第4回:「チャレンジしてチャンスをつかみ自分を変える」【オリンピック聖火ランナー連載】

2020.04.21

亡き祖父への想い、学園を背負う気持ち、そしてもうひとつ、高田さんには「走る理由」がある

はじめに

(トヨタイムズ読者の皆さまへ)
いつもトヨタイムズをお読みいただきありがとうございます。

この記事は東京2020オリンピック聖火ランナーに選ばれたトヨタ社員を紹介する記事として326日の聖火リレースタートに合わせて連載開始を予定していました。

聖火ランナーのみなさんは、自分のために走るということではなく、走ることで“他の誰かのために”何かを伝えたいという想いを持っている方々です。

しかしながら、東京2020オリンピック聖火リレーは延期が決まり、今は走ることができません。

走る姿を伝えることはできませんが、トヨタイムズは掲載を延期せず、彼・彼女達が、どんな想いを聖火に乗せて運ぼうとしていたかを伝えるため、予定通り記事を掲載してまいります。

「オリンピック聖火ランナー」~誰かのために走る人~ 導入編はこちら

トヨタ工業学園 高田永遠

「企業は人なり、モノづくりは人づくり」。そう考えるトヨタの“人づくり”の原点として、創業の翌年である1938年に設立したトヨタ工業学園。河合満執行役員をはじめ、現場を支える多くのリーダーを輩出してきた学園の現役生で、この3月から3年生となった高田永遠(とわ)さんは、三好工場第2機械部で職場実習中の身でもある。そんな高田さんが、そもそも学園に入学しようと考えた動機から話を聞いた。

生まれは岩手ですが、物心ついてまもなく愛知の豊田市に移り、そこから引越しを重ねて今は豊明市に住んでいます。中学2年生のときに、ひとつ上の先輩から「トヨタ工業学園に受かった」という話を聞き、そこではじめてトヨタ自動車という会社や、社内にあるトヨタ工業学園のことを知りました。

最初は受けるだけ受けてみようという軽い気持ちだったのが、先輩から「給料がもらえる」とか「寮生活できる」という話を聞いていくうちに、「今まで迷惑をかけてきた両親に恩返しができるんじゃないか」と思うようになり、だんだんと気持ちが固まってこの道に進もうと決めました。

もうひとつ、僕は小さいころから“おじいちゃん子”で祖父のことが大好きだったのですが、ちょうど学園への進学を考え始めたころに祖父が体調を崩していて、励ますために「初任給で何か買ってあげたいな」と思ったこともきっかけでした。

高田さんの携帯電話には、幼い頃に祖父母写った写真が今も保存されている

叶わなかった祖父への想いと苦悩の1年

「勉強は苦手でもコミュニケーション能力には自信があった」と笑う高田さんに、少し早いサクラが咲いたのは2018年2月のことだ。

学園の方から連絡があり、母と僕で合格の知らせを受けました。僕は嬉しすぎて、父より先に祖父母に伝えていました(笑)。ところがその日からまもなくして、祖父の状態が悪化していると祖母から連絡があり、急いで岩手に帰ることになったのです。祖父はだいぶ痩せてしまっていて、ほとんどしゃべることもできませんでしたが、耳はしっかり聞こえていたので「トヨタ受かったよ」と伝えることができました。

しかしながらその合格報告が、祖父にかけた最後の言葉になってしまったという。

それまでも大きな病気に耐えてきた“最強の祖父”なので、きっと持ち直してくれると信じて愛知に戻りましたが、戻ってすぐにまた祖母から連絡がありました。すると、普段は泣くことのない母が「お父さんが亡くなるかもしれない……」と急に泣き出して……。そのときのことは今でも印象に残っています。

祖父が呼吸不全で亡くなったのは、それから2日後でした。ずっと病気に耐えてきた生活が終わって、ゆっくり休んでほしいという思いが半分。もう半分は「初任給で何か買ってあげたい」という目標がなくなってしまった喪失感でした。学園でもそのために頑張ろうと支えにしていたものをなくして、しばらくは辛かったです。

