トヨタ11代目社長・豊田章男の社長在任14年を振り返る特集。後編は数字に表れた変化を追ってみたい。
2023年1月26日、トヨタイムズニュースで生放送された社長交代会見の中で、豊田は次のようなことを語っている。
「この13年間を振り返りますと、とにかく必死に、一日一日を生き抜いてきました」
豊田が社長に就任したのは2009年。当時はリーマンショックの波が世界各国に押し寄せていた。逆風という言葉では、あまりにも生ぬるい、暴風雨の中での船出。2008年度の営業利益は創業以来最悪の4,610億円の赤字となった。
それでも豊田は社長就任後、収益構造の改善に着手。2009年度には収益を黒字に戻すと、その後の北米に端を発する大規模リコール問題、東日本大震災、タイの洪水など度重なる会社存亡の危機にあっても黒字を守ってきた。
2020年度には、コロナウイルスの影響により、リーマンショックのあおりを受けた2008年度と同規模の販売台数減(マイナス15%)となりながらも、連結営業利益2兆1,977億円を計上。多くの変革の末、企業体質が強化されてきたことを数字のうえでも証明してみせた。
豊田はどのようにして創業以来最悪の赤字に陥っていたトヨタを立て直し、収益構造を変えてきたのか。豊田が行った改革とともに、数字に表れた変化を追ってみたい。
社長就任前夜
豊田が社長に就任する以前、トヨタは北米を中心に、海外生産をハイペースで拡大していた。
2007年末時点での海外生産拠点は27カ国・地域。年産能力20万台規模の工場を毎年2~3カ所新設するような状況にあった。
グローバルな生産・販売台数の増加に伴い、業績も増収増益を続け、連結営業利益は、2001年度に1兆円、2006年度は2兆円を突破する。
クルマをつくればつくるだけ売れる状況にあった。
右肩上がりで成長を続けるトヨタだったが、順風満帆とはいかなかった。
2008年、リーマンショックの影響は、自動車産業全体に暗い影を落とし、北米をはじめ世界の新車市場は急速に冷え込む。
トヨタの2008年度の連結販売台数は、前年の891万台から756万台に下落(マイナス15%)。増やし続けた工場と設備は、固定費として重くのしかかった。
円高も重なり、2008年11月の第2四半期決算から翌年2月の間にトヨタは3度の業績下方修正と赤字予想を出す。メディアからは「トヨタショック」と報じられた。
最終的な営業利益はマイナス4,610億円。
2009年6月、当時、社長に内定してした豊田は年度初めのグローバル方針説明会で、「一つひとつのオペレーションや、意思決定が、『台数・収益優先』に進んでしまったことを、私たちは謙虚に反省し、今後に活かしていかなければなりません」と、販売台数だけを求めない、地域の実情やニーズに沿った商品づくりへと舵を切ることを誓った。