第3回「図面を読み解け」 頼りは経験と想像力──トランスミッションチームの挑戦(後編)

2022.04.22

幻のレーシングカーの復元プロジェクトを追う。第3回はトランスミッションチームに焦点を当てる。

トヨタ社内で今、復元が進む幻のレーシングカーがある。それは誰がどんな想いで、どんな目的で開発した、どんなマシンだったのか。その歴史と意味、そして復元の現場をリポートする特集企画。

3回後編は、トランスミッションチームによるモノづくりについてリポートする。

オリジナルに従い、シフトリンクを 1、2 速には入れられない構造に

トランスミッションチームはいよいよ具体的なモノづくりの段階に入った。

第3回前編で伝えた通り、飛鳥秀明、本多竜規、そして石田秀直の3人にとって一番の課題であり挑戦は、4速マニュアルトランスミッションの設計と製作だ。そこで彼らは 70 年前の設計図を参考にして部品の設計を進めた。

SD 型のオリジナルのトランスミッションは前進4速、後退1速。ところが、トヨペットレーサーの諸元には「前進は3、4速。後進なし」とあった。これをもとに3、4速のみシフトを入れることができる、つまり3速で発進し、4速にギアを上げて走る仕様にした。前進4速なのに事実上は2速だったというのだ。高ギア比の1速、2速ははそもそもトラックを考慮した設計のようで、SD 型でもほとんど使われていなかったと推測される。

飛鳥

当時のものも、ギア自体は4速すべてが使える状態だったと思います。でも、シフトリンクを1、2速には入れられない構造にしてあった。私たちもそれに従って、同様にシフトリンクを1、2速には入れられない構造にしました。

わずかな資料をもとに、こうした細部まで検証し、忠実に復元したのだ。

モノづくりにおける若手と「オヤジ」たちの共創

第2回で紹介したように、今回のプロジェクトは「トヨタの未来のクルマづくり」を担う若手育成も大きな目的。そこで3人はトランスミッションの製作や組み立てについて社内のクルマづくりのベテラン、通称「オヤジ」たちに助言、指導、協力を仰いだ。

今回、3人に全面的に協力し、部品の製作や組み立て作業の指導をしてくれた「オヤジ」が、モノづくりエンジニアリング部の幸丸研二(こうまる けんじ)と、パワートレーン製造基盤技術部の為末裕之(ためすえ ひろゆき)。いずれも職歴 2030年というベテラン技能者だ。

幸丸

私はトヨタに入社して 31 年目です。2021 年の 3 月ごろに、復元プロジェクトに参加する同じモノづくりエンジニアリング部の若いメンバーから「トランスミッションや足回りの部品をつくりたいんです。全部で200くらいあるんですが」と相談されました。そのとき初めてトヨペット・レーサー復元の話を聞きました。そんなマシンが70 年前にあったことを初めて知り、スゴイことをやっているな。「これは力にならないと」と思いましたね。

議論を重ねるメンバーを見守る、モノづくりエンジニアリング部の幸丸(写真中央)

為末

私もこのとき初めてトヨペット・レーサーの存在を知りました。「久しぶりにFR(後輪駆動)のマニュアルトランスミッションを扱うことができる」とうれしくなりました。私は入社して30年で、そのうち24年間はトランスミッションの試作を担当してきましたが、振り返るとFRのマニュアルトランスミッションの試作はタクシー用をはじめ数種類くらいしかありませんでした。でもそれは、クルマづくりの原点ともいえるメカニズムですから。

メンバーに指導をするパワートレーン製造基盤技術部の為末(写真左端)

ところで、トランスミッションの復元において最も大きな部品が、鋳造でつくるトランスミッションケース。だが、外注すればそれだけで数百万円の費用が掛かってしまう。社内で製作するにしても、当時そのままの製造方法では、型をつくるのに高いコストと長い時間がかかる。

そこで、また別のオヤジの協力を得て、3Dプリンタで型をつくる技術を活用したのだが、その辺りのデジタル技術を駆使した試みについては、改めて次回以降にテーマを設けて掘り下げていく。