2018年3月に入学を果たしてからも、半年あまりのうちに父方の曽祖父、そして祖父と身内の不幸が続き、「自分が学園に合格した代償なのではないか?」と苦悩の日々を過ごした高田さんは、学園生として大事な1年目を「目的もなく何となく過ごしてしまった」と悔いる。

自分では全力のつもりでしたが、あまり手応えもなく、とにかく訓練に耐えてやり切るだけという毎日でした。それでも上手くやり切れずにいろいろなミスをして、担任の石川指導員にはたくさん迷惑をかけました。私事で仕事に支障をきたしてはいけないと思いながらも、この時期はやっぱり辛かったですね。正直に言って、1年生のときは何のチャレンジもせずに、チャンスをフイにしてばかりの劣等生だったと思います。

祖父への想いと学園の看板を背負って

そんな高田さんがどん底の気持ちを奮い立たせ、もう一度頑張ろうと思い直すきっかけとなったのが、「オリンピック聖火ランナー」の募集だった。

中学生のときに陸上部で走っていたこともあり、僕が正月や夏期連休・冬期連休で岩手に帰るたびに、祖父はいつも「永遠が箱根駅伝に出たらなぁ」と口にしていました。応募用紙に向かっているときにふとそのことを思い出し、「箱根駅伝のランナー」と「聖火ランナー」を重ね合わせる…ではないですが、何か特別なものを感じたのです。

もしここで走ることができたら、天国の祖父も、岩手にいる祖母も、「自慢の孫だ」と喜んでくれるかなと、そんな思いで自薦文を書かせていただきました。

募集当初から聖火リレーを走りたいという学園生が続出したため、授業の一環としてクラス全員で自薦文を書くことに――。その中から選ばれたのが高田さんだった。

聖火ランナーに決まったという知らせを聞いて、本当に胸が熱くなりました。1年生の時はロクにチャレンジもせず、意味のない失敗というか、失敗とも言えないようなミスばかりして、自分をずっと劣等生だと思っていました。でも思い切って聖火ランナーにチャレンジし、こうして走ることになったからには、今までの自分を覆せるように努力しなければと思っています。

一方で石川指導員からは、聖火ランナーに選ばれたからといって「天狗になるな」とクギを刺されているので、その言葉をしっかり頭に叩き込み、常に謙虚・感謝の気持ちを忘れずに日々励んでいます。リレー当日はテレビカメラを向けられることもあると思いますので、学園のモットーである“強靭な身体”を鍛え上げ、学園の看板を背負っているつもりで走りたいです。

聖火リレーをゴールではなくスタートに

亡き祖父への想い、学園を背負う気持ち、そしてもうひとつ、高田さんには「走る理由」がある。

自分と同じように、劣等感で悩んでいる人に伝えたい思いがあります。それはチャレンジもせずに自分を責めたりするのではなく、まずは全力でチャレンジしてチャンスをつかんでほしい、チャンスさえつかめば変われるかもしれない、ということです。

今回の聖火ランナーもそうでしたが、自分より優秀な学園生がたくさんいる中で「あいつが出るならおれはムリだ」と諦めていたら、このチャンスをつかむことはできませんでした。ムリと思うからムリなだけであって、それを決めているのは自分です。

諦めずにチャレンジすれば誰でも……と言ったら言い過ぎかもしれませんが、僕は誰でもチャンスをつかめると思っています。自分の走る姿を通じてトヨタに関わる人はもちろん、これからトヨタを目指す人――数年前の自分みたいな中学生にも、その思いを伝えられたらと思っています。

聖火ランナーで大きく動き出した高田さんのチャレンジは、これで終わりではない。

将来、高田永遠という人間の歴史を振り返ったときに、聖火リレーがその第一歩というか、走ったことがゴールではなく、そこからスタートしたと言える人生を送りたいと思っています。10年経っても20年経っても、同じような自慢話をしているのはカッコ悪いですから(笑)。

祖母が住む地元に近い岩手県久慈市を走る予定だった高田さん。聖火ランナー選出の知らせを伝えた電話の向こうで、祖母は泣いていたという。「永遠が箱根駅伝に出たらなぁ」という故人の口ぐせを一番近くで聞いていた者にとって、その知らせは何にも代えがたい供養に感じられたことだろう。

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