連載
2020.04.14

第3回:「障がいのある子を持つすべての母親のために」【オリンピック聖火ランナー連載】

2020.04.14

障がいのある子どもを持つ杉原さんが「子どもたちのヒーロー」になるまでに乗り越えてきた苦難とは。

はじめに

(トヨタイムズ読者の皆さまへ)
いつもトヨタイムズをお読みいただきありがとうございます。

この記事は東京2020オリンピック聖火ランナーに選ばれたトヨタ社員を紹介する記事として326日の聖火リレースタートに合わせて連載開始を予定していました。

聖火ランナーのみなさんは、自分のために走るということではなく、走ることで“他の誰かのために”何かを伝えたいという想いを持っている方々です。

しかしながら、東京2020オリンピック聖火リレーは延期が決まり、今は走ることができません。

走る姿を伝えることはできませんが、トヨタイムズは掲載を延期せず、彼・彼女達が、どんな想いを聖火に乗せて運ぼうとしていたかを伝えるため、予定通り記事を掲載してまいります。

「オリンピック聖火ランナー」~誰かのために走る人~ 導入編はこちら

TPS本部 生産・物流領域 物流管理部 調達物流改革室 杉原香保里

2002年の入社から物流管理部一筋で、ずっと調達物流の仕事に従事してきた杉原香保里さん。2児の母親でもある彼女は、途中2度の育休期間を挟みながら今年で勤続17年目を迎えている。

現在は「調達物流改革」というプロジェクトの真っ只中で、仕入先がトヨタの工場まで納入していた物流を、全体最適を追究した効率的なものに再構築する大きな転換期にある。その中で社内の庶務的な仕事をこなすかたわら、さらなるステップアップを目指して社外との調整業務にも取り組み始めた彼女は、在宅勤務を活用しながら効率を高める“働き方改革”の推進者でもある。

職場では上司や同僚としっかりコミュニケーションを取ることを大切にしています。みなさんに助けてもらわないと、長く続けることってできないので。

そう言って人懐っこく笑う杉原さんが2度目の復職を果たしたのは20185月。それから1年ほどが経過し、職場でいつもの日常を取り戻したころに、「オリンピック聖火ランナー」の募集が始まった。

初めは「そんなのがあるんだ」くらいのもので自分には関係ないと思っていたのですが、家に持ち帰って子どもに話したところ、「お母さんが走ったらかっこいいのになぁ」と言われてしまいまして(笑)。やってみてもいいかな…とちょっとずつ心変わりしていった結果、「もし聖火を持って走れたら子どもたちのヒーローになれるんじゃないか」と思い、やってみようと決めました。

「なぜ走りたいか」を書いた応募用紙を提出し、最後は候補者の中から選出していただきました。まさか選ばれるとは思っていなかったので驚きましたが、とても嬉しかったです。子どもたちもすごく喜んでくれました。

諦めなければきっとまた働けると信じて

子どもたちの“声援”をきっかけに一歩踏み出し、「オリンピック聖火ランナー」として走ることが決まった今、杉原さんにはどうしても伝えたい思いがある。

実は次男には脳性麻痺という障がいがあり、2度目の復職までにはいろいろな苦労をしました。それでも私のように、「障がいのある子を持つ親でもこうやって働けるんだよ」ということを、同じように障がいのある子を持つお母さんたちに知ってもらいたいと思っています。

そのような心境に至るまでに、杉原さんは気が遠くなるような道のりを歩んできた。

本当は次男の2歳の誕生日に復職しようと思っていたのですが、脳性麻痺という症名がネックになり、他のお子さんの安全を保障できないという理由で市内の保育園や託児所からは入所を断られてしまったんですね。

でも私にはどうしても復職したいという思いがあったので、ソーシャルワーカーの方に相談して発達支援施設を紹介いただきました。その中でも親が付き添わずに預けられる保育園のような施設を探したところ隣の市にしかなく、そちらへ越境できるように手配いただいてまずは1年間通いました。

