自動車業界を匠の技で支える「職人」特集。第7回は"創造的な能力"でスケッチからカタチをつくる「造形の匠」に話を聞く
3DプリンターやAIをはじめとするテクノロジーの進化に注目が集まる現代。だが、クルマづくりの現場では今もなお多数の「手仕事」が生かされている。
トヨタイムズでは、自動車業界を匠の技能で支える「職人」にスポットライトを当て、日本の「モノづくり」の真髄に迫る「日本のクルマづくりを支える職人たち」を特集する。
今回は「造形の匠」、クレイモデラーの江藤和司 (えとう かずし)を取材した。
第7回 デザイナーのアイデアを三次元で表現する「造形の匠」江藤和司
トヨタ自動車 クルマ開発センター デザイン統括部 第1モデルクリエイト課 チーフエキスパート
イメージモデルを一気に造形
68度ほどの温度に温められた、長さ30cm、直径5cmのインダストリアルクレイ(工業用粘土)。ただのクレイの塊が、見る見るうちに躍動感を感じさせるフォルムにカタチを変えていく。
指先でクレイに力を加えたら、少し下がって距離をとり、モデル全体のフォルムを確認してから、再びクレイと向き合う。この動きを何度も繰り返す。一挙一動にみなぎる気迫に、思わず釘づけになった。場所は愛知県豊田市、トヨタ自動車社内のデザインスタジオ。
それは目の前で展開された、ドラマティックなパフォーマンスのようだった。体感的には5分間、実際は十数分間。たったそれだけの時間で、疾走しているかのようなGRスープラのダイナミックなフォルムが目の前に現れた。
実演してくれたのは江藤和司。クルマ開発センター デザイン統括部 第1モデルクリエイト課に所属し、27年という長いキャリアを誇るクレイモデラーだ。現在はチーフエキスパート(CX)として、さまざまなクルマのエクステリア(外形)デザインの開発にリーダーとして関わり、さらに後進のクレイモデラーの育成にも力を注いでいる。
実演したのは、手のひらサイズのイメージモデル造形だ。「クルマをデザインするときにつくる、このイメージモデルに求められているのは、デザイナーが描いた新しいクルマの魅力的なイメージを、立体的な造形に起こすことです。目指すアイデアをデザイナーと明確に確認し合えるように誇張して表現します」
カーデザインの“もう一人の主役” クレイモデラー
クルマは移動の道具であると同時に、人々のエモーションに訴える特別なプロダクトだ。そのクルマを前にして湧き上がる感情、ワクワク感で、人は愛車を選ぶ。このクルマに乗ったらどんなことが自分に起きるのか。どんな世界が広がるのか。そんな、クルマのエモーショナルな魅力を決定づける最大の要素がエクステリアデザイン(スタイリング)だ。
またクルマのスタイリングは、自動車メーカーの企業イメージと直結している。クルマについて考えるとき、私たちは頭の中に、その会社を代表するクルマを思い浮かべる。カーデザインは企業イメージをデザインすることでもある。
このカーデザインの担い手が、ご存じの通りカーデザイナーだ。だが、カーデザインには、“もう一人の主役”がいる。それがクレイモデラーなのである。
クレイモデラーは、デザイナーのパートナーとしてクルマのデザインを立体的につくり上げる技能職。デザイナーの描いたアイデアスケッチの意図を理解し、そのイメージを、クレイを使って立体のモデルとして仕立てるのが仕事だ。
新型車のデザイン開発におけるクレイモデラーの役割のひとつは、デザイナーが鉛筆やマーカー、あるいはPCのモニター上で描いた「新しいクルマのイメージ」を表現したアイデアスケッチから、先ほどのイメージモデルを造形すること。トヨタのモデルづくりでは、この スケッチからカタチを捉えるといった、“モデラーの創造的な能力(クリエイティビティ)”を役立たせた開発を継承してきた、と江藤はいう。
二次元のアイデアスケッチと三次元のクレイモデル。その間には、私たちが考えている以上に大きな距離がある。クレイモデラーの仕事は、デザイナーと綿密な議論を積み重ねながら、自身のクリエイティビティでこの距離を縮め、最終的にはゼロにすることだ。
「クレイモデラーにまず求められるのは、デザイナーのスケッチや設計図など二次元の情報から“カタチを読み取る”能力です。二次元のスケッチにはデザイナーが表現したいこと以外に、カタチになり得ない矛盾や、描かれていない、表現されていない部分がたくさんあります」
クレイモデラーはこの余白を、持てるセンスや経験、技能、アイデアを総動員して補足し、最終的にはデザイナーが頭の中に思い描いていたクルマのイメージをカタチとして提案していくのだ。
イメージモデルのつくり方はクレイモデラーによって多少異なる。江藤のように造形工具を使わず指先だけで感覚的に大まかなカタチをつくり出すといったフリーハンドにこだわる人もいれば、モデリング用工具などを駆使して構築的につくり上げる人もいる。
