
ウーブン・シティに運び込まれた木製のはた織り機。聞けば136年前の発明品を復元したものだという。"未来の当たり前"をつくる街に「過去」のものを置く理由とは?

3月27日、午後1時15分。1台のトラックがウーブン・シティに着いた。
男性5人がかりで荷台から降ろされたのは木製の織機。愛知県みよし市にあるトヨタの明知工場を午前8時に出発し、5時間かけて大切に運ばれてきた。
どうやら4日後に控えた、ある式典でお披露目されるものだという――。

実は日本橋のウーブン・バイ・トヨタのオフィスエントランスにも木製織機が置いてある。
この木製織機の正体は? なぜ、ウーブン・シティにまつわる各所に置かれているのか? その秘密に迫った。
織機の復元で辿り着いたトヨタの源流
2024年12月、ウーブン・バイ・トヨタの従業員を対象に、ある講義が行われると聞き、トヨタイムズは同社を訪れた。

入口で我々を迎え入れてくれた木製織機は、トヨタグループの礎を築いた豊田佐吉が1890年に発明した「豊田式木製人力織機」を復元したもの。昨年7月に設置されたという。

手がけたのは剣持正光さん。定年退職した今年2月まで、企業内訓練校・トヨタ工業高等学園(現在のトヨタ工業学園)時代も含めて、51年をトヨタで過ごした。
定年前は、パワートレーン統括部にある技能系社員の人材育成を担う職場で、木型道場のリーダーを担当。
同部に籍を置く西山裕次さん、難波剛志さんと、この織機を用いてトヨタグループのルーツを学ぶ「源流講座」を立ち上げた。
講座の対象はトヨタ社内の従業員を基本としているが、ウーブン・バイ・トヨタでは、2023年4月以降、既に4回実施されている。

冒頭は座学。「お国のために」と織機の発明に捧げた佐吉の人生をたどりながら、その考え方をまとめた「豊田綱領」の心を学ぶ。

その後は機織り体験。参加者が実際に布を織りながら、剣持さんが復元する過程で得た気づきや学びを体感してもらう。

「自分の手で織機をつくってみると、佐吉翁*の気持ちが伝わってくるんです」と剣持さん。
*トヨタグループでは、敬いと親しみを込めて「佐吉翁(さきちおう)」と呼ぶ。
剣持さん

この織機をつくったのは、佐吉翁が23歳くらいのとき。僕は60歳になってから、それを再現した。つくった過程をたどってみると、当時の年齢や考え、技能すべてにおいて「ものすごい人だ」と感じました。
当初は「なんでこんな形状を?」「ひと手間多いんじゃない?」と思ったりもしました。でも、そこに伝えるべき思想やメッセージがちゃんとあるんです。
復元を通じて、難波さんはこんな気づきを得た。
「できあがった織機で織る布は、ものすごく均質で目が整っている。作業は疲れない。織機も壊れない。すべてが織る人を楽にすることにつながっていたんです」

豊田式木製人力織機の発明のきっかけは、「毎晩、夜なべして機織りをする母親を楽にしてあげたい」という“佐吉少年”の想いだったという。
事実、初めての特許には、第一の目的として、紐を引く一手を省き、体の労を軽減させることが書かれている。
両手で緯(よこ)糸を通す作業は、からくりを使って片手の仕事に。布の巻取りは、椅子を降りずとも手元でできるように。着座位置は、自分の体格に合わせて変えられるように――。
あらゆる機構から「使う人を楽にしてあげたい」という想いが伝わってくる。


剣持さんたちは、この織機に注ぎ込まれた知恵と工夫を、復元作業の中で一つひとつ紐解いていった。
誰かが残した記録に学ぶのではなく、自らの技能を頼りに、先人と同じ道をたどってみる。そうやって行きついたのが「自分以外の誰かのために」という思想だった。
この講座では、そうした過程をたどって復元されたリアルなモノに触れることができる。だからこそ、トヨタで大切にされているこの思想に“キレイごと”ではない説得力を感じることができる。
トヨタイムズが取材したのは、ウーブン・バイ・トヨタでの4回目の講座。その結びに、剣持さんはこんな言葉を届けていた。
「90年前に先輩たちが、織機から自動車に業態を変化させました。今まさに、モビリティカンパニーにフルモデルチェンジする変化点にあります。ここを一生懸命やって支えてくれているのが皆さんだと思っています。胸を張って、勇気を持って、前に進んでください」