自動車業界を匠の技で支える「職人」特集。第8回は独自の技能で"質感"を徹底的に追求する「インテリア(内装)の匠」に話を聞く
3DプリンターやAIをはじめとするテクノロジーの進化に注目が集まる現代。だが、クルマづくりの現場では今もなお多数の「手仕事」が生かされている。
トヨタイムズでは、自動車業界を匠の技能で支える「職人」にスポットライトを当て、日本の「モノづくり」の真髄に迫る「日本のクルマづくりを支える職人たち」を特集する。
今回は「インテリア(内装)の匠」、マルチモデラー山下真五 (やました しんご)の前編をお送りする。
第8回 デザイナーのイメージをリアルに具現化する「インテリアの匠」山下真五
トヨタ自動車 クルマ開発センター デザイン統括部 内装モデルクリエイト課 シニアエキスパート
実車の内装そのもの、原寸大の「モックアップ」
デザイン部の一角に置かれていたのは、原寸大のクルマの内装モックアップだった。純白のイルミネーション、鮮やかなインストルメントパネルのメーター類もスイッチ類も、ステアリングホイールもペダル類も、ドアトリムもドアのレバーも、何から何まで実車そのもの。ドアを開け、運転席に腰を降ろしてステアリングを握ると、このまま走り出せるのではないかと錯覚してしまうほど。
それがクルマのインテリアデザインの最終段階で、その検討のために、実際にクルマの素材を使って製作するモックアップだ。
今回紹介する、トヨタ自動車 クルマ開発センター デザイン統括部 内装モデルクリエイト課 シニアエキスパートの山下真五は、卓越したマルチな技能でこのモックアップをつくり上げてしまう「ハードモデラー」であり、さらにトヨタの中でも希有な「マルチモデラー」である。詳しくは後述する。
革巻きステアリングの革も、モックアップの置かれた山下の作業場で、山下自身が手仕事で完璧に縫い付けたもの。「まさか自動車会社に入社して、裁縫の仕事をすることになるとは思いもしませんでした」と山下は笑う。
エクステリア(外形)同様に重要なインテリアデザイン
クルマの中は特別な空間だ。クルマに乗るとホッとする。どこよりもリラックスした気分になれる。こう語る人は少なくない。
ドライバーや同乗者はクルマの中で長い時間を、時には一日のほとんどをクルマの中で過ごすこともある。運転という仕事の場であり、休息してくつろぐ場でもある。
だからクルマのインテリアデザインは、安全で集中できる運転のための機能性と、長く過ごせる快適性を高い次元で両立させなければならない。しかもドライバーや同乗者の着座ポジション、ステアリング、レバー、スイッチ類の操作性など、運転時の安全に関わる事項には妥協は許されない。
またクルマのインテリアは、ドライバーや同乗者の手や体が直接触れるものだけに、質感まで魅力的であることが求められる。時にエクステリア以上にクルマの印象や満足度、価値を決定づける。エクステリアデザインとインテリアデザインの二つが一つに融合して1台のクルマのデザインを構成しているのだ。
さらにクルマのインテリアデザインには、エクステリアデザインと同様に厳しい制約がある。内装の広さはどのくらいで、ドライバーや乗員がどこにどう座るか。どこにピラーやトランスミッション、エアコンなどが置かれるか。クルマのインテリアはこうしたパッケージング、安全工学や人間工学的な検討から導き出された条件をすべて踏まえてデザインしなければならない。
カーデザインでこの仕事を担当するのがインテリアデザイナーと、デザイナーのパートナーとなり、職人として実際にクルマに使われるさまざまな素材も使って具現化するハードモデラーだ。
ハードモデラーはデザイナーとコミュニケーションを重ね、そのイメージやアイデアを深く理解し、自らの経験やノウハウを活かして、デザイナーが描いた手描きのスケッチや、3D-CADソフトでつくられたバーチャルなインテリアデザインを、ステップを踏んで質感までつくり込み、具現化していく。
デザインプロセスのデジタル化が進む現在では、デザイナーの描いたスケッチを元に、まず3D-CAD や3D-CGといったデジタル上でデザインの徹底的な検討、練り込みが行われるという。この段階では、内装の空間を「見る」ために、VRも使われる。
デジタル上でのインテリアデザインの検討と同時に、樹脂や金属など、実際のクルマに近い素材を使って、今度はそのデザインの一部、要になる部分の「質感モデル」を製作する。これはデザイナーのアイデアがリアルな素材ではどのような見栄え、触感、佇まいになるかを確認するためのものだ。
この質感モデルを踏まえてデザイナーとハードモデラーは、より良いものをつくるために、リアルとデジタルの間を何度も行き来しながら、徹底的にインテリアデザインの検討を重ねる。この過程でハードモデラーは、自らのアイデアをデザイナーに提案することもあるという。
最終的なインテリアデザインの仕様が決まると、いよいよハードモデラーが自身の知識と技能を駆使する場面がやってくる。役員も出席してデザインを最終決定する会議のために、実際にクルマの素材を使ってデザイナーの意図を具現化した原寸大のモックアップを製作するのだ。エクステリアデザインのクレイモデラーと同様に、インテリアデザインはデザインをカタチにするハードモデラーの存在なしには完成しない。
工作好きの少年から技能五輪の世界王者に
