佐竹功年40歳。トヨタ自動車硬式野球部"レッドクルーザーズ"を19年間支えてきた右腕が、最後のマウンドに向かう。都市対抗野球開幕直前インタビュー。
リーダーを育てるために一歩引いてくれ
「『リーダーを育てるために一歩引いてくれ』みたいなことを言われたので、そこは意識していました」。
世代交代はスポーツだけでなく、あらゆる組織でつきものだ。それは、すでにチームの絶対的エースとなっていた佐竹も例外ではない。
当時コーチを務めていた関野祐二は、佐竹との会話を次のように語る。
関野
本来キャプテンが言ってこなきゃいけないことだったり、キャプテンから意見を出してほしいときに、佐竹が言ってしまうということがあった。
「意見を出しやすい環境をつくってあげないと、キャプテンも成長していかないよ」という話は、(佐竹と)させてもらいました。
彼を信頼していたので、真剣に話していると気づいてくれたと思う。
チームとの接し方を変えることに、佐竹も戸惑いはあった。
「その場でパッと言えば終わる話でも、僕が言ってしまったら今までと何も変わらない。言うべきか言うべきではないのか」。迷いは今もあるという。
それでも藤原監督を含め、多くの先輩を参考にする中で、一つ「めちゃくちゃ気をつけている」ことがある。
(野球に限らず)どの世界でも一緒だとは思うんですが、信頼を無くそうとすると、すぐ無くせるし、弱くなるのもすぐできるんです。でも信頼を築くには時間がかかりますし、強くなるのも時間がかかる。
油断していると、すぐにそう(弱く)なっちゃうので、そこは、めちゃくちゃ気をつけています。
チームが勝てなかった時期も、勝てるようになった時期も経験してきた佐竹だが、今の仲間の大半は、チームがある程度強くなってからの入部。だからこそ油断や慢心には、警鐘を鳴らしている。
豊田会長の存在
実業団競技は、その性質上企業の業績によって活動が左右されやすい。だからこそ “ミスター社会人野球・佐竹功年” を語るうえで、忘れてはならない人物がいる。豊田章男会長だ。
リーマンショックの影響もあり赤字で始まった豊田会長の社長在任期間(09年~23年)。野球部も、いつ休部や大会への参加辞退となってもおかしくない状況が続いた。
そのような中でも豊田社長(当時)からは「こういう時こそ運動部が頑張れ」、「今頑張って会社に勇気を与えてくれ」といった言葉があったという。
佐竹は豊田会長の言動に、心強さだけでなく、野球にも通じる組織としての強さを感じている。
職は違えど、本質のところは何も変わらないんじゃないかなと思います。
今みたいに「組織の本質、野球の本質はこうでしょ」というのを、ちゃんと捉えているうちは、持続的に強くあり続ける組織になっているんじゃないかなと思う。
それはトヨタに限らず、どんな組織でも、どんな分野でも変わらないかなと思っています。
僕らは、そのことを野球を通して学べているので運がいい。
トヨタの野球とは?
最後の都市対抗に向けて、佐竹は「40歳になってもグラウンドで生き生きしている姿を見せたい」と意気込む。
インタビューの最後に、「トヨタの野球をどう思うか?」と尋ねた。
大好きですね。「何が?」というと人ですね。
入社してから、本当に先輩方に良くしてもらいましたし、「こんな楽しい野球があるんだ」と思ったのは、トヨタに入ってからだと思います。
(人が魅力ですか?)
人が魅力ですね。
自分以外の誰かのために闘い続けてきた19年。だが都市対抗連覇は、まだ成し遂げていない。有終の美を飾る挑戦が始まる。
佐竹 功年(さたけ かつとし)
土庄高校(現・小豆島中央高校)、早稲田大学を経て、2006年トヨタ自動車硬式野球部入部。社会人野球2大大会の通算成績は、57試合25勝4敗、防御率0.98(都市対抗:29試合13勝3敗、同1.41。日本選手権:28試合12勝1敗、同0.61)。14年日本選手権MVP、16年都市対抗で橋戸賞(MVP)を獲得している。169cm・71kg、右投右打。
【7月30日追記】
2024年の都市対抗では、初戦の9回2死一・三塁から登板し無失点。その裏チームがサヨナラ勝ちを収めたため、大会通算14度目の勝利投手となった。最終的な成績は以下の通り。
58試合26勝4敗、防御率0.98(都市対抗:30試合14勝3敗、同1.41。日本選手権:28試合12勝1敗、同0.61)