鋳造部品は電気炉で溶かした金属を砂型に流し込んでつくる。昔から複雑な形状や大型部品づくりに用いられてきた加工法だ

思いがけない「幸運」

復元するトランスミッションの部品製作に取り組み始めて3カ月程たったころ、彼らに予想していなかった幸運が舞い込んだ。オリジナルのミッションが見つかったのだ。

飛鳥

復元を進める中で、新たにトヨペットSD型のエンジンとトランスミッションが見つかり、レストア(元の状態に戻す)することにしました。復元を目指す上での「教科書」にもなりますし、厳しい全体日程の中、トランスミッションが車両試走に間に合わない可能性がありました。クルマを走らせてみて初めて分かることもあります。早い段階でクルマを試走できる状態に持っていくためにも、復元とレストアを並行して進めることにしました。

)復元プロジェクトの協力会社である新明工業に残っていたトヨペットSD型のエンジンとトランスミッション

レストア作業にも特別な技術やノウハウが必要だ。新たに抱えたこの作業を力強くサポートしてくれたのも、為末とモノづくりエンジニアリング部のメンバーだった。

まずは組み付けられた状態のトランスミッションを、一つひとつの部品にバラさなければならない。だが、内部は想像していた以上にさび付いていて、3人は頭を抱えた。また、ギアを貫通しているシャフトがどうしても抜けない。

内部がひどくさびついた、オリジナルのトランスミッション

石田

サビ落としには、どんなものを使って磨くかなど、知る人ぞ知る特別なノウハウがあります。為末さんは私たちに、そのやり方を教えてくれましたし、多くの作業をご自身でもしてくださいました。

為末
シャフトはギアに圧入されていたので、ある程度の衝撃を与えたら抜けるのですが、3人は「部品を壊してしまうかもしれない」と思ってできなかったようです。でも、彼らなりによく頑張ったと思います。最初は手作業でやっていました。でもシャフトのさびはひどくて、最後は機械を使って行いました。

熟練の技で、慎重にかつ手際よくさびついたトランスミッション分解していく為末

想像をするだけでも気の遠くなるような作業だ。為末とモノづくりエンジニアリング部の全面協力で、すべての部品を磨き上げ、オリジナルのトランスミッションのレストア作業は完了した。

磨き上げてから、組み直したオリジナルのトランスミッション。旧車の味を残しながらも、見違えるほどに

「ベテランも初めて」の復元マニュアルトランスミッション製作

70年前の設計図をベースに復元するマニュアルトランスミッションは、現代のものとは、構造や部品の形状がまったく違う。「オヤジ」として協力したベテランの幸丸や為末にとっても、このような構造のミッションの部品製作や組み付け作業は、今回が初めての経験だった。

為末

オリジナルのレストア、新たに製作するトランスミッションの製作と組み立て。どちらも関わらせてもらいましたが、新たに製作する方が正直なところ、大変でしたね。

幸丸
新たに製作する作業では、ギアや構成する部品に、どんな金属材料を使えばいいのか。強度を確保するためにどんな熱処理をすればいいのか。まず、この点が問題でした。何しろ彼らが持ってきた昔の設計図には、今では使われていない素材が書いてあります。しかも、寸法公差(設計図の数値から許容される寸法の誤差)も設計図には書かれていません。そこで結局、自分たちで代わりの素材や、寸法の数値を決めてつくることにしました。

モノづくりのプロである幸丸らとともに、オリジナルのトランスミッションの部品を確認し、新作トランスミッションの部品仕様を検討した

普段はやらない「現物合わせ」で

飛鳥、本多、石田の3人は、歯車やシャフトなど、新作トランスミッションの主要部品の製作に、モノづくりエンジニアリング部の指導、協力を受けながら懸命に取り組んだ。それは3人にとって、すべてが初めての経験だった。

復元するトヨペット・レーサーはたった1台。だから200種類近い部品を、1品だけ製作しなければならない。ベテランの2人にとっても、これは普段の仕事にはない特別な経験だった。

ベアリング、 ブッシュ、オイルシールなどは、当初の方針通り、各部品の汎用品を活用することにした。そこで3人が取り組んだのが、地道で緻密な検討作業だ。

断面図などの限られた情報を頼りにしながら、まず部品の必要性能を確認。周辺にある部品との隙間などを考慮しながら、仕様が違う汎用品でも、使えるかどうかを一つひとつ検討したのである。その結果、社内で製作した部品を除いて、必要な部品を汎用品から調達することができた。

