小林可夢偉チーム代表兼ドライバーへの単独インタビューで振り返る! 波乱、そして感動と興奮のル・マン24時間レース 100周年記念大会。
2023年6月10〜11日におこなわれた、ル・マン24時間レース 100周年記念大会。TOYOTA GAZOO Racingの6連覇はならなかったが、番組冒頭では、興奮のル・マン100周年の模様をダイジェスト映像で振り返った。そこには、モリゾウがチームを鼓舞する感動的なシーンも。この映像をどんなチームが作ったのかは、小林可夢偉チーム代表兼ドライバーへのインタビューにも出てくるので、16:18からをチェック。
さらに、全国各地でおこなわれたパブリックビューイングの風景。30:30からは、佐藤社長によるレース後のコメントを紹介した。
日本全国、さまざまな思いを紹介した後、ついに小林可夢偉チーム代表兼ドライバーの単独インタビューを放送。ここでは、30分を超えるロングインタビューの全文掲載する。映像は39:51より。
やりきったという感情がチームの全メンバーにある
森田京之介キャスター(以後、森田)
それでは、ル・マンから帰国されたばかりの小林可夢偉チーム代表兼ドライバーにお話を伺いたいと思います。よろしくお願いします。
小林可夢偉チーム代表兼ドライバー(以後、可夢偉)
よろしくお願いします ありがとうございます。
森田
本当にお疲れ様でした。
可夢偉
お疲れ様でした。
無事にレース自体は終えたんですけども、なんとも悔しいレースに残念ながらなってしまったので。それとは裏腹に、本当にこの厳しい状態の中でチームが全力を出すということ。モリゾウさんに、ル・マンに2017年ぶりに来ていただいて、チームがワンチームになって。このル・マン24時間100周年に挑んで。そのときのチームの状況は、「今までに見たことない、チームスポーツなんだな」っていうのを改めて感じた瞬間で。
2位で終わったんですけれども、この2位の僕らの悔しさっていうのも今後に生きるんじゃないかなと思います。
森田
可夢偉さんが今日この場に来てくださって。どんな表情、どんな雰囲気なのかなと思っていたんですけど。
今のその表情とかを拝見していて、今のお話を聞いて、充実感というか清々しい表情っていうのは、そういうところなのかなというのは、すごく感じてます。
可夢偉
今回は、出し切るということがスポーツとしての大切さだと思うし、TOYOTA GAZOO Racingが目指しているものは、モータースポーツはスポーツであり続けないといけないっていうことを目標に、ル・マン100周年を戦ったので。
やっぱり結果がどうであれ、やりきったっていう感情がチームの全メンバーにあるので、こういう表情になっているのかなと思います。
昨日も帰ってきて、やっぱり僕たちはもっと成長しないといけないね、という会話でミーティングをできたので。そういう意味では、すごく僕らは前向きに、未来に向けて進んでいるのかなと思いますね。
ル・マン100周年とマシンに刻まれた桜への想い
森田
レースの振り返りについてちょっと伺っていきたいんですが、レースにいく前に、可夢偉さん大会が始まる前まで、このル・マン100周年のレースっていうのはどんな位置づけで戦おうと思っていたんでしょうか。
可夢偉
やっぱり100周年というのはもちろん特別だし。この100周年というのは1回しかないと。僕はドライバーとして体感できるポジションにいることに、まず幸せだなと思うし。トヨタとして6連覇がかかっているところも、すごく大事な1戦になるという意味も込めて、ここで絶対に勝つ準備をして、このクルマを作ってきたし、チーム体制も作ってきたなって思うので、この1戦にかける思いというのは、今までにないぐらい高い気持ちで来られたし。チームの雰囲気も、ピークをこのル・マンに合わせるっていうこともできたのかなと思うので、しっかり僕らができることは正直やれたと思ってます。
森田
今年からハイパーカークラス、色んな世界中のメーカーが戻ってきて、そんな中で、日本代表としての意識みたいなものもあったと聞いています。
可夢偉
