幻のレーシングカーの復元プロジェクトを追う。第4回前編では、最年少リーダーを中心とするエンジンチームの奮闘を紹介する。
トヨタ社内で今、復元が進む幻のレーシングカーがある。それは誰がどんな想いで、どんな目的で開発した、どんなマシンだったのか。その歴史と意味、そして復元の現場をリポートする特集企画。
第4回は、エンジンのレストアを担当したチームの奮闘を紹介する。
保存されていたS型エンジン
トヨペット・レーサーは、今から70年以上前の1951年に2台だけが製作されたレーシングカー。車輪とドライバーがむき出しになった「オープンホイール」の葉巻型ボデーをしている。車両は現存していないため、チームスタッフは当時の写真やベース車両の図面を頼りに、シャシーや足回り、ボデーなど多くの主要部品をゼロから製作することになった。
ただ、幸運なことに当時のものを活用できるユニットもあった。1947年10月から生産が始まり、トヨペット・レーサーにも搭載されたトヨタS型エンジン(初代)だ。愛知県長久手市にある「トヨタ博物館」には、トヨペット・レーサーのベースとなったトヨペットSD型乗用車の前身モデルであるトヨペットSA型乗用車とともに、S型エンジン単体が1基、保管されていたのである。
トヨタS型エンジン(初代)は、第二次世界大戦敗戦直後の1945年9月に設計がスタートし、1年後に完成。ボア×ストロークが65×75mmというロングストローク型、圧縮比6.5、排気量995ccの直列4気筒エンジンで、1959年8月まで生産された。トヨタは戦前から、エンジンの動弁機構に燃焼室を小さくし、出力や燃費を向上できるOHV(オーバー・ヘッド・バルブ)形式を採用してきた。だが、S型エンジンは物資や設備が欠乏していた戦後の当時の状況を踏まえ、機構がシンプルで生産しやすく、整備も容易なサイドバルブ方式を採用。1937年8月に始まるトヨタの歴史の中で、唯一のサイドバルブエンジンである。
エンジンを担当するチームの仕事は、トヨタ博物館で眠っていたこのS型エンジンをレストア(修復)し復活させること。そして3人のメンバーが選ばれた。
三者三様のフレッシュチーム
エンジンのレストア作業を担当するのは、鈴木修平、仲程慈英、石黒萌の3人。
鈴木修平は入社2年目。トヨペット・レーサー復元プロジェクトチームのメンバーでは、いちばんの若手だ。第1パワートレーン開発部の量産エンジン設計グループに所属、エンジン本体の骨格設計に携わっている。大学時代には自動車技術会が主催する、未来の自動車エンジニアを育成するためのフォーミュラカーコンテスト「学生フォーミュラ」にメカニックとして参加していた経験があり、上司から指名されてこのプロジェクトに参加した。
部長からメールでいきなり指名されました。「学生フォーミュラで慣れているだろう」と。当時は「入社1年目の新人を指名することがあるか」と驚きました。プロジェクトでの成長を期待しての指名と言われました。僕の中では「なんとかやれそう」という自信と「絶対に失敗できない」というプレッシャーで葛藤し、正直泣きそうでした(笑)。
仲程慈英は入社6年目。モノづくりエンジニアリング部のNCデータ課で機械加工によるレース用エンジン部品の製作を担当してきた。プロジェクトチームについては、主に開発や設計を担当する技術系社員を対象に公募された。一方、仲程は製作の現場でものづくりに携わる技能系社員だが、たっての希望で自ら応募し、部長の面接で熱意を認められ、メンバーに選ばれた。
これまで仕事で手掛けることができたのはエンジンヘッドなど、クルマの一部だったので、クルマ全体に関わる仕事をぜひやってみたい。それが今回の公募に手をあげた理由です。ブロジェクトチームの最初の会議に出たら、技能系のメンバーは私一人だったので、うれしさ2割、不安8割でした。
石黒萌は入社5年目。プロジェクトチーム発足時は試作部に所属。大学時代は半導体を研究していたが、入社後は情報システム部門に。開発試作部に異動後はVR(バーチャルリアリティ)やXR(クロスリアリティ)技術でパッケージングや内外装のシミュレーションを行うなど、車両開発の支援を行っている。
プロジェクトのことは所属部署のグループ長から説明されました。私はクルマを空間として捉え、移動する楽しい空間をつくりたいという視点でこれまで仕事をしてきました。今回は、プロジェクトチームのみんなをデジタル技術で支援しようと思って参加しました。復元したトヨペット・レーサーを博物館で展示する際のVR映像をつくるとか……。これまで製造現場での研修もなかったので、エンジンに触るのは初めて。まさか自分が作業着を着て油まみれになるとは思っていませんでした。
2020年11月19日に行われたプロジェクトの初ミーティングでエンジンを担当することに決まった3人は、いよいよトヨタ博物館で保存されていたS型エンジンのレストアに取り組むことになる。