そしていよいよ3人は、トランスミッション組み付けのエキスパートである為末の指導のもと、自分たちが設計し製作したトランスミッションの部品を組み付ける作業に入った。

本多が為末に指導を受けてギヤをトランスミッションに組付けしている場面
為末

いざ組み付け作業を始めてみると、いろいろなことが起きましたね。途中で部品が足らない。そこで3人が急いで設計・製作したものもありました。また、回転する部品を組み付けてみたものの、隙間がなさ過ぎて回らない。そこで部品の一部を削って回るようにしたり、とか。普段の仕事でも絶対にやらない「現物合わせ」をやりましたね。

本多
通常の設計業務では、寸法や幾何公差が記載された部品図を構成部品全てに対して作成し、部品同士の隙間の確認や搭載位置の検討を行ってから、部品の製作を依頼しています。また、部品の製作現場では、設計図面を基に粗材寸法や型寸法を決めた上で仕事に取りかかっています。

でも、今回の部品製作では、現場でトライ&エラーを重ねながら部品の寸法をつくり込んでいくことがありました。その際は、部品の機能を把握した上で「モノと会話」しながら熟練の技能と創意工夫で調整をするということが必要になります。このことを目の前で体験できたのは、自分にとって大きな収穫でした。

こうしてトランスミッションチームの仕事は、オリジナルのレストア、新作の製作はどちらも完了した。

新作した4速マニュアルトランスミッション
幸丸

最初にチームの3人に会ったとき、かなり困っている感じでした。それだけに、よくぞここまでがんばったと思います。彼らのこれからの仕事が楽しみです。

為末
いろいろなトラブルがあったので、くじけそうな気持ちになったこともあったはずです。今はよくあれだけのものをつくった、よくやったと、最大限の賛辞を贈りたいですね。

実際につくってみなければ、分からない

この取材時点ではプロジェクトは完了していなかった。だが、3人にこれまでに感じたこと、得た”学び”を振り返ってもらった。

飛鳥

70年前という、現場のベテランもまったく知らない図面やクルマを扱ったおかげで、ひとりひとりが立場を超え、自ら考えて行動し、みんなで知恵を出し合う、困ったときは助け合う関係を築くことができました。今後、誰もつくったことのないものをつくるときは、今回のように行うことが大事だと感じました。

おかげで、社内でも社外でも、新しい人脈を築くことができました。また「こういうものをつくりたい」と思ったとき、誰に相談すればいいのか、よく分かりました。

今回のトランスミッションの製作やレストアでご協力いただいた方々の一人でも欠けていたら、担当した仕事の達成は難しかったでしょう。この作業に携わってくださった全ての皆様に本当に感謝しています。それから、期待していた通り、クルマ全体を考える機会が得られたのは、自分にとって大きな成果です。

本多
今回の復元プロジェクトを通して、モノづくりの基本を学び、車両全体を見渡した設計を行うという貴重な経験を積むことができました。特に、現場に根差したモノづくりの大切さを改めて認識しました。今回の経験をもとに、今後はより一層現場でモノがつくられていく“過程”に想いを馳せながら、既成概念にとらわれずに現場に根付きながら性能設計と製造両方の強味を引き出すことができる設計者になるべく、仕事に取り組んでいきます。

また、車両全体を俯瞰して各部品のパッケージを考えるというクルマづくり企画の原点を改めて意識し、今後とも先人たちに負けない情熱を持ってこれからの“もっといいクルマづくり”に邁進していきたいと思います。

石田
図面があればモノづくりはできる。今までそう思っていたのですが、そんな甘いものではないことが分かりました。図面に表記されていない部分や、加工法についても考えなければならない。製作をお願いしたさまざまな部署の方から、「この素材では、この加工方法では、設計図のこの形は実現できないが、どうする?」といった問い合わせがきて、それに答えるために、素材や加工方法について調べたことが、とても勉強になりました。

また、現在のクルマづくりでは電気系で実現していることを、当時の人はシンプルなメカニズムを使って実現していた。その知恵にも改めて感銘を受けました。この経験を通して、モノづくりの原点に還ることができたと思います。
奔走した日々を振り返りながらインタビューに応えてくれた、(左から)石田、本多、飛鳥の3人

次回は、エンジンのレストアを担当したチームの奮闘をお伝えする。

(文・渋谷 康人)

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