今は残念ながら日本メーカーで出ているのは、トヨタしかいない状況で。このル・マン24時間というのは、世界で本当に歴史が長いです。この100周年を日本のメーカーが勝つということは、「日本代表として勝ちにいく」というつもりで挑まないといけないなという思いで、ここにちょうど桜を今回入れさせていただいたんです。
森田
そういう意味があるんですね。
可夢偉
このトヨタイムズでモリゾウさんの社長最後の日っていう回があったんですけれども、それを僕は見させていただいて、モリゾウさんの経営者としての思い、日本代表という思いで(豊田喜一郎邸に)桜を植えたという会話があったんですけども。僕たちもモータースポーツを代表して、この桜を自分たちは日本代表なんだっていう意識と。プラス僕らが何でル・マンをやっているか。やっぱり技術の開発という部分があって、ハイブリッド時代のル・マンで強いメーカーは? と言われれば「トヨタ」と言われるところまで来ました。
水素でのハイパーカークラスの参戦を将来的には考えているというところで、このハイブリッドの芽を咲かせてできたこと。今度は水素の芽を、このル・マンで咲かせて世界に水素を広めていこうという思いもあって。
森田
ちょっとつぼみがまだあるんですね。
可夢偉
つぼみがあって、これから散るのではなくて「咲かす」という意識をしたデザインになっています。
突然のBoP(性能調整)、チームはどう戦ったのか
森田
そうした色んな思いを持ったこのル・マン100周年。その10日前ですか、突然のBoP(性能調整)ということで、世間は騒いだわけですけれども、タイム的に厳しいことは予選を走ったうえでもわかったと思うんですが。
可夢偉
予選だけじゃなくて、走って1周した瞬間に「これはきついな」っていうのを正直感じました。
森田
37kg?
可夢偉
重たいウエイトを積んだクルマには、今まで以上にかなりのタイヤ的な負担が増えていて。その結果、乗った瞬間にシミュレーション以上に、ウエイトを積んだことのダメージが出ているなというのはすぐに感じました。
森田
当然、その自覚があって。チーム代表としては、勝つための戦略を考えるじゃないですか。どういうことを考えたんですか?
可夢偉
本音をまず言うと、まずやっぱり僕らの意志として、そもそもこのBoP(性能調整)をなんで入れられたのかというのがわからなくて。まず、それを聞きに行かないといけない、ということで話をしに行ったんです。でも、簡単に言うと、このBoP、アジャストメントを入れたのは、「あまりにもトヨタが強かったから、ル・マンでレースを楽しくするため」って言われたんですよね。
いやいや、我々この100周年を勝つためにこれだけ準備をしてきて、これだけいろんな準備、クルマもドライバーもメカニックもエンジニアも、みんなここにピンポイントであわせてきたのに。それをそんな簡単に、レースを楽しくするからということでやるのかということで、相当戦いました。結果的に僕らとしては納得いかないし、その状況をもちろんモリゾウさん、佐藤社長にもお伝えして。
トヨタの判断としては、一番はメカニック・エンジニア・チームの人たちにどうしてあげたら、その中でも勇気が持てるんだ、チームのために何ができるかを考えてくれと言われまして。僕が考えたのは、レーススタートするまでオーガナイザーと最後まで戦うという意志で、レースに入るまでもうずっと連絡してミーティングして。もちろんモリゾウさんもミーティングしてくれて、内山田元会長も言ってくれて、やっぱりそういうアクションが、チームにとっては一緒に戦ってくれているという思いで。ああやって戦ったからこそ、チームのモチベーションも上がったし、それが本当にワンチームの力になったのかなっていうのも感じます。
森田
その逆境がチームを一つにしたうえで、決勝レースを今回迎えたということだと思うんですけれども、いざレースが始まると、やはりル・マンというのは過酷なもので。
可夢偉
過酷ですね。
7号車痛恨のリタイア、その真相を語った
森田
可夢偉さんの乗っていた7号車。8時間後ぐらいですか、リタイアということになったんですが。具体的にどんなことがあったんでしょう?