「私は立体のイメージをパっとつかむために、このやり方が良いと思ってやっています。より具体的にアイデアの意図をデザイナーと確認し合えますから」
デザイナーにとって、クレイモデラーは頼りになる相棒だ。自分のアイデアスケッチを三次元にするとどうなるか、どこに課題があるのか。デザイナーはクレイモデラーがつくるイメージモデルから知ることができる。デザイナーはこのフィードバックを受けて、アイデアスケッチの精度を上げていく。そしてクレイモデラーは、より明確になったアイデアスケッチを元に、クレイモデルをさらにつくり込んでいく。
この「スケッチ→クレイモデル→スケッチ→クレイモデル」というステップを何度も繰り返す間に「新しいクルマの魅力的なイメージ」が、ハッキリとカタチになっていく。
ただ、デザイナーとクレイモデラーの共創作品ともいえるこのイメージモデルは、あくまで新しいクルマをデザインする際の「アイデア出し」の役割であり、生産車のデザインになるまでは、まだ多くの検討課題が待ち受けている。ここからこのアイデアを何としても実現させるべく、デザイナーと一緒に製品につなげていくのだ(その作業については、後編で紹介する)。
「このイメージモデルに限らず、クレイモデラーに求められる造形技能は、まずはデザイナーの意図やこだわりをカタチとして実現することですが、最終的には“安定したクルマのカタチ”を追求していかなければなりません。不安定に見えるカタチは人を不安にさせてしまいますから。そういったことをデザイナーとのコミュニケーションで、正確に理解することが大切です。それを踏まえた上で、ボディのどの部分がどのくらいの比率になるのかをスケッチに描かれた明暗から読み取り、スケッチの見え方に近づくようにバランスを取り、かつ“クルマとして安定して見える”カタチを追求していきます」
そう語ると、江藤はさらに続けた。
「ただ、クレイモデラーはアーティストではありません。こだわりと情熱は大切ですが、謙虚でなければいけないと思います。あくまでデザイナーに寄り添い、歩みを合わせ、一緒になって答えを探し出すことが大切です」
とはいえ、イメージモデルの造形には、クレイモデラーのセンスや創造性、経験やスキルが果たす役割がとてつもなく大きい。何よりも、手を動かして造形を行うのはクレイモデラーだ。
「同じカーデザイナーのスケッチでイメージモデルをつくっても、手がけるクレイモデラーが違えば、仕上がりはまったく違うものになります。誰の立体解釈が正解に近いのか?デザイナーの思いを汲みながらつくり上げるのがこの仕事の面白いところ、醍醐味ですね」
クルマ好きからクレイモデラーの道へ
現在チーフエキスパートという役職でトヨタのクレイモデラーを率い、後進たちの指導に情熱を注ぐ江藤和司。彼はどのような理由でこの道を選んだのか。
江藤は1971年5月、三重県津市生まれ。父が大工で、なんでも自分で作ってしまう姿をまねて、子どもの頃から工作が得意だった。しかもクルマ好きで、小学生の頃からモーターショーやサーキットに足を運んでいた。
「クルマのカタチやメカニズムには子どもの頃から興味があって、またレースも大好きだったので、母や兄と一緒に近くの鈴鹿サーキットをよく訪れていました。ですから、当時からクルマに関わる仕事がしたいと思っていました。そのとき考えていたのは自動車整備士でしたね」
カーデザイナーの仕事は知っていたという江藤がクレイモデラーの存在を知ったのは、高校の進路指導室でのこと。モノづくりへの思いとクルマへの憧れが合致した江藤は、迷うことなくこの道に進もうと決断し、当時、京都にあった京都デザイン専門学校のモデラーコースに進学、クレイモデラーになる道を選んだ。
2008年3月に残念ながら閉校してしまったが、同校は全国に先駆けて自動車デザイン学科を設け、約20年にわたって自動車業界に人材を送り出してきた。
「学校は2年制で1年目はデザインの基礎を、2年目からモデラーの仕事の基本や技能を学びました。卒業制作はフルスケール(原寸大)のクルマのクレイモデルをチームで製作すること。そのときにプロジェクトリーダーをやらせてもらいました」
1992年3月、同校を卒業した江藤は教員の推薦で「1/5スケールのクレイモデルをつくる」というトヨタ自動車の試験を受けて見事合格。同年4月にデザイン部 モデル製作課に配属され、いよいよクレイモデラーとしての一歩を踏み出した。
「トヨタのデザインスタジオに入ると、開発中のクレイモデルが定盤の上に整然と並んでいて『自分の夢がかなった』と実感しました」
その時の感動を今でも時々思い返しながら日々のモデリングにあたっている。
後編では、フルスケールモデルの実演に見る江藤のクレイモデラーとしての卓越した技能、これまでの足跡、そしてデジタル化が進むカーデザインの現場で、後進を育成する指導者としての顔を紹介する。
(文・渋谷 康人、写真・前田 晃)