今年、新たに"プレジデント"となった3人を、自動車研究家 山本シンヤ氏が直撃! ラストは水素ファクトリー山形光正プレジデント編。これまでのトヨタマン人生を掘り下げた。
自動車研究家 山本シンヤ氏によるトップインタビュー第3弾は、7月に発足した水素ファクトリーの山形光正プレジデント編。
第1弾の佐藤恒治社長編、第2弾のBEVファクトリー加藤武郎プレジデント編に続いて、今日までのキャリアや個性、クルマ愛を掘り下げてもらった。
入社以来、エンジンにどっぷりつかってきた山形プレジデントが水素を任されるに至った経緯は? 新組織トップに就いて見える水素の可能性とは?
三者三様のキャリアを歩んできた3人だが、山本氏は取材を通じて、ある共通点に気が付いたという――。
現場で教わった「クルマは乗ってつくるもの」
(以下、山本氏執筆)
山形氏が自動車会社に入りたいと思ったのは高校3年生の頃、TVで見たル・マン24時間でのピットクルーの姿だった。
レース後に、抱き合って、泣いて喜んでいるのを見て「自分はレーサーにはなれないけど、モノをつくる側で、こんなカッコいい仕事があるんだ」、「この世界に行ってみたいな」と思いました。
大学、大学院とずっとエンジンの開発をしていました。就職活動で自動車メーカーに入りたいと思っていましたが、ル・マンに出ていたメーカーはトヨタ、日産、マツダの3社。
「どこかに行けるといいな」と漠然と思っていましたが、縁があってトヨタに入社することになりました。
希望通りにエンジン設計部に配属されたが、最初の仕事はエンジン本体ではなく、エンジン搭載設計(エンジンマウントやラジエーターなど)を担当。
当時、その仕事はエンジン部が担当していましたが、現在は組織変更で車両設計に移っています。
そのような立ち位置だったので、エンジン部だったのに、エンジンの人とほとんど仕事はしておらず、実験部や車両側の人たちとクルマに乗ってエンジンマウントのチューニングなどをしていました。
最初は「えーっ!!」でしたが、結果的には良かったと思っています。
エンジン部でありながら他の部署と連携する部位の担当だったことから、当初から領域を超えたコミュニケーションができたのだ。
だいたいエンジン部はどの会社でも威張っていることが多いと言われています(笑)。そんな中で、車両設計の人たちと一緒にいる時間が長かった。
当時は担当車種も多く、1人で10車種ぐらい見ていました。毎日、いろいろなクルマに乗り、アイドル振動や乗り心地などを評価。実験部の人たちには、「クルマは一緒に乗ってつくるもの」と教わり、育てていただきましたね。
初めて設計した部品は、ビスタ・アルデオ用のラジエターブラケットでした。
勝手も分からない中、断面係数などを計算して図面を書いた記憶がありますが、ちょっと形が良くなかったようで量産になった時には形が変わっていました(笑)。
突如巡ってきた大仕事
そんな修行を経て、念願のエンジン本体を担当。そこからエンジン設計や新エンジンの企画を行うようになる。
当時はトヨタが右肩上がりの時代で「エンジン本体をやる人間がいない」ということで、急遽異動。最初にやったのが3気筒のKRエンジンでした。
このエンジンの企画はダイハツ2名、トヨタ2名の計4名でスタート。私はシリンダーヘッドや吸排気系を担当しました。
搭載設計から異動して僅か2~3カ月後にエンジン本体、それも重要なシリンダーヘッドをやるよう言われ、だいぶ混乱しながら開発をした記憶があります。
トヨタに入って携わりたかった仕事が、早い段階で実現してしまったのだ。
私のイメージではシリンダーヘッドはエンジンの中で一番難しい部品で、大ベテランの先輩方が最後にたどり着く部品だと思っていました。
ただ、エンジン設計部の上司に堀弘平さんというちょっと尖った方がいまして、「ベテランじゃないとシリンダーヘッドが設計できないなんて、古い!!」と一喝。
「俺が先生になってやるから」と業務外の土曜日に指導を受けながら図面を書きました。
ある時、「ここの吸気ポートの形ですごく悩んでるんですけど」と質問すると、「あそこに資料があるからあれを見て書いてみろ。それからまた来い」と。
土曜日の朝から資料を読んで計算するのですが、夜終わる頃には、堀さんはすでに帰っていました。
「実はこれ、月曜日で良かったのでは?」と自問自答しながら仕事をしたことを、今でも覚えています(笑)。
そんな鬼の指導を受けて完成したKRエンジンは、トヨタ/ダイハツのさまざまなモデルに搭載。そして、立ち上がりから3年目にインターナショナル・エンジン・オブ・ザ・イヤーを受賞している。
現在もアイゴ(欧州専売モデル)に搭載されており、息の長いエンジンです。まだ素人同然の私が開発したんですけどね(笑)。
TNGAの源流となった先行開発
その後、さまざまなエンジンの計画~立ち上げに携わるが、2009年頃に「次の世代を考えよう」という話が出てきたそうだ。
当時は、エンジンをやっている人はエンジンだけ、車両をやっている人は車両だけとなっていましたが、私は搭載設計をやっていた経験があったので、「クルマ全体を見て、一番いいエンジンがつくれないかな?」と思っていました。
そんな中、上から「新しいエンジンシリーズのパッケージを考えてほしい」と。それはFF系のトヨタの全エンジンラインナップを同時に検討するという話でした。
要するに、TNGA源流とも言える先行検討を、山形氏が託されたのである。
当時のトヨタの横置き4気筒エンジンの搭載角や排気方法はバラバラでした。車両側の人からすれば「もうやってられるか!!」という気持ちだったと思います。
ただ、この検討はリーマンショックの影響でお蔵入りになりましたが、「さすがにもったいない」と3冊の技術報告書にして残しました。
その後、TNGAの開発が本格的に始動した際に、この技術書が大いに役に立ったのは言うまでもないだろう。
従来のエンジンはエンジニアの個性を出す方向で、良いエンジンをつくっていました。
エンジンの個性だけではなくて、車両全体のパッケージで「これが一番いい!!」と思える結論が出せたのが良かったし、それを次の人たちが引き継いでくれたことがすごく嬉しかった。