可夢偉
このル・マンのルールって、スローゾーンというのを設けるんですよね。そのスローゾーンは(制限時速)80km。そのスローゾーンの1個前にNEXTスローゾーンというのがありまして。そのNEXTスローゾーンというのは、減速を準備する区間ですよという看板が出て、その区間は前にクルマがいたらオーバーテイクしてはいけないですよ、と。
森田
抜いてはいけない。
可夢偉
前のクルマが突然遅くなっても、抜いたら、僕らはペナルティーになるという明確なルールがあって。だから、僕はそこで何とか(前の)クルマを抜かずに停めて、「良かった、停められた」と思った矢先に、後ろのクルマは多分停まり切れずか、気づかずそのまま突っ込んできて。当たりどころも悪く・・・。
今回何が不運だったかというと、まず両方のタイヤがパンクしたことで、底を擦っちゃっていて。普通に走らせるときもすごく引きずっているんで、バッテリーだけすごく消費する状態になっていて、プラスアルファ、ギアボックスもオイル漏れ。ドライブシャフトが折れているので、全然動かない状態。最後はもうバッテリーも力尽きて止まってしまった。
できる限りのことは全部やったんですけれども、もう本当に何もできないという状態で、
非常に悔しいなと思います。これも改めてこのル・マン24時間の難しさなのかなというのも感じます。
森田
止まってしまったとき、ヘルメットをかぶっていましたが、可夢偉さんの目が見えたんですけど、あのときどんなことを頭の中では巡らせてたんですか?
可夢偉
あのスティントっていうのは結構な豪雨で、ほぼ前が見えない状態で。まずここを生き残る、サバイバルするというスティントで、前とのギャップがどうとかじゃなくて、まずはクルマをちゃんと綺麗な状態で持って帰ってくる、ということを意識してたんです。
最終的にエンジニアから「申し訳ないけど、もう無理だ!」って言われた瞬間に、すごい悔しいです。悔しいんですけど、そこで頭をよぎったのは「いや俺のレースはまだ終わりじゃないよな、8号車もいるよな」と。だからなんとしてもやっぱり次は8号車に勝ってもらうために、チーム代表としてできることを最大限にしよう、という思いで切り替えて。あのクルマを降りる瞬間に。
クルマを降りたんですけど、なんと腹立つことに全然迎えに来てくれなくて。真っ暗な暗闇の中ひたすら立たされて、俺もう歩いて帰るよって言ったら、「いやいや、待っといてくれって、いつか来るから」って言われて。20分我慢したんですけど、それでも来なくて。「もういいわ!」と、結局歩いてガレージまで帰って。上だけ着替えて、5分ぐらい、ちょっと冷静になって、チームに戻って8号車のヘルプをする役目をしました。
8号車平川亮に託した決断の裏側
森田
パッと切り替えての8号車のこと。最終的にはフェラーリ51号車を追う展開になったと思うんですけれども、8号車の最後のドライバーを平川選手に託した。ここはチーム代表としてはどんな決断があって、どんな言葉をかけたんでしょう?
可夢偉
僕個人として、ル・マンのこの最終スティントのプレッシャーっていうのはすごく重いもの。今までにないぐらいのプレッシャーの中で走らないといけないっていうのを、自分自身がやっぱり体感したんです。
ルーティン(順番)的には、間違いなく平川だったんですよね。でも、あともう1つ、今年のルールでホワイトラインカット、コース外に出てタイムをゲインするとそれがペナルティーになるんですが、今年は10回まではしていいよと、10回以上はドライブスルーペナルティーになるというルールだったんですよ。
最終スティント行く前、そのときもう走れるのがブエミか平川しかいなかったんですけど、ブエミはもう9回やってまして、ホワイトラインカット。平川はまだ1回しかやってなかったんですよね。今思いっきりプッシュできるのは平川なのかな、と思ったのも実はあって。
平川の今までの日本のレースを見て、ちゃんとプッシュしてもクルマを持って帰ってきてくれるんじゃないかな?っていう思いもあった。僕からは言ったのは、「もう失敗してもいいから。でもフェラーリにプレッシャーをかけ続けないと。やっぱり向こうもミスをできない、本当に同じコンディションで戦う」と。
正直、クルマのペースとしては負けているんで、こっちがリスクを背負ってチャレンジしていくしか、チームとして(他に)カードがない状態だったんですよね。だから、「失敗してもいいから、思い切ってチャレンジしてほしい」っていうのは正直お願いしました。
森田
平川さんはどんな反応でした?
