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【永久保存版】豊田会長講演「私とトヨタ生産方式 ~現場に主権を取り戻す闘い~」

2024.01.19

経営者、豊田章男。その数々の決断の根底には、トヨタ生産方式のものの見方があった。企業経営者を中心とする200名へ届けた講演の内容を公開する。

トヨタらしさを取り戻す闘い

①グロマスによる規模拡大の時代

リコール問題以降、東日本大震災、タイの大洪水、超円高を含む6重苦。

私が社長を務めた14年間は、「危機」の連続でしたが、「危機」だからこそ、私は社長を続けられた、私が社長でいる意味があったと思っております。

一番の危機は、トヨタが「クルマ屋」としての本分を見失っていたことだと思っております。

私が社長に就任したとき、ある方から「トヨタは、いつからお金をつくる会社になったのですか」と言われました。

米国の自動車ジャーナリストからは「レクサスは退屈だ。あれはブランドではなく、販売チャネルだ」と言われました。

非常に悔しい想いをしたわけですが、言われたことは、私自身が感じていたことでもございましたので、当時のトヨタは、まさに「お金をつくる会社」になっていたと思います。

規模の拡大を追求するあまり、「儲かるクルマを儲かる地域で」、つまり、大票田であるアメリカを向いたクルマづくりが中心になっておりました。

そして、社内で最も重要視されていたのは、台数と収益を最優先につくられた「グローバルマスタープラン」でした。

そこには「つくれば売れる」というメーカーのエゴがあったと思います。

「ジャストインタイム」とは「必要なものを、必要なだけ、つくり運ぶこと」ですが、当時のトヨタには「儲かるクルマを、儲かるだけ、つくり運ばせる」という風土があったような気がいたします

②商品経営(TNGA/カンパニー制/マスタードライバー)

「もっといいクルマをつくろうよ」。この言葉からスタートした私のトヨタ改革は、トヨタを「お金をつくる会社」から「もっといいクルマをつくる会社」、すなわち「商品で経営する会社」に変革することだったと思います。

改革を支えた「3つの柱」があります。まず、最初に取り組んだことが「TNGA」です。

クルマの基本性能である「走る・曲がる・止まる」。それを高いレベルで実現するためには「素性のいいプラットフォーム」が必要です。

しかし、新しいプラットフォームを生み出し、共通化することは、そう簡単なことではありません。

リーマン・ショックで赤字に転落し、台数も伸ばせなかった、一番苦しい時代に、みんなで歯を食いしばりながら、苦労に苦労を重ねて、つくりあげた最大の武器。それが「TNGA」です。

TNGA」によって、商品が大きく変わりました。クラウンやカローラといった「ロングセラー」が息を吹き返し、86やスープラ、GRヤリスといった「スポーツカー」も復活いたしました。

共通のプラットフォームを使い、商品を「単一」ではなく「群」として開発し、多様化する顧客ニーズに対応していく「群戦略」も実現できるようになりました。

それらは、すべて「TNGA」があったからできたのだと思っております。

そして、2つ目の柱が「カンパニー制」です。世界中のお客様のありとあらゆるニーズに応えてきた「フルラインナップ」。それがトヨタです。

しかし、「グローバルマスタープラン」の時代には、「フルライン」の強みを失い、台数・収益に貢献する商品だけの「偏ったラインナップ」になっておりました。

そうした状況には二度としない。その決意の表れが現在の「カンパニー制」です。

「フルライン」である以上、「スポーツカー」でも「商用車」でも、どんなジャンルのクルマでも、情熱をもち、責任をもって考えている人が常に会社の中にいる。

そんな状態をつくり出すことが「カンパニー制」の真の目的だったと思います。

目先の「台数」と「収益」。この魅力にあらがうことは、簡単なことではありません。

だからこそ、トヨタにとって、世の中にとって、本当に必要なクルマを第一に考えることができる。そんな人と組織をつくらなければならないと思いました。

そして、最後の一つが「最終責任者としてのトップ」だと思います。

自分で言うのも何ですが、トヨタにあり、他のメーカーにはないもの。それが「マスタードライバー」だと思っております。

世に送り出す商品の味に責任をもつ。たとえ、開発陣が、苦労してつくり上げたものであったとしても、トヨタ・レクサスの味でなければ、はっきり「NO」と言う。

「モリゾウ」「マスタードライバー」「トヨタの社長」

この3つの顔を同時にもって、私自身が、「現場」で、仲間とともに取り組んできた14年間のすべてが、今のトヨタの「商品」という形になって、表れていると自負しております。

