自動車業界を匠の技で支える「職人」特集。第18回では、エンブレムの精緻な意匠を江戸彫金の技術で彫り込む「彫金の匠」に話を聞く
3DプリンターやAIをはじめとするテクノロジーの進化に注目が集まる現代。だが、クルマづくりの現場では今もなお多数の「手仕事」が生かされている。
トヨタイムズでは、自動車業界を匠の技能で支える「職人」にスポットライトを当て、日本の「モノづくり」の真髄に迫る「日本のクルマづくりを支える職人たち」を特集する。
今回は、新しいセンチュリーが登場したのを機に、同車のクルマづくりに携わる職人を5回にわたって紹介する特別編の第5回。
センチュリーの象徴ともいえる鳳凰エンブレム。その生産に不可欠な金型を、江戸時代から続く伝統的な手彫りと手磨きの技術で仕上げた「彫金および磨きの匠」、株式会社 江東彫刻の宮澤真志氏を取材した。
第18回 江戸の職人から受け継がれた技術で精緻な金型をつくる「彫金および磨きの匠」宮澤真志氏
株式会社 江東彫刻 第一事業部 副事業部長
センチュリーネスを象徴する鳳凰のエンブレム
1967年に初代がデビューして以来、歴代モデルによって築かれてきた「センチュリーネス」を継承しつつ、時代のニーズに合わせて進化した新しいセンチュリー。
では、センチュリーネスとはどのようなものなのか?改めて、同車の開発責任者である田中義和がトヨタイムズのインタビュー記事で語った言葉を引用したい。
「日本人ならではのきめ細やかな心配りによる『究極のおもてなし』『伝統的な日本の美』、そして熟練した職人だけが成し得る『匠の技』──。継承しているのは、こうした初代センチュリーから大切に守られてきたクルマづくりに対する理念であり、それこそが、まさに『センチュリーネス』なのです」田中の言葉にある「伝統的な日本の美」や「匠の技」という点において、センチュリーネスを象徴するもののひとつが、鳳凰のエンブレムである。
伝説の瑞鳥(めでたいことが起こる前兆とされる鳥)である鳳凰の優美な姿が描かれたそれは、新しいセンチュリーにおいてもフロントグリルやバックドア、ホイール中央などにあしらわれ、センチュリーの歴史や品格を今に伝えている。
実はこの鳳凰のエンブレムには、江戸の職人たちにより発展し、現在まで継承されてきた「江戸彫金」の技術が生かされているのだ。
江戸彫金とは、先端を鋭く研ぎ上げた鏨(たがね)を金槌で叩くことで、金属の表面に精緻な紋様を彫り込む伝統的な金属彫刻。江戸時代には刀の鍔(つば)や家具の取手、簪(かんざし)など金物の装飾に用いられてきた。
センチュリーの鳳凰エンブレムでは、エンブレムとなる樹脂を成形するための金型製作に、この彫金の技術が活用されているのだ。そしてこの金型を製作したのが、江戸彫金の流れを受け継ぐ彫刻技術を事業の核として、自動車のエンブレム用をはじめとするさまざまな金型や、部品の設計・製造を手掛けている株式会社 江東彫刻であり、同社の職人である宮澤真志氏である。
父親の背中を追ってモノづくりの道へ
宮澤氏は1972年東京都生まれの51歳。高校を卒業して江東彫刻に入社して以来、彫金と磨きの仕事一筋に、匠としての技能を磨いてきた。職人歴33年になるベテランだ。
そんな宮澤氏だが、実は高校は普通課で、就職活動では一般の会社を志望していたという。ところが一転してモノづくりの道を歩むことになったのには、父親の存在が大きかった。
宮澤氏
高校3年の就職活動の時期に、父から「ウチの会社に来れば?」と言われて、なんとなくこの会社に就職することになったんです。そもそもモノづくりの仕事に携わることは考えていなかったのですが、いざ入社してみると、とにかく仕事が楽しくて、もっと技術を高めて奇麗につくりたいと思うようになりました。
実は宮澤氏の父親は、江東彫刻に2人しかいない彫金名人の1人といわれた宮澤秀夫氏なのだ。「なんとなく……」と当時を振り返る宮澤氏だが、まさに父親の背中を追ってモノづくりの世界に飛び込んだわけだ。入社後は、名人からさぞや厳しい英才教育を受けたことだろう。
宮澤氏
当時は今と違って「技術は自分で習得するもの」という風潮があって、父も含めて職人さんたちが若手を指導してくれることはあまりありませんでした。
ただ、私は早く仕事があがれるときがあると、残っている先輩を1人ずつまわって話を聞いたり、どういう風に作業しているのか観察したりするのが好きでした。
先輩方のやり方を真似てみたり、いろいろな技術を試してみたり……その積み重ねのおかげで、成長できたと思っています。
宮澤氏によると、彫金、磨きのいずれについても、一人前になるには一般的に10年ほど要するのだそうだ。
ちなみに宮澤氏が若手だったころは、ベテラン職人が彫金を手掛け、若手が磨いて仕上げるという分業制がとられていた。それゆえ、宮澤氏もまず磨きの技術を、その後並行して彫金の技術を身につけていったという。
修業が10年とは長い道のりだが、江戸彫金の技術の難しさとはどのようなものなのか?
