SUVでは、決してない!? 開発者が新しいセンチュリーに込めた想いとは?

2023.09.15

まったく新しいスタイリングをまとって登場した新しいセンチュリー。開発責任者およびチーフデザイナーに、クルマづくりにまつわるインサイドストーリーを聞いた。

1967年に初代が登場して以来、日本を代表するショーファーカーとして、皇室をはじめ多くのVIPの移動を支えてきたセンチュリー。その一員として、この9月に新たなモデルが追加された。

今までと全く異なるフォルムでありながら、一目でセンチュリーだと感じさせるスタイリングをまとって登場した同モデル。その開発インサイドストーリーについて、2人のキーパーソンに話を聞いた。

「センチュリーに新たな価値を与えてほしい」

開発責任者の田中義和は、2代目カリーナ・ハードトップをはじめ、トヨタ車好きが高じ1987年に入社したカーガイだ。

開発責任者として、これまで3代目プリウスのPHEV、初代と2代目のMIRAIなど、主に環境対応車を手掛けてきた。

一方、デザイン全体のまとめ役を担ったデザイン部部長の園田達也は、「ゼロクラウン」の愛称で親しまれた12代目クラウン、先代ハリアーなど数々のモデルを担当し、現行RAV4ではチーフデザイナーを務めた。さらにデザイン部部長として、約30車種の内外デザインディレクションを行っている。

そんな2人を含む少人数の特命チームが結成され、新しいセンチュリーの開発ブロジェクトが始動したのは約3年前のことだった。田中は当時を以下のように振り返る。

田中

「センチュリーに新たな価値を与えてほしい」「若い世代のVIPには、センチュリーは会長クラスが乗るクルマ、私には関係ないと思う人が増えている」「センチュリーが今後もショーファーカーとしてお客様の期待にお応えできるように、新たな価値を考えてほしい」

そんな豊田社長(当時)の意を受けて、私たち特命チームにより開発がスタートしました。

そもそも初代センチュリーは、ショーファーカー市場を輸入車が独占していた1960年代に、その市場に風穴を開けるべく、トヨタの礎を築いた豊田佐吉翁生誕100年を記念して開発されました。

1967年にデビューした初代センチュリー。初代クラウンの主査として知られる中村健也氏が開発を指揮した。

内外装における伝統的な日本の美の表現や、静粛性、快適性の追求など、改良を重ねていく中で、皇室をはじめ各界のリーダーにご愛顧をいただき、日本のショーファーカーにおいてトップの地位を築いてきました。

そんなクルマに新たな価値を与えるというのは、 非常に難しい開発になると感じました。一方で、重大な使命をいただけたことは非常に光栄であり、身が引き締まる思いがしました。

ところで、センチュリーといえば、豊田章一郎名誉会長に触れないわけにはいかないだろう。初代モデルが開発された当時、常務だった名誉会長は、中村健也主査が率いる特命チームのメンバーとともに簡素な寮に泊まり込み、1年以上にわたり開発に没頭した。

その後も、誰よりも強い思い入れを持ってセンチュリーを見守ってきた名誉会長は、ドアの開閉音から乗り心地に至るまで、実際に毎日の通勤時に後席に乗って気づいたことを、開発陣にフィードバックしていたという。まさにセンチュリーは、名誉会長に鍛えられたクルマなのだ。

「センチュリーに新たな価値を与えてほしい」という豊田章男会長の言葉には、名誉会長が大切にしてきたこのブランドを継承しつつ、次の時代に進化させたいという想いが込められているのだ。

一方、先代センチュリーのデザイン開発をすぐ近くで見ていたという園田も、トヨタ車のなかでもっとも手掛けるのが難しい車種だと語る。

園田

センチュリーは、トヨタ・ブランドの1車種というよりは、トヨタ・コーポレートを背負う役割を担っています。

センチュリーには、唯一無二の「センチュリーネス」が存在するのですが、それは即物的なカタチだけの話ではなく、たたずまいやオーラも含まれています。

その「センチュリーネス」を継承する部分と、チャレンジで進化させる部分、「継承と進化」について考えを巡らす日々でした。

RECOMMEND