そして、これが「商品で経営する」ということだと思っております。

「もっといいクルマをつくろうよ」最初は、誰からも理解されませんでした

社内からは「具体的なスペックを言ってもらわないと困る」と言われ、社外からは「今度の社長は数値目標すら言えないのか」と批判されました

もし、あのとき、私が、何かひとつでも「もっといいクルマ」の具体例を言ってしまっていたら、社内は思考停止に陥り、今の「商品」「グローバル・フルラインナップ」は生まれていなかったと思います

人の持つ考える力を尊重するこれも、TPSが教えてくれたことだと思っております

③人の改革(役員体制&労使協)

トヨタを支える「人」の改革。「役員改革」と「従業員コミュニケーション」にも全力で取り組みました。

大変、時間と労力がかかる取り組みですが、私を突き動かしたのは、「自分と同じ苦労をさせたくない」という「次世代への想い」だったと思います。

まず、役員について申し上げますと、かつてのトヨタでは、社長は、62歳で就任するのが通例となっておりましたが、私はそれより10年早い52歳で社長に任命されました。

当時、役員は80名、顧問・相談役は70名、合わせて150名の方が在籍されていました。全員年上です

年下の私を応援し、サポートしてくださった先輩もいらっしゃいましたが、異例の若さでの社長就任を快く思わない方もたくさんいらっしゃったと思います。

そんな中、私は、トヨタを変革するためには、「上から変えていくことが不可欠だ」と考え、役員の数や階層を少なくしてまいりました。

今では役員は14名。顧問・相談役は0になっております。その目的は、「肩書」ではなく、「役割」で仕事をする会社に変えることです。

「肩書」は「ヒエラルキー」を生み、それが行き過ぎると、社内は、トップから降りてくる言葉を待ち、自律性を失ってしまいます。

これに対して、「役割」は「フェアネス(公平性)」を生み、一人ひとりの「考える力」と「自発的な行動」を引き出すと考えたわけでございます。

そのために、「肩書」ではなく、「役割」で動く会社に変えていかなければならない。これは「創業家」という「肩書」で、先入観をもたれ、苦労してきた、私自身の使命だと思いました。

次に、従業員とのコミュニケーションについて申し上げます。こちらの映像をご覧ください。

会社は従業員の幸せを願い、従業員は会社の発展を願う。これが、トヨタの労使が大切にしてきた共通の基盤であり、私は、従業員は家族であり、労使協議は、その家族の会話だと思っております。

子どもが、間違った方向に行こうとしたときに、叱るのはオヤジの役割です。私はそう思って、14年間、従業員一人ひとりと向き合ってきたつもりです。

そこには、一つの嘘もありませんでした。本気で喜び、笑い、泣き、叱ってまいりました。

その結果、今のトヨタの労使協議は、大きく変わったと思います

自分たちの利益だけを主張するのではなく、自動車業界で働く550万人の仲間のことを考える場に変わってまいりました

モノづくりは、人づくりこれも「TPS」の教えそのものだと思っております

元のトヨタには絶対に戻さない

危機に直面したとき、困ったとき、私はいつも「現場」に行きます「現場」で、自分の目で見て、耳で聞いて、身体で感じた「事実」と「現実」をベースに、トヨタの進むべき道を決めてまいりました

私が言い続けた「もっといいクルマをつくろうよ」これは「たゆまぬ改善」を掲げる「TPS」そのものだと思います

そのためには、トヨタの「思想」と「技」と「所作」を身に付けた「人」をつくらなければなりません

かつてのトヨタは、非常に官僚的で、一部の肩書を持っている人たちが「主権」をもち、「現場」ではなく、「本社」の「机の上」で、意志決定がなされていた会社だったと思います。

入社して以来、私がずっと感じていた「トヨタって、こんな会社だったのかな」という違和感は、巨大組織に根づいてしまった、この企業風土にあったと思います。

「もっといいクルマをつくろう」「町いちばんの会社になろう」「自分以外の誰かのために仕事をしよう」

最初は、誰からも相手にされなかった私の言葉と行動に、いちばん共感してくれたのが「現場」の仲間でした

「現場」で働く一人ひとりが、自ら考え、動いてくれるようになりました「人」が変わったからこそ、「商品」が変わり、「トヨタ」が変わったのだと思います

いま、トヨタの「主権」は、自ら考え、動く「現場」にありますこれこそが、私が、何としても取り戻したかったものでした

しかし、この「現場主権の経営」も、油断をすると、すぐに「本社主権」「大本営主権」の経営に戻ってしまうのではないか

こんなにも時間をかけて、苦労して変えてきたトヨタが、かつての官僚的なトヨタに戻ってしまうのではないか私は常に危機感を持っております

みんなが、それを感じたときには「Too Late」です

絶対に元のトヨタには戻さないそのために、私自身、闘い続けなければならないと思っております

「トヨタらしさを取り戻す闘いに終わりなし」「改善に終わりなし」TPSのこの言葉で、私の話を終わりにしたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

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