国内2輪メーカー4社と川崎重工、トヨタからなる技術研究組合「HySE(ハイス)」が水素エンジン車でダカール2024に参加。後編では開発現場やラリーの舞台裏に迫る。
カワサキモータース株式会社(以下 カワサキモータース)、スズキ株式会社(以下 スズキ)、本田技研工業株式会社(以下 ホンダ)、ヤマハ発動機株式会社(以下 ヤマハ)の2輪メーカー4社とトヨタ自動車株式会社(以下 トヨタ)の計6社からなる技術研究組合 水素小型モビリティ・エンジン研究組合「HySE(ハイス)」。
HySE:Hydrogen Small mobility & Engine technology
前編でお伝えした通り、「ダカール2024」に参加することを正式に発表したのは2023年9月のこと。ラリー本番を4カ月後に控えたタイミングだった。
国内外の3拠点で急ピッチで開発
「参加車両である『HySE-X1』の開発に着手したのが8月。11月にはポルトガルでの走行テストが予定されていたので、開発期間は3カ月ほどでした」
そう語るのは、「ダカール2024」の中西啓太プロジェクトリーダー(ヤマハ)である。
中西リーダーによると、すでにカワサキとヤマハは水素エンジンを研究していたが、ダカールプロジェクトではカワサキのバイク用998cc直列4気筒スーパーチャージドエンジンをベースとする水素エンジンを開発することに。
中西啓太プロジェクトリーダー
エンジンの適合は磐田にあるヤマハ本社で行いました。そのため、カワサキさん、スズキさんの3名のエンジニア・メカニックには、2カ月ほどヤマハに長期出張してもらいました。
一方、センサーやコンピューターのプログラム制御開発はトヨタ本社の技術部で行ったと、市川正明プロジェクト副リーダー(トヨタ BR GT事業室)は語る。
市川正明プロジェクト副リーダー
レースやラリーの環境で水素を安全に使うために、特別なレギュレーションが存在します。
トヨタは水素エンジンカローラでスーパー耐久(S耐)に参戦しているので、その制御プログラムを持っています。
例えば何らかのトラブルで水素が漏れたときに、それを検知して止める制御を行うためのプログラムです。
今回、水素エンジンカローラの制御プログラムをHySE-X1用に書き換えるため、カワサキさん、スズキさん、ホンダさんの3名のエンジニアにトヨタ本社に長期出張してもらいました。
ダカールプロジェクトでは、「人を鍛える」という側面もある。そのため、いずれの開発拠点にも30代前半を中心とした若いエンジニアが招集された。
さらに、車体については協力会社であるベルギーのオーバードライブレーシング社に依頼。
既存の車体フレームをベースに、水素燃料タンクや燃料供給系統の設置のためのレイアウト変更を行い、水素エンジンバギーに仕上げることにした。
こうして、国内外3拠点で急ピッチでHySE-X1の開発が進められた。
かなり厳しいスケジュールであるのはもちろんのこと、予期せぬトラブルにも苦しめられたと、中西プロジェクトリーダーは振り返る。
中西啓太プロジェクトリーダー
私たちヤマハでは、通常はトヨタの自動車用エンジンを開発しているので、そのテストベンチに2輪車用エンジンを載せられるよう調整するだけでも数週間が過ぎてしまいました。
開発とは直接関係ない部分でのトラブルが続いたこともあり、水素エンジンの適合に残された時間は実質2週間ほどでした。
10月下旬にはベルギーのオーバードライブレーシング社にエンジンやパーツを送り、車体を組み立てる必要がありましたので……。
トラブル続きの日々
HySE発足時から水素エンジンの基盤技術開発に携わってきた丸橋健人さん(カワサキモータース)は、磐田に長期出張したエンジニアの一人だ。
丸橋健人さん
自宅は兵庫県なので、出張の2カ月間は磐田市のホテルに宿泊しながらヤマハさんに通う日々でした。
ベンチ適合では、ダカールの苛酷な環境でも問題なく走れるようエンジン特性をマッチングしながら出力を追求しました。
するとエンジン自体の限界に近づき、さまざまな異常燃焼が発生してしまいました。
点火や水素をシリンダーに噴射するタイミングなどを最適化して異常燃焼が起きないよう適合させるのですが、ガソリンエンジンのように文献やデータが揃っていないため非常に難しかったです。
丸橋さんたちエンジン適合チームは、水素エンジンカローラで異常燃焼に対する知見のあるトヨタの担当者にも相談しながら、限られた時間のなかでベンチ上では何とか発生する異常燃焼を抑え込むことに成功したという。
「ダカール2024」への参加が決定したタイミングでプロジェクトに加わった西山宙さん(スズキ)も、ヤマハのテストベンチでエンジン適合に携わった。
西山宙さん
私はもともとレース関係の仕事がしたく、MotoGPに参戦していたスズキに就職しました。
レースではないですが、ダカールプロジェクトに参加できたのはエンジニアとして夢が叶った気持ちです。
私が担当したのは、エンジンにエラーが生じた際にどのような表示でドライバーに認知させて、どのようにエンジンを制御するか……そうしたことを検討してプログラムにおとしむことでした。