宮澤氏
彫金は、鏨の先端を金属にあてて、金槌で叩いて彫っていくのですが、弱く叩いても思うように彫れないですし、強すぎるとすぐに刃がボロボロになってしまう。
奇麗に文様を彫り込むためにはどのくらいの強さで叩くべきか、また鏨をどういう角度で入れるべきか、その感覚を体に覚え込ませなければなりません。
しかも、そうした感覚は、銅や鉄など彫り込む金属の種類よっても変わります。だから、時間を掛けて失敗を繰り返しながら技術を身につけるしかないのです。
さまざまな形状を自由自在に彫るためには、複数の鏨を使い分ける必要もある。例えば鳳凰エンブレムの金型を手掛けた際には、30種類ほどの鏨を用いたと、宮澤氏はいう。
さらに、彫り込む金属の種類によって鏨の材質が異なるため、一般的に彫金職人は200から300本の鏨を使いこなしているのだそうだ。しかも、すべての道具は自分で使いやすいように自作するという。一人前になるのに10年が掛かるというのも、むべなるかなである。
鳳凰の繊細な毛並みに込めた想いとは?
江東彫刻と宮澤氏が初めてセンチュリーの鳳凰エンブレムを手掛けたのは、3代目として2018年に登場した現行のセダンだった。1997年にデビューした2代目のエンブレムを手掛けた彫金工房が、後継者不在で引き受けられなかったためだ。
宮澤氏
センチュリーのエンブレムを手掛けるというのは、私の中では日の丸を背負うくらいの気持ちがありました。
また、江戸彫金から受け継がれてきた技術を使って金型を仕上げるので、匠の技を継承し、私を育ててくださった先輩方の想いも込める気持ちで取り組みました。
とにかく特別な仕事なので、職人としてモチベーションが高まりました。
金型づくりは、まず設計データを元にNC(数値制御)工作機械で、原本となる型を製作することから始まる。出来上がったものに角出し(鏨を使用)、形状の調整、鏡面磨きをかけ、そこから設計データには描き切れていない鳳凰の繊細な意匠を、毛並みやウロコ一つひとつまで、宮澤氏が彫金の技術を用いて手作業で彫り込む。
実は、彫金に入る前にもうひとつ、重要な工程が存在する。赤いマーカーペンで塗りつぶした原本型の表面に、けがき針という先端の尖ったペンのような道具で下絵を描いていくのだ。この作業を「けがき」という。
当時、センチュリーの意匠を担当したデザイナーからは、基本的に2代目のエンブレムを再現するように依頼された。とはいえ、下絵を入れるのも、鏨で彫り込むのも、さらに手磨きで仕上げるのも、すべて職人による手作業。だから、同じような意匠はつくれても、再現することは不可能なのだ。
だからというわけではないが、宮澤氏は新たに鳳凰エンブレムを手掛けるにあたり、自分なりにアップデートを図りたいと考えた。
宮澤氏
先代の鳳凰エンブレムを見たときに、その精緻な仕上がりに驚きを覚えました。ただ、デビューしたのが1997年ですから、すでに20年近く経っていました。
年月とともに風景も人々の価値観も変わります。そこで、時代に合わせた変化を加えたいと思ったのです。パッと見ただけでは分からないほど、わずかな変化ですが……。
先代の鳳凰エンブレムについて、宮澤氏は大胆さや荒々しさを感じたという。それに対して、毛並みをより繊細にし、ランダムだったハート柄のウロコの配置を整えるなど、現代的で上品なイメージに仕上げたかったと、静かに語る。