可夢偉
僕はまず横に行って、顔を見て、とりあえず無言だったんですよ。「ほんまに僕でいいんですか?」って言われて。「いやいやいや、信じてるからここにおるんやろ」と。だから、自信を持って自分が今までやってきたことを、思いっきりぶつけてくれたらいいし、それがうまくいかなかっても、誰も責めへんと。チーム全員でやっぱ判断したことだし、それぐらいの思いを持って。ただ、勝ちたいっていう思いを最後ゴールまで届けてほしいっていうのを伝えました。
森田
平川選手の最後のドライブ、クラッシュがありました。
可夢偉
まあ、正直あのプレッシャーはかけすぎだなっていうのもあるし、プレッシャーをかけないといけない状態でもチームとしてあった。これは本当にチームとしてあの判断が正しいとかではなくて、チャレンジしても負けたということで、正直これがレースの勝負の世界なのかなと純粋に僕は感じてます。
森田
そのクラッシュの後のピット作業っていうのは速かったですね。
可夢偉
今年のTGRのWECチームっていうのは、1つのチームで、2台で一番上のゴールを目指して戦うっていうチームに変化してきたんで。正直あれはもう本当にチームがちょっとずつ変化してきて、ワンチームになれてきた証じゃないかなと思います。
レース直後、小林可夢偉が笑顔だった理由
森田
最終的に2位という順位で完走したわけなんですけれども、可夢偉さんのレース後のインタビューを見ていると笑顔でしたね。
可夢偉
そうですね。今年、やっぱりレースをやっていてすごく辛いんですよ。厳しい状況なんですけれども、やっぱりレース後にみんなで笑顔でありたいなっていうのも、ちょっと裏のテーマとしてあって。その笑顔になるために、何なんだろうなって思ったら、全てのことを全力で挑むということをチームでできた瞬間に、やっぱり僕は思い残すことはないんじゃないかなと。
結果がどうであれ、本当にいいクルマづくりにつながったりとか、これだけ仲間と一緒に戦えてワンチームでここまでこられたっていうのは、すごく僕としては、今までにないくらい気持ちが高ぶったし、感謝するし。それ以上に、本当にファンの人も一緒になってすごく応援してくれて。何が驚いたって、あの表彰台のときにそこで見た景色がGRフラッグだらけだったんですよ。
笑うぐらい、「えっ? フェラーリ勝ったよね?」と、フェラーリじゃないんですよ。赤は赤でもよく見たらGRなんです。たぶん100個フラッグあったら、80から90はGRでした。それを見て、僕らの思いって伝わったのかなっていうのも素直に感じました。
それだけやっぱり、今回僕らがやったレース。「モータースポーツって何だ?」っていうのは、ファンは見てたのかなっていう感じもしたし。それだけの人が僕らを応援してくれて、レースが終わっても、ああやって来てくれたっていうのは本当に感謝しかないなと。フランスで、あれだけのGRっていうブランドが応援されるチームになったっていうのは、本当に一生懸命やって良かったなと思います。
森田
日本からもたくさん応援してまして。パブリックビューイングが各会場であって、例えばこれ表参道、私も行ったんですけど。可夢偉さんもオンラインで。
可夢偉
僕もレース終わったんで。代表としての仕事って何だろうなって思ったときに、「みんなで応援してもらうために何かできないですか」って言って、お願いして繋いでもらったんですけど。やっぱりこういうの見ると、すごく嬉しいなと思うし、本当に一生懸命やった気持ちが皆さんに伝わったのかなと思います。
森田
そしてこちらの元町工場は佐藤社長。
可夢偉
ありがとうございます。残念ながら、佐藤社長は本当にル・マンに来たかったっていう思いを、ずっと僕らには伝えていただけていたんですけど。株主総会の準備があって、どうしても行くことができないということで。でも、何かできることがないかということで、この元町工場のパブリックビューイングで盛り上げるということをしていただいて。常に佐藤社長とも連絡をとって、日本からサポートいただいて。
何が面白かったって、佐藤さんはチームの無線とかを日本からでも聞けるように準備していたんですよね。でも、アプリケーションで全然つながらなくて。レース始まって、多分5時間くらいはそのアプリケーションで無線が聞けるように、ひたすらやりとりを一生懸命やっていただいて。
森田
別の戦いがあったんですね
可夢偉
IPの番号をこれ消してくださいとか、ずっとひたすら佐藤さん自らやってました。
森田
レースが始まって5時間ってことは、日本にとってはド深夜ですよね。
可夢偉
ド深夜でも、それをずっとやっていただいた。何としてもチームの無線を聞けるようにって。
森田
そんなことがあったんですね。
可夢偉
そんな戦いも裏でしていただいて、すみません。来年は来てくれるのが一番なんですけど。もし来られなくても、そういう準備をしっかりやっていこうとは思います。でも 、是非来年は来てほしいなと思います。
「モータースポーツを一生懸命やれた」その言葉の真意
森田
