パラアスリートにどう話しかけていいかすら分からなかった2021年の東京。その後、3年間、パラアスリートを取材し続けた森田京之介キャスターは、どんな想いでパリに向かうのか?...森田本人が想いを綴った。
④柔道グランプリ@代々木(2023年12月)
視覚障がい者柔道、通称パラ柔道の国際大会を取材した。
審判の腕に触れながら両選手が入場し、組み合った状態から試合が始まる。
オリンピックで見る柔道は組み手争いが多く、いい組み手になったときにきれいに技が決まりやすい。最初から組み合っているパラ柔道の面白さは、いつ技に入ってもおかしくないドキドキ感だ。
見どころは試合だけではない。
トヨタループス所属の半谷(はんがい)静香選手は、ロンドンから3大会連続でパラリンピックに出場している全盲の柔道家だ。
目が見えないのに、どうやって技を覚えて練習しているのか。「触る・感じる・試して、話す」 の3ステップを踏むそうだ。コーチの体に触れながら動作を確認し、力の向きを感じてから、コーチに実際に技をかけてみて、フィードバックをもらう。動きの一つひとつを分解して、どうやって技がかかっているのか詳細に分析する。
健常者として柔道に携わってきた磯崎祐子コーチは、自分がこれまで「なんとなく」でやっていた動きに気がつき、そこに面白さを感じたという。見えないからこそ見える世界がある。柔道という競技の本質に、より迫っているのかもしれない。
⑤パラアルペンスキーW杯@札幌(2024年2月)
7年ぶりに日本で開催されたパラアルペンスキーのW杯。
パラリンピック6回の出場を誇るレジェンド森井大輝選手は、自身の滑りと言葉で次世代のスキーヤーに多くのことを伝えた。
崖にも見えるような急斜面を、一本のスキー板の上に乗ったチェアスキーが猛スピードで滑り降りてくる。世界トップレベルの闘いを日本で披露した森井選手は、W杯にあわせて開催された若手パラスキーヤーを対象にしたスキーキャンプで子どもたちと触れ合い、次世代育成にも取り組んでいた。
事故で下半身に障がいが残り、自暴自棄でリハビリに後ろ向きになっていた森井選手の目に、長野1998パラリンピックで活躍するアスリートの姿が入ってきた。「チェアスキーをやれば昔の自分に戻れるかもしれない」と競技に取り組むことを決意した瞬間、リハビリはトレーニングに変わったという。
子どもたちの中には、森井選手と同じように事故にあって、障がいを抱えて間もない学生もいたが、彼が笑顔で次の一歩を踏み出している姿にスポーツの持つチカラを感じた。
⑥鈴木朋樹の特別授業@晴海西小中学校(2024年7月)
3年前、東京2020パラリンピックに出場した鈴木朋樹選手は、ユニバーサルリレー*で銅メダルを獲得してパラリンピックメダリストになった。
大会のクライマックス、最終日の車いすマラソンでは、雨の降る東京の街を駆け抜け、7位。東京・晴海に作られた選手村に、メダルではなく悔しさを持ち帰った。
その選手村跡地に新設されたのが、晴海西小・中学校だ。
7月8日、鈴木選手は3年ぶりにこの場所に戻ってきた。全校生徒約1100人の集まる体育館に車いすレーサーで颯爽と登場すると、館内を猛スピードで駆け抜け、初めて車いすレーサーを見る子どもたちを熱狂させた。
*障がいの異なる4選手がタッチで次の走者につなぐ混合種目。東京2020パラリンピックで初採用
特別授業では、車いすレーサーづくりを担当したOXエンジニアリングの小澤徹さんとトヨタの橋本紘樹さん(BR GT開発室)と一緒に、この3年間の取り組みを紹介した。
絶対王者、スイスのマルセル・フグ選手に勝つために、フルカーボン仕様のレーサーを開発。鈴木選手はワガママになって要望を伝え、開発チームがそれに応える。本音のコミュニケーションを重ねてつくり上げた車いすレーサーで、「金メダルを獲って戻ってくる」と子どもたちに約束した。
授業が終わって、ふと思ったことがある。この日、鈴木選手を障がい者だと感じた子はいただろうか?上半身ムキムキのカッコいいお兄ちゃんにしか見えなかったのではないか。
私には、虎視眈々とメダルを狙うスーパーヒューマンにしか見えなかった。
パラスポーツはスポーツだ
「ロンドン2012パラリンピックでは地鳴りのような歓声が聞こえた」
佐藤圭太選手が言っていた。8万人のスタジアムが満員になったそうだ。
当時イギリスのテレビ局が制作した「Meet The Superhumans」というトレーラー映像が話題になり、イギリス国内でパラリンピックが大きく盛り上がったと言われている。実際、ロンドンマラソンに出場した鈴木朋樹選手は、街中で声を掛けられることも多く、ロンドンの人々の意識の変化を感じているという。
「障がいがあることで、その競技の難易度が上がる」
芦田創選手が言っていた。スポーツには公平に競うためにルールがあるが、それはときに記録を出すための制約になったりして、その競技の難易度を調節している。スポーツにおいては、パラアスリートが抱える障がいもルールの一部で、それを乗り越えようと闘う姿は、スポーツの醍醐味そのものではないかと思う。
この3年間、夢舞台を目指すたくさんのトヨタアスリートの声を聞いて、その努力を見てきた。
残念ながらその舞台に届かなかった選手もいる。しかし、その過程で発するメッセージ一つひとつがどれも強烈だった。彼らの言葉をたくさん届けたいと思った。
3年前に迷っていた自分はもういない。彼らの世界を知れば知るほど、アスリート以上にアスリートらしい姿が見えてくる。パラスポーツを知ることから始めて3年、もっとスポーツが好きになった。パリ2024パラリンピックで生まれる新たなストーリーが楽しみだ。
スーパーヒューマンたちが純粋にスポーツを楽しむ姿を目に焼き付けてこようと思う。
そしてその姿を言葉にして伝えていくつもりだ、今度は迷いなく。
トヨタイムズスポーツ
キャスター 森田京之介