宮澤氏は、まずA4の紙に鳳凰の胴体にあるウロコの配列や毛並みを、納得がいくまで何回も描き直した。そして、描き上げたものを見ながら実際に原本型に下絵を入れていった。
こうしてけがきを終えると、いよいよ彫金と磨きの工程となる。彫金では、コンマ1ミリ、つまり髪の毛の半分ほどの非常に細かい紋様を彫り込むため、20倍の顕微鏡で鏨の刃先を確認しながらの作業となる。まさに、超絶技巧といっても過言ではないだろう。
さらに鏡面磨きの工程では、鳳凰の頭や羽根、そして胴体のウロコなど鏡面部の輝きを見直し、より美しく見えるように仕上げた。磨きの精度が低いと、蛍光灯を映り込ませたさいにゆがんで見える。宮澤氏は、ゆがみがいっさいないレベルまで徹底的に磨き上げたという。
このようにしうて、宮澤氏は最初に金型の試作品を完成させ、当時のセンチュリーのデザイナーに確認してもらった。
宮澤氏
出来上がった試作品をお持ちした際に、デザイナーさんから「これ、どういう気持ちでつくりましたか?」と聞かれたので、「先代をベースに現代風に仕上げたいと考えました」と答えました。
すると、「確かに、そう見えますよ。量産用の金型のさいにも、宮澤さんのお気持ちを入れていただいてかまわないですから」と言っていただいたんです。すごくうれしかったですし、勇気をいただいて量産型に着手しました。
今も続く父子の師弟関係
では、新しいセンチュリーの鳳凰エンブレムを手掛けるさいには、どのような想いを込めたのだろうか。
宮澤氏
鳳凰のエンブレムは、毛並みやウロコなど細かい部分の仕上げによって印象がガラリと変わります。ですので、セダンのときと同様にディテールの表現にこだわりました。
新しいセンチュリーでは、セダンよりハート柄を少し大きくすることで、より華やかな印象になるように仕上げました。
完成したエンブレムを手に、「誰の目にも奇麗に見えるよう、これ以上ないほどのクオリティを目指した」と力強く語る宮澤氏。ぜひ先輩方にも、完成したエンブレムを見ていただきたいという。その表情は、自信と安堵に満ちていた。
宮澤
センチュリーは、歴代の開発陣の方々が、「継承と進化」という理念を心に刻んでクルマづくりに励んできたと聞いています。
私も常日頃から、彫金と磨きの職人としてさらに進化していきたいと考えていますし、先輩方から受け継いだ技術を若手に継承していくのが使命だと感じています。
そんなこともあり、センチュリーのプロジェクトに関われたことは、この上ない喜びです。
そう語る宮澤氏が、いま危機感を抱いているのが、「継承」についてだ。工作機械が大いなる進歩を遂げた現在、鳳凰エンブレムのような、超絶技巧と美的感性が必要とされる、作品づくりともいえる案件は別として、一般的な金属加工については、手仕事の割合が激減しているからだ。
それゆえ、今回の鳳凰エンブレムの仕事では、受け継がれてきた技術を継承すべく、まだ20代の若手である部下の佐藤夢羽さんに、ごく一部ではあるが彫金の機会を与えた。
さらに江東彫刻では、「匠塾」なる取り組みも開始。すでに引退した名人を招聘し、現役の職人に匠の技を伝授しているのだ。何を隠そう、名人の一人が宮澤氏の父であり、宮澤氏本人もさらなる進化を遂げるべく、生徒として匠塾に参加している。
江戸時代から数百年の歳月を経て継承と進化を重ねてきた江戸彫金の技術。いつの時代になっても、宮澤氏のような誇り高き職人たちに必ずや受け継がれ、センチュリーの鳳凰エンブレムとともに進化しつづけることだろう。