さっきレース後笑顔だったというお話をさせてもらいましたけど。一方で、私気になった言葉が一つあって、「モータースポーツを一生懸命やれた」っていう言葉がすごく印象的だったんですけど。
可夢偉
自然に出てきちゃったんですけどね。
森田
この言葉の意味っていうのは何がありますか。
可夢偉
やっぱりモータースポーツってスポーツなんですよね。僕らはGRとして、モータースポーツに何を求めてるかっていうのを、モリゾウさん、佐藤社長と話したときに。「僕らは政治で戦いにいってるんじゃなくて 純粋にモータースポーツがスポーツであること」。それと同時に「クルマを開発する場」っていうのが、僕らの思うモータースポーツじゃないかなと思っていて。
これからの未来は「モータースポーツが本当にモータースポーツであるための100年にしたい」という思いで、僕らは政治的に戦うのではなくて、純粋にスポーツ選手としてスポーツとしてチームとして、このル・マン24時間に挑むというスタイルで、一生懸命チームを盛り上げて、ドライバーも盛り上げて、最大限の力を出し切るっていうことをやれたので、多分ああいう言葉が、自然と出たのかなと思います。
森田
この(突然のBoPという)逆境があったからこそ、「チームとしてレースが始まる前から一つになっていた」とさっきおっしゃいましたけど、そういうことも含めて、やっぱりスポーツですよね。
可夢偉
スポーツだったと思います、僕らは。これだけモータースポーツの中でも、スポーツをこれだけの規模でできたっていうのは、ちょっと僕も信じられないくらいのチームの雰囲気でしたね。
もう一人一人の目、喋っていること。今までやったら、「ええっ?」って言われていたことが「やろう」。「これどう?」って言ったら、「ちょっと時間くれ、ちょっと見てくる」って言って見てくれて、帰ってきてくれて。「あそこなんかできてたから、もうちょっとここら辺をよくしてくる」とか、そういう会話がすごくスムーズに。
もう、何でも可能性が1%でもあることがあったら、みんなでトライする。そのクルマを速くするとか、不安な要素を全部取り除くとか、本当にみんながそういう意識でこのル・マン、1週間を戦えたなと思います。
100周年のル・マンで気づいた、モータースポーツの場でできること
森田
ル・マンの100周年で「モータースポーツを一生懸命やれた」ということは、モータースポーツのこの先の、次の100年につながっていきますね。
可夢偉
つながると僕は信じています。僕はレースには負けたんですけども、チームとして、やっぱりこの100周年で自分たちのスタイル、「トヨタのチームってこういうチームだよね」っていうイメージは世界中に伝えられたと思うし。
僕らはこうやってレースをさせていただいているんですけれども、レースをしているだけじゃなくて、僕らはいいクルマを作りたいし、頭の意識の中で、自分だったらどういうクルマを作りたいんだろうなって考えたときに、やっぱりプロ(ドライバー)じゃなくて、「お客さんが乗ったときに、自然と笑顔になるようなクルマを僕らは作りたいな」って思うんですよ。こういう一生懸命みんなで考えるということを、今、このモータースポーツの場でできることが、そこに繋がるんじゃないかなとも思っています。
この100周年で僕らが勉強できたことは、モータースポーツをチームとして全力でやり続けることで、ヒトが鍛えられたり、ドライバーが鍛えられたり、本当に求めるところって最後「ヒト」なんですよね。確かに今は技術で機械がいっぱいあったりして、いいクルマづくりで、コンピューターでやったりできるんですけど、最後の味の部分ってやっぱり人間が「これでいいんじゃない?」って思うか、「いや、もっといいクルマ作れるだろう」って思ってもっとトライするかって、これって本当に人間なんで。
そこを鍛えるという意味で、この100周年大会で僕らがしたモータースポーツっていうのは、僕らの未来の形っていうのが結構明確になったなと思っています。
日本のモータースポーツの未来に向けて、その挑戦とは
森田
ヒトというところでいくと、今回、若手ドライバーが一人帯同しましたね。
可夢偉
実は一人だけじゃなくて、もう二人いるんですよ。これは表には出してなかったんですけど、実はいまして。もちろん宮田莉朋、いまスーパーフォーミュラ、スーパーGTで大活躍中のトヨタの若手の中ではエースですよね。彼は将来的にWECのドライバーを目指すべく、まずはル・マンに来て、ミーティングに参加してもらったり、24時間寝ずにル・マンを見て、近い未来に対して何を準備すればいいか、というのを体験してもらうという意味で来てもらいました。
可夢偉
同時に、今トヨタでF4、そこで出ているトヨタのドライバーの二人も将来自分たちが世界で活躍するようになるためには、今、何が必要かっていうことを考えてもらうために連れてきて。17歳18歳なんですけど、世界を目指す日本人ドライバーっていうのをもっと作りたいなという思いで、そういうこともやらせていただきました。
森田
もう一つ聞いたのが、ドライバーだけじゃなくて、モータースポーツのいわゆる情報発信としての部分で、動画を作る人たち、クリエイターの方も連れて?