その部分についても、トヨタさんがS耐で培われた知見を参考にさせていただきました。
一方、浜松市からトヨタ本社に出張しプログラム制御開発に携わったのは、甲斐大智さん(スズキ)だ。
甲斐大智さん
ダカールラリーに参加するという話を聞いたとき、てっきり2025年の話だと勘違いしました。それほどタイトなスケジュールでした。
ただでさえ時間がない中で、「データがない」「パーツが届かない」などヒヤヒヤする毎日でしたが、逆に積極的に情報をつかみに行くなど、開発に対してよりアグレッシブに取り組むマインドが身につき、エンジニアとして少し成長できたと感じています。
すでにカワサキさん、ヤマハさん、トヨタさんが水素エンジンを研究されていたので、そうした知見をいただきながら何とか短期間で仕上げることができました。
制御開発チームのリーダーとして各社のエンジニアを迎え入れたのが、水素エンジンカローラの開発に携わっているGRパワトレ開発部の中野智洋主幹だ。
中野智洋主幹
トヨタとしては、今まで水素エンジンカローラで得た知見を各社に共有させていただくことで、水素エンジン自体を広めたいと考えています。
今回の水素エンジンでは、ベースとなる制御プログラムのほかにいくつかの部品もカローラのものを使っています。
中野主幹によると、開発ではエンジン適合チームと同様にさまざまなトラブルが生じた。
そもそもトヨタには他社のエンジニアが常駐するという前例がなかったため、共に開発を進めるための体制づくりからして、社内調整に時間を要したという。
さらに部品の調達にも苦労した。開発期間が2カ月しかなく、プロジェクトがスタートした時点で部品の発注期限が過ぎていたからだ。
中野智洋主幹
社内外の各所を駆けずり回って部品を調達しました。例えば、シリンダー内の燃焼状態を監視するコンピューターはどうしても入手できず、WEC(FIA世界耐久選手権)のエンジンを担当しているGRのメンバーにお願いして借りることにしました。
意外にも、異なる会社から集まったエンジニアたちとの協働については、想定していたよりスムーズに進んだという。
中野智洋主幹
やはり水素エンジンの技術を一緒に追求して、一日も早く社会に実装させたいという共通の想いがあったからだと思います。
例えば開発の進め方が慎重であったり大胆であったりと、企業文化の違いを感じたのも確かです。
とはいえ、モータースポーツのアジャイルな開発の中で、S耐での水素エンジンカローラでの経験も踏まえながら、ある程度の大胆さと多少の慎重さといった具合にバランスをとりながら開発を進めていきました。
走りたくても走れない!?
10月下旬、国内での開発を無事に終えたメンバーが組み立てのためにベルギーのオーバードライブレーシング社に合流してからも、トラブルは続いた。
最も困ったのが、水素タンクや電装系などの部品が届かなかったことだと、市川プロジェクト副リーダーは言う。
確認すると、税関のルールが変わり部品が止められていたのだ。
市川正明プロジェクト副リーダー
何とか11月初旬に車両が組み上がり、オーバードライブレーシング社の敷地で試走して、動作確認はできました。
その後、ポルトガルでテスト走行に臨んだのですが、一瞬で止まってしまったんです。エンジンの駆動力をCVTに伝えるチェーンが切れてしまったためでした。最短だと200mほどでチェーンが切れてしまう。
その都度、オーバードライブレーシングの担当者に改良してもらったのですが、テストの初日はトータルで3kmも走れませんでした。
理事から「最悪の場合はスタートとゴールだけでもデモ走行させよう」という声があがったほどでした。
中西啓太プロジェクトリーダー
年が明けてダカールに入ってからのことです。1月3日に現地で最終事前テストを行ったところ、一度も止まらずに1日中走ることができたんです。
オーバードライブレーシング社がチェーンからギア駆動に改良してきたのですが、それが機能したためでした。
そこで初めて「何とか行けるのではないか」という手応えを感じることができました。
一方エンジンに関しては、車両が組み上がったときに一度だけ水素漏れが検知されたのですが、テスト走行があまりできなかったこともありトラブルは出ませんでした。
ホンダがアサインしたドライバーも、オーバードライブレーシング社が手配したコドライバーも、ほぼぶっつけ本番だったという。
ダカールでの最も苛酷な体験
かくして1月5日、サウジアラビア北西部アルウラで「ダカール2024」のスタートは切られた。
中西リーダーをはじめとするプロジェクトメンバーは、テスト走行の結果から満タン時の走行可能距離を70~80kmと想定。ところが、1月7日のステージ2では105km、翌日のステージ3では108kmの距離が設定された。
そこでメンバー全員でルートと路面状況を分析し、これまでのデータ分析結果をもとに作戦を立案。ドライバーとコドライバーが着実に実行することで、無事に完走を果たした。
気になる給水素についてはどうか?