それでも私は、普通の保育園のように健常者のお子さんと過ごせる環境がいいなと思っていたので、子どものためにも施設探しを諦めませんでした。その後も役所の担当者と何度も面談し、子どもを連れて発達具合を見てもらうなど動き続けた結果、最終的には市が指定する保育園について認可を受け、今は近隣の保育園に通えているのです。

子を思う母親のなせる地道な折衝の末、20194月に保育園への入園がかなってから1年が経つ。

この1年の伸び方はとにかくすごかったです。発達支援施設では同じような子が多く、本人もそれ以上を望んでいないのかなという印象があったのですが、保育園にはいろいろできる子が多くて刺激を受けたみたいですね。

もともと手引き歩行で56歩進める程度だったうちの子が、他のお子さんに手を引かれて歩くうちに一人で歩けるようになったり、みんなが運動会の練習で走るのを見て自分も走ってみようとチャレンジを始めたり……。まだ転ぶことも多いのですが、今では走れるようにまでなって本当にびっくりしています。

この世からなくなってほしい言葉とは

子どもにとって望ましい環境を見つけ、自身も職場への復帰を果たすことができた杉原さんだが、障がいを持つ子どもの親が働くためにはまだまだ困難な現実があるという。

障がいを持つ子どもには発達支援施設が最初のステップになると思いますが、母親が一緒に付き添わないといけないというのがネックになるんですね。トヨタのように支援する制度や職場の理解がある会社であればいいですが、そうした環境がなければ仕事を辞めなきゃいけない……その状況はあまりに辛すぎるなと。

さらに言葉を続けようとした杉原さんはしかし、そこで不意にこみ上げてくるものをこらえることができなかった。

ごめんなさい……今でも思い出すと辛いんですけど、次男の預け先を見つけようと頑張っていたときに、市役所の担当者の方から言われた一言が……「障がいを持った子どもの母親が働かなきゃいけないんですか?」と……そう言われたことは、本当に辛かったですね。

わかってはいるんですよ。その子のそばにいてあげた方がいいかなっていう気持ちもあるんですけど、でもやっぱりそれだけじゃ苦しいじゃないですか。なんて言うんですかね、社会との関りが感じられなくなって、自分は本当に必要とされているのかなっていう……それが辛くて……。

相手の方はそこまで悪気はないのかもしれません。でも言われた自分としては「障がいのある子どもを持ったら働いちゃいけないの?」と思わされてすごく辛かったので、そういう言葉はなくなっていくといいなと思ってます。

チャレンジ精神と感謝の気持ちをつなぐ

幸いにも全力でサポートしてくれる上司や同僚の存在があったと杉原さんは語った。

本当に温かいですね。どんなときでも待っていてくれるし、仕事中に「頑張って」って声をかけてくれたり、休みの日に自宅に遊びに来てくれたり――そんな家族みたいな存在に囲まれながら、毎日楽しく働くことができて幸せです。

職場から聖火ランナーが選ばれたことで、物流管理部のあるフロアでは従業員総出で応援しようというムードに包まれている。杉原さんの所属するグループのリーダーは、「メンバー全員で仕事を切り上げて、いつでも応援に行く準備ができている」と笑う。

みなさんすごく応援してくださっていて、「観に行くよ」と声をかけてくださる方もたくさんいましたし、すごくありがたいなと思っています。

それにともなってあらためて思うのは、きっかけを作ってくれた子どもたちにチャレンジすることの大切さはもちろん、そうしたチャレンジはまわりのサポートがあってこそできることなので、支えてくれる方々への感謝の気持ちを忘れずに持ってほしいということですね。小さいのでまだわからないかもしれませんが、それを伝えていくことが聖火ランナーに選ばれたもうひとつの意味になると思っています。

2020年4月7日、愛知県大府市を走る予定だった杉原さん。しかし聖火リレーが延期になろうと、苦難を乗り越え戻ってこられたこの職場と、まるで応援団のような上司・同僚への感謝を胸に、まっすぐ前を向いてチャレンジを続ける杉原さんの姿は、二人の子どもたちの目にもきっと“世界で一人だけのヒーロー”に映るはずだ。

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