山下は1973年8月9日、愛知県豊田市生まれ。実家は今の職場まで徒歩で約15分のところだという。まさに地元の出身だ。小さい頃からモノづくり、工作が大好き。手先が器用で、中学生の頃はその作品で周囲を驚かせていたという。
「プラモデルづくりも好きで、よくつくっていましたね」と山下は語る。
中学校を卒業すると山下はトヨタ工業高等学園(現 トヨタ工業学園)に進学。2年生のとき、木型職種で技能五輪訓練生に選ばれ、1992年にトヨタ自動車に入社する。
「学園を選んだのは、モノづくりが好きだし、働きながらお金を貰えるという点に魅力を感じたからです。学園2年生のとき木型職種に出会って、木型がいい、そして技能五輪に出たいと思いました」
この年、山下は技能五輪全国大会30回大会の木型職種で敢闘賞を、翌年の31回で銀賞、さらに翌年32回で金賞に。そして翌年の1995年、フランスで行われた技能五輪国際大会33回大会に山下は日本代表として参加。金賞に輝いた日本チームの中で、山下は国別最優秀選手として表彰された。つまり山下は木工職種の世界チャンピオンで日本選手の中でもナンバーワンの成績を収めたのだ。
ハードモデラーから唯一無二のマルチモデラーへ
そして1996年、23歳のときデザイン部に配属され、仕事として木型によるクルマの内装モデル、外形部品製作を担当するハードモデラーとして仕事を始める。職場の先輩たちの中で、研鑽を積む日々が始まった。
外形部品とは、グリルやランプ、ホイールなど、インダストリアルクレイ(工業用粘土)で製作することが難しい部品で、デザイン試作の段階ではハードモデラーがプラスチック素材を使いオーブンなどで熱を加えて成形し、本物そっくりに仕上げる。
「基礎は教えてもらえるのですが、その先は自分で腕を磨くしかない。だんだん自分自身との戦いになってきます。苦しいという人もいるようですが、自分にとっては、ずっと楽しい時間でした」
入社10年目の2001年には、技能五輪の指導員も務めている。
そして山下はこの頃から木型職種に留まらず、さまざまな技能に挑戦していく。溶接や3D-CADのオペレーション、NC加工、さらにクレイによる部分的なモデル造形など。ハードモデル製作に関わるあらゆる技能を身に付け、従来のハードモデラーの枠に収まらない、「マルチモデラー」という独自のポジションを確立していく。
最終的なデザイン審査のために製作される原寸大のモックアップは、鉄骨製フレームの土台の上に木材や発泡スチロール、クレイや樹脂、金属などでつくられた部品に、塗装やクルマの内装に使うものと同じ革・ファブリック(布地)などを貼りこみ製作される。
マルチモデラーの山下は、実車そのものの原寸大のモックアップを、土台からほぼすべてを、しかも最適な方法を使って最短の時間で完璧に仕上げることができる。
「もともとは木型職人でしたが、新しい技能、技術を身に付けること、その技能をレベルアップすることで、これまでできなかったモノづくりを実現できるようになりました。でもまだまだ向上の余地がある。さらに新しい技能を身に着けて、より良いモノづくりをしたいと考えています」
山下は現在「専門技能修得モデル造型M級」に認定される高い社内技能資格を取得している。だが決して満足はしていない。
プライベートでも常に「モノづくり」に挑戦
2005年、入社14年目32歳のときに、約3ヵ月ハードモデラーとして、トヨタのヨーロッパにおけるデザイン開発拠点、フランスのニースにあるEDスクエアに業務支援のために出張した。
2007年、34歳のときには約3ヵ月、今度はアメリカのデザイン拠点、ミシガン州アナーバーにあるCalty デザイン・リサーチ社にも業務支援のため出張している。
2015年、42歳でグループリーダーに昇格したときには、デザイナーとともに家具を中心にしたイタリアのデザインプロダクト見本市「ミラノ・サローネ」に出張した。今後のインテリアデザインの方向を知るためだ。
こうした機会が、自分にとってデザインや素材に関する知識や造詣を深める、さらに技能やセンスを磨く絶好の機会になったと山下は言う。
そんな山下が現在、挑戦しているモノづくりの一つが革工芸。この挑戦は会社の仕事ではなく個人的に始めたこと。だがきっかけは、モックアップのために、革巻きのステアリングを製作したことだった。
写真のハンドバッグは、革工芸コンテストの入選作。ひと目見て、高級ブランドの製品と変わらぬ上質な革の素材感、高度な縫製にうならされた。
「本物が気になるんです。妻にブランドバッグを買うときは、デザインばかりでなく革の素材や細部のつくり、縫製まで見て選びます。ブランドバッグといっても、素材やつくりの悪いものもありますから」
山下の挑戦は革工芸だけにとどまらない。緻密な麒麟をはじめ、繊細な木彫り彫刻も、驚きの仕上がり。職人というよりもはやアーティストの域だ。
「モノづくりのコンテンストに挑戦しているハードモデラーは、部内には他にもかなりいます。モノづくりが好きな人が多いんです」
少しでも良いモノをつくるためには、審美眼を磨き、本物を知ることが大切だと山下は語る。そのため、アート系やクラフトマン系の展覧会や講演会に足を運ぶなど、常に「本物」を知るための学びを欠かさない。
まさに職人魂。もしトヨタに就職していなければ、山下はおそらく伝統工芸などのモノづくりの分野で活躍していたに違いない。
後編では、山下がリーダーで行う原寸大のモックアップ製作について掘り下げていく。
(文・渋谷 康人、写真・前田 晃)