「できない自分」を「やれる自分」に変えようと、オリンピック聖火リレーという大舞台に自ら名乗りを上げたその想いとは。
はじめに
(トヨタイムズ読者の皆さまへ)
いつもトヨタイムズをお読みいただきありがとうございます。
この記事は東京2020オリンピック聖火ランナーに選ばれたトヨタ社員を紹介する記事として3月26日の聖火リレースタートに合わせて連載開始を予定していました。
聖火ランナーのみなさんは、自分のために走るということではなく、走ることで“他の誰かのために”何かを伝えたいという想いを持っている方々です。
しかしながら、東京2020オリンピック聖火リレーは延期が決まり、今は走ることができません。
走る姿を伝えることはできませんが、トヨタイムズは掲載を延期せず、彼・彼女達が、どんな想いを聖火に乗せて運ぼうとしていたかを伝えるため、予定通り記事を掲載してまいります。
「オリンピック聖火ランナー」~誰かのために走る人~ 導入編はこちら
堤工場 塗装部 末宗淳之介
※オリンピック聖火ランナー選抜時在籍部署
福岡県宮若市出身の末宗淳之介さんは、小さいころから父親の運転するクルマの助手席に座り、「将来こういうものを作りたい」と憧れながら育った。近くにあるトヨタ自動車九州の工場見学をした際、職人の手による色の付け方にことさら感動したという彼は、高校卒業後の2017年にトヨタ自動車へ入社。縁あってプリウスやカムリを生産する堤工場に勤務している。
出社してまずやるのは手吹きスプレーガンのメンテナンスですね。塗料の吐出量が適切かどうかなど、しっかり調整します。工場のラインにボディ(自動車の車体)が流れ始めたら、私は「右フロント内鈑」という持ち場で色付けを行いますが、このパーツはドライバーの方が「いざ乗るぞ」というときに中を見られる部分なので、「いつでもいい色に見せてドライバーさんを楽しませたい」という想いで塗っています。
2020年1月からは『レクサスES』の生産が始まりました。まさか自分がレクサスを担当させていただけるとは思わなかったので、とても光栄ですし嬉しく思っています。一方でレクサスには“レクサス基準”というものがあり、最初のうちはまったく歯が立たなかったのですが、まわりの先輩方にアドバイスをいただきながら技術を磨き、今では満足いくレベルで吹き付けられるようになりました。
いいクルマづくりに関わることがレベルアップのきっかけになっていると語る末宗さん。約16名が所属する組の中で、 まだまだ身につけなければならない工程はたくさんあるが、将来的には担当工程をまとめる“組長”になることを目指している。
今お世話になっている組長のように、組の従業員をまとめて担当工程の問題を解決することはもちろん、「前」「中」「後」というすべての工程に関心をもって不具合を解消し、よりよいラインに変えていこうという姿勢を尊敬しています。自分もそんなふうに組をまとめて、チームで成果を出せるような組長になりたいと思っています。
「できない自分」から「やれる自分」へ
尊敬すべき組長の存在は、末宗さんの「オリンピック聖火ランナー」選抜にも一役買っていた。
ランナー募集があると聞いて「自分にもチャンスがあるかもしれない」と思い、恐る恐る手を挙げようとしていたところでした。そんなとき当時の組長が「やってみないか?」と自分に声をかけてくださり、まさに“渡りに船”という感じで「やりますやります」と(笑)。
自分の頑張っていることや走る意気込みなど、組長にもサポートいただきながら自薦理由を書いて応募したところ、ある日メールで選抜されたという旨の通知が届きました。「えー!」「まさか?」と汗ダラダラになるほどびっくりしましたが、組長をはじめバックアップしてくださった方々にいい報告ができてよかったです。
恐る恐るとはいえ自ら手を挙げ、周囲の手を借りてまでも「オリンピック聖火リレー」を走ろうと思ったのはなぜなのか。
まずあるのは、聖火リレーのような大舞台を走って輝きたいという個人的な思いです。そしてもうひとつ、もし聖火ランナーとして走ることができた暁には、小さな努力でもいいからコツコツ積み上げれば、こんな自分でも大舞台で輝けるということを世の中に発信したいと思ったからです。
「こんな自分でも…」と殊勝に語る末宗さんには、並々ならぬ苦難の生い立ちを乗り越えてきた過去がある。
小学校低学年の時に事故に合い、それ以来片耳が聴こえなくて、小さいころはコミュニケーションを取るのが苦手でした。相手の言っていることを聞き取れず、意味がわからなかったり勘違いしたまま話をしてしまって、学生時代は「空気の読めないやつ」とイジメに遭うこともたくさんありました。
親や先生に相談してもなかなか解決せず、引きこもりになりかけた時期もありましたが、テレビ番組や本を通じて同じようにイジメで苦しんだ人たちの体験談に触れ、彼らがどうやって乗り越えたのかを学びました。そこで自分は、多少ムリをしてでも「辛い」という気持ちを強行突破し、相手のことを「いちいち気にするな」と戒め前に進もうと決めたのです。
それ以来、自分から積極的にコミュニケーションを取ることでいろいろな方々に支えていただけるようになり、「できない自分」が「やれる自分」に変わっていきました。今回の聖火ランナーもまさにその結果です。私のように耳が聞こえない人や、障がいを抱えるすべての人たちに希望を与えられるように、努力すればこのような大舞台に立てるということを発信していきたいと思っています。
晴れて「オリンピック聖火ランナー」に選ばれたことで、新たな意識も芽生えはじめたという。
ランナーに選ばれた一人として、こうやって取材を受ける機会が増えるかもしれないので(笑)、毎日やっていることをいつもよりちょっとこだわってやってみようと。塗装の現場でも一つひとつの作業をよりよくやろうと心がけていますし、聖火ランナーとしてもよりふさわしいキレイなフォームで走れるように、仕事が終わって時間が空いたときは走り込みを欠かしません。
まわりの方から「末宗選ばれたのか!」と声をかけていただく機会も増えたので、そのたびに「これから頑張って走りますので、ご声援よろしくお願いいたします!」と、自分から宣伝するかのようにお応えしています。こうやって注目していただくのもひとつのチャンスだと思い、いろいろな人と触れ合うようにしていますね。
走り続けることで世界はもっと広がる
学生時代から走ることは得意で、長距離走なら陸上部員より速かったという末宗さんには、「オリンピック聖火リレー」の先にさらなるチャレンジの道が続いている。
聖火ランナーとして走ったあとは、「トヨタ社内駅伝」で塗装部のAチームに入ることが目標です。自分は今Bチームに所属していて、トップランナーに次ぐポジションで走らせていただいているのですが、今年から塗装部が成形部と統合される予定なんですね。
成形部にはかなりいいタイムを出している人がいまして、ひょっとしたら統合によって自分たちが飲み込まれて、チームに入れないかもしれないという危機感があります。もちろんそうならないように、「成形部の人たちには負けないぞ」という想いで日々の練習に励んでいます。
もともと友達の少なかった自分ですが、トヨタに入社して社内駅伝というイベントに参加することで、一緒に汗を流し切磋琢磨する“仲間” ができました。コミュニケーションを重ねることで親密な仲間になり、今までの自分にはなかった世界を広げてくれた彼らと、その機会を与えてくれた社内駅伝にとても感謝しています。
2020年4月3日、長野県飯田市を走る予定だった末宗さんは、「できない自分」を「やれる自分」に変えようと、陰の努力を惜しまずに走り続けてきた。オリンピック聖火リレーという大舞台に自ら名乗りを上げた経験は、次のチャレンジのステージを一段と高めてくれるに違いない。