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"ずっとそばで見てきた人間"が語った豊田章男の闘い 取り戻そうとした"優しい心"

2024.10.16

篤志家の「利他の精神」と「人間愛」で発展してきた日本の更生保護。制度75周年の記念講演にトヨタの早川茂副会長が登壇。「人間と人間のぶつかり合い」だった豊田章男改革について話した。

もっといいクルマづくり

赤字転落、世界規模でのリコール問題、その後の東日本大震災、タイの大洪水、超円高など、相次ぐ危機の中で、社長の豊田がやり続けたこと。

それは、「もっといいクルマをつくろうよ」。ただひたすら、それだけを言い続け、自ら開発ドライバーとして、命がけでハンドルを握ることでした。

「当時の私には、それしか、トヨタを立て直すやり方が思いつかなかった」。豊田はそう申しておりますが、私から見れば、それは、豊田章男の「クルマ屋」としての「信念」であり、創業者・豊田喜一郎の「孫」としての「執念」だったと思います。

豊田はトヨタ自動車に入社するにあたり、当時の社長であった父親の豊田章一郎からこう言われたそうです。

「トヨタ自動車にお前を部下にしたい上司は一人もいないぞ」

実際に入社してみると、まさに、その通りで、トヨタ自動車の社員からは関わりたくない、アンタッチャブルな存在として扱われる毎日だったそうです。

そんな中で、豊田は、創業家ではなく、一人の人間として見てもらう術を身につけたと言います。

それは、カッコつけずに、いい所も悪い所もさらけ出して、ありのままの自分で、相手にぶつかっていくことでした。

「自分は、豊田ファミリーである前に、トヨタ自動車という大きなファミリーの一員である」。それを示すことでした。

社長になってからは、より自分の影響力の大きさを自覚するようになったと言います。豊田はこう言います。

「正しい情報、特に都合の悪い情報は、絶対に自分の所にあがってこない。だから、自ら現場に行き、声を聴き、ともに悩み、行動する姿を見せるしかない。私のトップダウンは、トップが現場にダウンする、おりていくことだ」

そんな豊田の姿に、心を動かされ、「一緒にやろう」という仲間が少しずつ増えてまいりました。

その変化は、「商品」という形になって現れてまいりました。

クラウンやカローラといった「ロングセラー」が息を吹き返し、86やスープラ、GRヤリスといった「スポーツカー」も復活しました。

働くクルマ、商用車も大切にしています。

ハイブリッドからバッテリーEV、水素まで、電動車もフルラインでそろっています。

皆様ご承知のとおり、いま、私たちは、カーボンニュートラルという難題に直面しております。

世界を見渡せば、エネルギー事情はさまざまです。電力インフラが十分に整っていない地域もたくさんあり、クルマがライフラインとなっている人たちがたくさんいます。

豊田はこう言います。

「みんな、私たちのお客様であり、みんな、置かれている現実が違う。『誰ひとり取り残さない』『すべての人に移動の自由を』『敵は炭素。内燃機関ではない』。だからこそ、私たちは、あらゆる技術の可能性に挑戦しなければならない」

こちらの映像をご覧ください。

「もっといいクルマをつくろうよ」。最初は、この言葉に対して、トヨタ自動車の従業員からは、「社長が考えるいいクルマとはどんなクルマですか?」という質問が必ず出ました。

豊田の答えはいつも決まっておりました。

「まず、あなた自身が考えるいいクルマをつくってほしい。それができたら、そのクルマに乗って、もっといいクルマが何かを一緒に考えよう」

当時を振り返って、豊田は、こう申しております。

「もしあのとき、私が、何か一つでも、もっといいクルマのイメージを言っていたとしたら、今のトヨタはなかったと思う。現場の一人ひとりが、自ら考え、意志を持って動いたからこそ、お客様が必要とする多様な商品のラインナップができたのだと思う」

「もっといいクルマづくり」。最初は孤独な闘いだったと思います。

それが、今では、モータースポーツとつながり、カーボンニュートラルとつながり、たくさんの仲間とつながり、世界へとつながってまいりました。

やがては、「クルマ屋にしかつくれない未来」につながっていく。私は、そう確信しております。

人財育成

「もっといいクルマづくり」とともに、豊田章男が必死に取り組んできたこと。それが人財育成だと思います。

豊田は、従業員に対して、ありのままの自分をさらけ出し、全力でぶつかっていきました。ともに笑い、ともに泣き、間違ったことをしたときには、本気で叱りました。

トヨタ自動車には、「会社は従業員の幸せを願い、組合は会社の発展を願う。そのためにも、従業員の雇用を何よりも大切に考え、労使で守り抜いていく」という労使共通の信念があります。

それは、冒頭にお話しした1950年の労働争議のつらい実体験からくるものです。

それ以降、トヨタ自動車では、労使の「話し合い」を何よりも大切にしてまいりました。特に社長の豊田は、この話し合いを「家族の会話」と呼び、全身全霊で従業員と向き合ってまいりました。

こちらの映像をご覧ください。

「こんなにも距離を感じたことはない」。労使の話し合いで社長が苦言を呈するのは、前代未聞のことだと思います。

会議室での議論ばかりで、現場のリアルな声を伝えようとしない組合。従業員の悩みに寄り添わず、すぐに答えを出そうとする会社。

豊田は、その双方に対して、トヨタ自動車が大切にしてきた価値観を忘れているのではないか。そう感じておりました。

だからこそ、トヨタグループの原点である「豊田綱領」に込められた想いを説いて聞かせたのだと思います。

そして、労使の話し合いは、50年ぶりに、秋の協議へと持ち越されることになりました。映像をご覧ください。

「従業員は家族」。豊田喜一郎のこの言葉を実現するために、豊田章男は常に本気で、本音で従業員に向き合ってきたと思います。

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