トヨタの同僚でありパラ陸上競技アスリートでもある佐藤圭太選手。彼の競技用義足をゼロから作りあげた技術者による、挫折と改善の物語。
表彰台にのぼり歓声やフラッシュを浴びるアスリートたち。その傍らには彼らを支える「人や技術」がある。バラエティに富んだサポーターはいかに集まり、どんな物語を生み出してきたのか。そこから未来への挑戦を可能にする「鍵」を探っていく。
オーダーメイドで生まれる競技用の義足
ここ数年、競技用の義足に対する注目度が高まっている。リオ2016パラリンピックの走幅跳T44で優勝したドイツ人義足ジャンパーは、2018年に自己最高の8m48cmを記録する。この記録は、リオ2016オリンピックの走幅跳なら、金メダルに相当するものだったのだ。
競技用の義足は、健常者の記録を凌駕する可能性を秘めている──。
ただし、義足の開発はひと筋縄ではいかない。体格や足の状態は人それぞれだし、義足とそうでない足を同じように使って走る選手もいれば、義足にアクセントをつけて走る選手もいる。
つまり、競技用義足はオーダーメイドで選手個々にフィットさせる必要があるのだ。義足がひと組しかない圭太のために!
リオ2016パラリンピックの4×100mリレー(T42-47)で銅メダルを獲得し、同年トヨタ自動車に入社した佐藤圭太選手は、当時、競技用の義足をワンセットしか保有していなかった。トップクラスのパラアスリートですらワンセットしか用意できないところに、コスト面も含めて義足を作る難しさが表れている。
トヨタ自動車の管理職が集まるミーティングでそんな声をあげたのは、圭太選手が配属された生技管理部の上司で、2017年のことだった。
ここから、「義足開発支援プロジェクト」がスタートする。義足のなかでも、特に開発が難航したアライメントと呼ばれる部分を担当したのが、モノづくりエンジニアリング部の植田健次と、植田を師と仰ぐ鏑木悠也の師弟コンビだ。余談だが、鏑木は植田の末娘と同じ年齢にあたる。
手探りからのスタート、すぐさま途方に暮れる
2017年の5月、競技用義足のアライメントの開発を担当することになった植田は、「えらいことになった」と思ったという。アライメントとは、切断部分を収納するソケットと、地面を蹴るブレード(板バネ)を結合する部品で、軽さと強さが求められる。何が「えらいこと」だったのか、植田が振り返る。
ちなみに、足の切断部を収納し固定するソケット部分もトヨタ自動車の有志からなる「義足開発支援プロジェクト」が義肢装具士(義肢の装着や開発を行う専門家)監修のもと製作。素形材技術部や元町車体部の高度な技術と技能が生かされており、ここにも多くの開発物語がある。
当時、パラ陸上競技用の専用義足というものは存在しておらず、生活用と競技用は同じ市販品が使われるのが一般的だった。そこで植田と鏑木は、市販品を購入して徹底的に分析、試作品を作り上げた。当初は途方に暮れたふたりであるが、エンジンやトランスミッションといった複雑で大きな力がかかる部品の試作を手がけた経験を基に、アライメントの試作を進めた。
プロトタイプ完成、茫然自失の試走会
開発スタートから約半年後の12月に、圭太選手を招いて試走会が開かれた。そしてこの第一回試走会で、“事件”が起こった。鏑木が遠い目で回想する。
唯一の慰めは、帰りの新幹線の中で、植田と鏑木が設計したアライメントの加工を担当してくれた先輩社員の一言だった。
敗因は技術屋(モノ屋)視点のものづくり
衝撃の事件の後、2018年になると、植田と鏑木の師弟コンビを中心にごく少数で運営していたプロジェクトに、パワートレーン統括部の西山裕次が加わる。どの部署に、どんな技能と人材がいるかを把握している西山は、司令塔的な立場で、「その実験をするなら、○○○部の✕✕さんに相談するといい」というようなアドバイスをした。
西山が加わることで開発は飛躍的に加速する、はずだった……。西山は言う。
遠慮をやめたとき“チーム圭太”が誕生した
2018年から19年にかけて、義足の開発が思うように進まなかった理由のひとつに、プロジェクトチームと圭太選手の間のコミュニケーションが密でなかったことがあげられる。当時、植田はこんな歯がゆさを覚えたという。
圭太選手が新たな活動拠点として東京へ移転したこともコミュニケーション不足の要因となった。そこで西山を中心に、2019年の秋に豊田市の飲食店を借りて懇親会を開催することになった。30人ほどが集まった懇親会の目的を、西山はこう説明する。
佐藤圭太選手からの痛烈な本音
懇親会をきっかけに圭太選手とチーム圭太の距離は縮まり、腹を割って話し合うようになった。そして、圭太選手の本音を正面から受けたのが、第一回の試走会で茫然自失となった鏑木だった。
2019年末の時点では、東京2020パラリンピックは予定通り2020年8月に開幕する予定だった。あと数カ月後に迫った本番に、はたして間に合うのか。
部署の垣根を超えて精鋭たちが続々と集結
2020年に入ると、チーム圭太は圭太選手、圭太選手を担当する義肢装具士、そして競技用義足の研究開発に取り組むXiborg社との連携を強化し、試走会を重ねた。必要な技術や人材があれば、司令塔の西山が社内のあちこちから情報を集めてきた。チーム圭太はオールトヨタの様相を見せ、ここに至って、ようやくアライメント開発は軌道に乗り始めた。西山は言う。
発想を変えたら驚くべき進化が待っていた
圭太選手サイドからも、「どんどん使いやすくなっている」という声が出て、タイムも出るようになった。その理由のひとつとして、チーム圭太のアライメント開発の方向性が変わったことがあげられる。どう変わったのかを、植田が説明する。
アライメントの側面を中空構造にすることで軽くしたことも好評で、タイムもいっきに短縮された。軽量化が大きな要因になることは、佐藤圭太選手自身も驚いたという。植田はさらに続ける。
トヨタ生産方式に反したプロジェクトだった!?
完成したと思ったのに、さらによいものにしようと奮闘する“師匠”の姿を見た鏑木は、「改善を続けるあたりが、トヨタらしいと感じました」と振り返る。こう語る弟子に向かって植田は、「俺は全然トヨタらしくないプロジェクトだと思ったな」と、言葉を返した。
確かに、ムリとムダが多いプロジェクトだったかもしれない。けれども鏑木は、そのムリとムダのおかげで得たものも多かったと言う。
チーム圭太が開発したアライメントは、Xiborg社の手を借りて、市販されている。植田は、「義足を使っている後輩がいるとお話ししましたが、圭太の義足を作りながら、足の不自由な方が自由に動けるような社会になるといいな、という思いは常に頭にありました」と感慨深げだ。
すべての人に移動の自由と喜びを享受できる社会に──。ある意味で、トヨタ自動車が取り組むのにふさわしいプロジェクトではないだろうか。
(文・サトータケシ、写真・小保方智行)