアの作業を見てみよう。
広々としたガレージに、前期型と後期型、2台のトヨタ2000 GTが並んで置かれていた。1台はオーナーから依頼を受けて整備中のもの。そしてもう1台が、レストア作業の「教科書」になる社有車。どちらも新車同様の美しさだ。
トヨタ 2000 GTのフルレストアを手掛ける「レストアの匠」岡田浩二は1966年生まれの56歳。トヨタ2000 GTとほぼ同い年だ。その作業を紹介する前に、彼がどのような経緯で自動車整備士になったのかを聞いてみよう。
「幼稚園のときからクルマ好きで、小学生4〜5年生の頃はちょうどスーパーカーブーム。クルマのプラモデル製作にも熱中して、コンテストにも出展していました。とにかくクルマに関わる仕事がしたかったんです」
自動車専門学校を経て自動車整備士となった岡田はモータースポーツも大好きだった。「だから自動車整備でもレース車両の整備がしたいと思っていました」。
そんな岡田が、自らの夢をかなえてくれる職場として1985年に入社したのが、現在のトヨタメトロジック株式会社の前身であり、トヨタのモータースポーツ車両の開発・整備を担当するトヨタ・レーシング・ディベロップメント(略称TRD)を擁しトヨタテクノクラフトである。
トヨタテクノクラフトの歴史は1954年に設立された「トヨペット整備」にまで遡る。同社は1964年に「トヨペットサービスセンター」に改称。そして翌1965年、当時日本国内で人気が高まり始めたモータースポーツ用の車両を開発・整備する「特殊開発部」が誕生する。これがTRDの直接のルーツだ。
岡田は入社後一般の整備業務のほか、WRC(世界ラリー選手権)で輝かしい成績を挙げた「セリカ」をはじめ、トヨタのさまざまなレース車両の整備や博物館の展示車両などの整備なども担当してきた。
岡田が配属されたトヨペットサービスセンターの特殊開発部は、トヨタ 2000 GTの発売前からスピードトライアル用の特殊車両や映画『007は二度死ぬ』に使われたプロトタイプのオープントップモデルの製作を担当。発売後も整備指定工場としてこのクルマと深い関わりがあった。だから入社当時からその美しい姿を見て心惹かれていたという。
当初は車体には一切触らせてもらえず、先輩の整備しているのを遠くから見ているだけだったという。しかし、入社してから2年間が過ぎた頃から、ついに岡田に“憧れのスーパーカー”を整備できるチャンスがやってきた。
“五感で整備”するトヨタ2000 GT
ここで、岡田によるトヨタ2000 GTのフルレストア作業を見ていこう。
「先輩に『まず最初にやってみろ』と言われて取り組んだのがエンジンの調整でしたから、その作業をお見せします。普通の整備ならまずエンジンテスターを使います。でもトヨタ2000 GTの場合は『テスターより五感が大切だ。音を聴いてエンジンの調子、問題の部分が分かるようになれ。体で覚えろ』と教えられました」
現代のクルマのエンジンの吸気系は、取り入れた空気の量を電子センサーで計測し、それに合わせて最適な量のガソリンを噴射して理想的な混合気を作る電子制御式だ。
だが、トヨタ2000GTの吸気系は、取り入れた空気の量に合わせて霧吹きの原理でガソリンが吸い出されて混合気をつくる、アナログなキャブレター式。それも有名なソレックス製の2連装タイプ3つをリンクで連結して同時に動かすもの。6気筒のそれぞれで燃焼の条件が微妙に変わる。その条件に合わせて「勘とコツ」でキャブレターを一つひとつ調整しなければならない。
「キャブレターの調整が1つでも不良だと、その気筒が着火しなかったり、着火しても不完全燃焼を起こしたりします。その場合はエンジン音がバラつくので、エンジンの音を聴けば、どのシリンダーが不調なのか、いち早く見つけることができるんです」
当時すでに発売から20年を超えていたトヨタ 2000 GT。岡田は、先輩のこうした指導と経験を積み重ねながらレストア技術とノウハウを身に付けていった。
「ただ1990年代からは約10年間ほど、残念ながら整備やレストアをお断りした時期もありました。交換用の部品がなくなって、きちんとした作業ができない、というのがその理由でした」
だが2008年、トヨタ2000GTを愛するオーナーズクラブの強い要望を受けて同社は、フルレストア作業を再開する。当初は現在の芝浦ではなく、横浜にあるモータースポーツ用の車両製作を担当する特殊車両の専門工場で行っていた。
「手に入らない部品も、モータースポーツ車両を製作する技術と設備、ノウハウがあるこの部署なら、社内や社外の会社に頼んで製作することもできますし、板金や塗装も社内で行えます」
フルレストア作業の最初のステップが、車両の徹底したチェックだ。
「入庫したら、走れるクルマはまず走らせて、テスターも使って、クルマの不具合を徹底的に確認します。状態により車両全体を3D計測して、ボディに歪みがないかのチェックも行います」
ここからが本格的なフルレストア作業。まず行うのが「全バラシ」とも呼ばれる徹底した分解洗浄作業だ。
「ボディやシャシーから、エンジンやトランスミッション、デファレンシャル、サスペンション、ステアリング、ブレーキなど、すべての部品をできるところまで、基本的にはネジ1本までバラバラに分解します」
ただ部品の中には、分解したら元に戻せないものもある。どこまで分解していいのか。ここで岡田の経験とノウハウが発揮される。