市川正明プロジェクト副リーダー
主催者が手配したポルトガルのPRF社製移動式水素ステーション1台と大型トレーラー2台が毎日キャンプ地に移動し水素を供給してくれました。
給水素作業は基本的にS耐の水素エンジンカローラと同様です。
HySE-X1のほかにもFCEV(燃料電池車)の乗用トラック、水素とバイオディーゼル燃料を混焼する大型トラックが水素を利用しました。
11日のステージ6は厳しい試練のステージとなった。砂丘のみの45kmのコースだったが、フル加速しないと上れない斜面と、柔らかい砂の路面に駆動ロスが発生し燃費が悪化。さらに前輪に駆動力を伝えるシャフトのトラブルで、砂地にスタックしてしまう。
中西啓太プロジェクトリーダー
トラックに救出の依頼をしたのですがそのトラックも横転してしまいました。
砂漠の気温は昼間は30度を超えますが、夜は0度近くまで下がります。そんな中、別のトラックが来るまで12時間以上も待つ羽目になりました。
さらにキャンプ地までは900kmも移動する必要があり、結局到着したのは翌朝でした。これがダカールで最も苛酷な体験でした(笑)。
1月14日のステージ7は大会最長距離となる113kmが設定されたが、途中ミスコースもあり95km地点でガス欠によりストップ。
さらに、94kmのステージ9でも柔らかい砂地による駆動ロスで燃費が悪化し、リタイアに。
一方、77kmの中距離で路面も固めだったステージ8では、蓄積したデータや経験からフルアタックで臨み、主催者が設定したタイムより速く走破。ボーナスポイントも付与されたという。
こうして1月19日、HySE-X1は無事に最終ゴールを迎える。走行距離は830km。922kmの90%を走破したことになる(プロローグステージを含む)。
ちなみに、ダカールラリーのレギュレーションでは70%以上走破すると完走とみなされる。ミッション1000には10台が参加したが、見事に4位を獲得した。
ダカール2025における課題と成果
HySEはダカール2024への挑戦を通してどのような成果を得たのだろうか?
市川正明プロジェクト副リーダー
高度が上がると空気が薄くなる。それに合わせて水素を噴射する量を補正すると、より理想的な状態でエンジンを回すことができます。
今回はその部分のプログラミングが不完全だったので、今後の課題にしたいと考えています。
テストベンチ上では発生しなかった異常燃焼も検知し、異常燃焼に関する膨大なデータも得ることができました。
中西啓太プロジェクトリーダー
排気ガスを測定すると、まだまだ水素濃度が高い。つまり水素を奇麗に燃やし切れていないわけです。
より効率よく燃焼させることができれば、タンク容量は変えずにパワーアップや燃費向上が図れます。
ダカール2025ではその辺りをターゲットにし、その次のステップとしては水素に特化したエンジンを開発したいと考えています。
では国際的なステージで水素エンジンの可能性を全世界に知っていただき、共感していただける企業の仲間をつくるという点ではどうだったのか?
市川正明プロジェクト副リーダー
他チームから水素エンジンを売ってくれないかという話をいただきました。
別のラリーの主催者からは、ぜひエントリーしてほしいという依頼もありました。
またFIA(国際自動車連盟)のベン・スライエム会長にもHySEのプロジェクトに賛同していただき、車両製作時にはFIAの技術部門からサポートしてもらいました。
確実に仲間が増えていると感じています。
中西啓太プロジェクトリーダー
ミッション1000に参加しているチームはBEV(電気自動車)やFCEVなどの電動車が多かったこともあり、エンジン音についても現地で非常にウケがよかったです。
表彰式ではドライバーが“フォンフォンフォン”とエンジンサウンドを轟かせたのですが、会場が大いに盛り上がったのが印象的でした。
HySEの小松賢二理事長は、今後も水素エンジンの基盤技術の確立にしっかりと取り組みながらダカールラリーへの参加も継続したいと力強く語る。
水素エンジンの可能性を世界に向けてアピールし続けることで、インフラも含めて水素エネルギーにまつわる期待感を醸成し、仲間づくりや投資につなげるためだ。
2025年以降のダカールラリーでは新たな水素エンジンを搭載したバギーがどのような結果をもたらし、どのように仲間の輪が広がっていくのか。トヨタイムズではこれからもHySEの取り組みに注目していきたい。