そして、エンジン担当チームのリーダーには鈴木が抜擢された。
プロジェクトメンバーの中で唯一のエンジン設計部署だったので、最初のミーティングの際にエンジンリーダーに任命されました。光栄ですが、やはりプレッシャーは大きくなるばかりでした。また、周りが先輩ばかりだったこともプレッシャーの要因でした。「若手を集めたプロジェクト」と聞いていたので他にも新入社員はいると思っていたら、新入社員が帽子に着けるFM(フレッシュマン)バッジを着けているのは自分だけでびっくりしました。
エンジン担当チームの3人が掲げた目標は「出力30馬力オーバー」。これはS型エンジンを搭載した最初のモデル「トヨペットSA型乗用車」の定格値として記されている「27馬力」を超える数値で、同エンジンを搭載した最後のクルマ「トヨペット・コロナ(初代)」の定格値、33馬力に迫るものである。ただエンジンを動くようにするなら誰でも出来る、自分たちは復元の中で先人たちを超える、という想いを込めた目標だった。
「目指せ30馬力オーバー」を合言葉に、3人の取り組みが始まった。
「現代の名工」の熱血指導
エンジンチームには、社外に頼りになるパートナーがいた。1949年に創立され、トヨペット・レーサーが企画・開発された1950年からトヨタ自動車のパートナー企業である新明工業だ。
同社は自動車工場の生産設備、金型製造などを手掛けるとともに、自動車整備や特殊車両の製作、新型車の試作開発、そしてトヨタ博物館などに収蔵されているヒストリックカーのレストアも業務として行っている。トヨタ博物館に展示されてトヨペットSA型乗用車のレストアも、新明工業が手掛けたものだ。
新明工業で3人にレストア作業を直接指導してくれたのが、長年同社のレストア部門を率い、現在は顧問を務めている石川實(みのる)氏。ヒストリックカーの世界では伝説的な存在として知られるメカニックだ。15歳のときに仕事を始めて現在83歳。つまり70年近い経験を持ち、自動車整備の分野で「現代の名工」にも認定され、黄綬褒章も受賞している。
レストア作業はまず、保管されていたエンジンの分解作業から始まった。ボルトやシール材を外してエンジンをバラバラにする。そして部品を一つずつチェックし、それぞれの部品がどのような状態で、どうすれば使用できるのか見定めるのだ。
石川氏は、今回のS型エンジンを誕生したときからリアルタイムで知っている。だが3人にとっては、当然ながら初めて目にするエンジンだ。
サイドバルブの分解は初めてでした。現代のエンジンよりも圧倒的に部品点数が少なく、分解は想定よりも早く終わりました。錆こそあるけれど摺動部は思ったよりもキレイだな、というのがエンジンを分解したときの最初の印象です。これならイケる、と思いました。
そもそもサイドバルブのエンジンを知らなかったので、「なんだろう、これは?」というのが最初の印象です。普通のエンジンはシリンダーヘッドの中にバルブが設置されているので厚みがあります。でもサイドバルブの場合、バルブがエンジンの側面にあるので、ヘッドがとても薄い。何でこんなに薄いのか、と思いましたね。
自動車会社に勤めていますけれど、エンジンの分解組付けは、これまで一度も体験したことはなかったので「エンジンって、こんな構造なんだ」と感心しましたし、勉強になりました。
“先生”となるもう1基のエンジンを発見
作業に取り掛かって間もなく、チームにとって大きな出来事があった。当初、レストアするエンジンは1基の予定だったが、幸運なことにもう1基のエンジンが発見され、そちらを先生としてレストアを進めることになったのだ。
実は新明工業は2017年3月に「トヨペット・レーサーの生みの親」である豊田喜一郎をモデルに製作・放送されたドラマ「LEADERS Ⅱ」に登場するヒストリックカーのレストアを担当しており、撮影時に使用されたS型エンジンが社内で保管されていた。数年前までは動いていたこのエンジンを先生として、レストアできることになったのである。メンバーはこの先生をドラマ「LEADERS Ⅱ」に使用されたことから「リーダーズ号」、レストアするエンジンをチームリーダー鈴木の名前から「スズキ号」と命名し呼び分けたという。
エンジンを分解する際には、下手に分解すると簡単には元に戻せなくなるため不用意にバラバラにしてはいけない部品もある。3人は石川氏の指導を仰ぎながら、丁寧に分解を続けた。そしてエンジン分解を終えると、次は「使える部品」の徹底的な洗浄や再研磨に取り組んだ。
部品を再使用するための洗浄や研磨のノウハウを教えて下さったのも石川さんたち新明工業のみなさん。エンジンは長期間保管されていたため、錆等の汚れが多く、作業時間の多くを部品洗浄や修復にかけました。
2基体制になり作業量は増えたが、3人は協力しながらエンジンの分解と部品の状態確認、さらに洗浄作業を続けた。
次回の後編では、本格的に始まったレストア作業についてリポートする。
(文・渋谷康人)