分解を終えたら、次はその部品がそのまま使えるのか。それとも修復が必要なのか、交換しなければいけないのか。部品を一つひとつチェックして判断する。
「使えると判断したオリジナルの部品はサンドブラストやウエットブラストの機械を使ってキレイに洗浄し、メッキや塗装が必要なら施して再び使います。使えないと判断したら、代替部品を用意するか、なければつくります。メッキや塗装を行う場合は、色までできるだけオリジナル通りにすることを心がけています」
岡田の職場には、エンジンブロックやシリンダーヘッドをそのまま洗浄できる大型の機械もある。作業台には、この機械で洗浄され、一部に塗装を施したエンジンブロックやシリンダーヘッドが、これから組み付ける予定のピストンとコンロッド(=コネクティングロッド:ピストンとクランクシャフトをつなぐエンジンの主要パーツ)、クランクシャフトとともに置かれていた。シリンダーヘッドや給排気バルブを開閉するカムシャフト、カムシャフトを駆動する歯車も新品同様に仕上げられている。
「このエンジンの場合、コンロッドはオリジナルを使いますが、ピストンやバルブは摩耗して使えなくなっていたので、これは外部の専門業者に製作を依頼して新品に交換します。注文してから2カ月ほどかかります」
「カムシャフトを駆動する歯車を見てください。たくさん穴が設けてあって、この位置でバルブタイミングを細かく調整できます。これが3Mエンジンの特長のひとつですね」
オルタネーター、スターターはオーバーホールする。運転席や助手席のシートはシート専門の業者に修復を依頼する。
ただ、フルレストアの難関のひとつが、日本楽器製造(現ヤマハ)の木工技術が活かされたウォールナットやローズウッド製のダッシュボードやステアリング。かつて日本楽器製造に修復を依頼できた。だが現在は岡田たちが修理技術を会得して自ら修復しているという。
「スチールとウッドを使ったステアリングは、長い年月が経つとウッドの部分が剥離してくるので、ウッドを継ぎ足して修理します」
その隣の作業台の上には、分解され洗浄されたリトラクタブルヘッドライトが置かれていた。もちろん交換用パーツはないが比較的頑丈だという。ただ困ってしまうのが、ヘッドライトを開閉するためのモーターが手に入らないこと。
「以前ならモーターのコイルを巻き直して修理してくれる業者さんがいたのですが、今は廃業してしまいました。今は代わりになるモーターがあるか、検討しています」
その奥の棚の中には、スピードメーターやタコメーター、時計やラジオなど、運転席のインストルメントパネルに取り付けられていた部品が奇麗に磨き上げられ、取り付けを待っていた。
さらに驚かされたのが、その横に置かれていたトヨタ2000 GTの中心部品、X型のバックボーンフレーム。ピカピカの4輪ディスクブレーキとブレーキパイプも取り付けられている。その横には新品同様に美しく仕上げられたトランスミッションも置かれていた。
「トヨタ2000 GTのフレームは内部にボックス状の部分がありそこに水がたまりやすいこともあって、残念ながら状態が良くないことが多いのです。このX型フレームは腐食部分をゼロから新しくつくり直したものです。電着塗装し、内部の部品にも錆びを防ぐ対策も施しています」
そこから少し離れた塗装ブースには、下塗り塗装が施されたボディが本塗装を待っていた。これも実車同様、板金職人の手で叩いてオリジナル通りに新たに製作されたもの。
「ボディの下塗り塗装は、本当は今のクルマのボディの下塗りのように、塗料のプールに漬ける浸漬塗装がベストなのですが、オリジナルと同様浸漬ではなく人の手で塗っています」
「理想のフルレストア」の技を未来に
ビンテージカーのファンやオーナーならご存じだろうが、クルマのレストアは自動車整備の枠をはるかに超えた仕事だ。特にフルレストアは、特別な技能とノウハウが要求される。
そのため、海外でも日本でも、この仕事を担うのはビンテージカーの修理を専門に請け負う独立したスペシャリストが、自分たちの持つ設備を活用して独自の手法で行うことがほとんど。そのため、フルレストアといっても、純正部品を使って完全にオリジナルな状態に戻すことは難しい。
だがトヨタのレース車両の整備に長年関わり、トヨタ車の整備ひと筋に歩み、トヨタ車を知り尽くした岡田たちが、できるだけオリジナルな状態を追求して行うトヨタ2000 GTのフルレストアは、いわば「メーカー純正」。日本国内はもちろん世界でもあまり例がない、いわば「正統派のフルレストア」だ。
「可能な限りオリジナルの状態に戻し、オーナーの気持ちに応えたい。この美しいクルマを理想的な状態で未来に受け継ぐお手伝いをしたい」と岡田は語る。
そのために岡田は今、トヨタ2000 GTのフルレストアに取り組みながら、長い経験で培った自身のレストアの「技とノウハウ」を後輩に、未来に継承することにも取り組んでいる。
日本の自動車産業が半世紀前に生み出したトヨタ2000GTという「日本初のスーパーカー」は、トヨタの「レストアの匠」岡田とその技を継承した後輩メカニックの手でよみがえり、誕生当時の美しい姿とパフォーマンスをそのままに、オーナーのドライブで未来も走り続けることだろう。
(文/写真・渋谷 康人)
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