可夢偉
今、海外でインスタグラムとかツイッターで、カッコいい映像って流れるじゃないですか。感動とかそういう色んなインスピレーションを、動画の方がやっぱ伝えやすいんじゃないかなと。言葉だけじゃなくて、レースの動画をカッコよく、そして人となりが分かるような動画っていうのを、ソーシャルメディアを使って伝えていったり。
そこで、映像クリエイターを日本でもちゃんと育てようと、自分の会社にクリエイター、2人3人くらい入れさせていただいて。スーパーフォーミュラのドライバーをメインに、僕だけじゃなくて、他のドライバーとかもそういう動画を作っていただいているんですけど。彼らまだ22歳なんですよ。しかも本当にクルマが好きなんですよ。クルマが好きで、映像が好き。この2つを持っていたら、本当に楽しくこの(レースの)映像を作ることをやってくれるんじゃないかな、という思いでやっていたら、本当に良い映像を作ってくるんですよ。
ソーシャルメディアって、考えたら国境がないんですよね。世界中のコンテンツを見られるわけなんです。例えば、クルマのソーシャルメディアをずっと見ていたら、クルマばかり流れてくるわけです。でも、日本にそういうクリエイターがいなかったら、日本はいつまでも流れない。これダメだなと。
だから、日本のレースもいいクリエイターさえ育てられたら、自然と「こんなすごいいレースあるんだ」とか、「こんなレースがあるんだ」っていうのに引っかかってくる。そうすると、日本のレースの知名度も自然と上がってくる可能性があるし、今年からそういうチャレンジも自分でやらせていただいているんですよ。
森田
ちなみに、このル・マンの振り返り特集の最初に、ダイジェストでその映像をちょっとお借りしようと思っております。
可夢偉
彼ら、世界のレース、海外のレース初めてなんです。
森田
初めて、デビュー戦で!
可夢偉
すごくいい画ができてるんで。是非見ていただきたいなと。
ル・マンで水素エンジンが走っている画を見て、うるっときた
森田
ちょっとヒトの話がありましたけど。とはいえ、やっぱりル・マンという場所がクルマの未来の技術の実験場として、100年積み重ねてきた歴史があると思います。その点でいくと、今回モリゾウさんが行ってとんでもないことをしましたね。普段、富士スピードウェイで見てきたあのクルマが、あそこを走ってるっていうのはちょっとなんか想像してなかった。
可夢偉
僕ね、正直ルーキー(レーシング)カラーのクルマが、ル・マンを走ってる画を見て、ちょっとね、うるってきました。そもそも、僕は2021年にモリゾウさんに「これでレースできないですか?」っていうところから、半年間でクルマを仕上げて。あのクルマが、そのまま2年後にはル・マン24時間でデモランして、世界で注目される技術に変わった。
この2年半でクルマは走るわ、今となればもう次のバージョンが出てると、液体という。だから、信じられない速度で今こういう技術開発ができているというのも感じましたね。それが、ル・マンとしてもすごく大切なことだから「是非走らせてほしい」ということで、あの場で走らせていただいたっていうのは、とんでもない衝撃だったんじゃないかなと思います。
森田
そういう意味でも今回のル・マンは濃かったですね。
可夢偉
濃いです。僕らにとってはすごく明るいものが見えたと思います。一生懸命モータースポーツをやったことによって、やっぱりファンはあれだけ応援してくれたし、ファンと一緒に戦えたレースだったと思うし。やっぱりもう1つは、この水素を色々発表させていただいたんですけれども、その水素の発表っていうのも、かなりのインパクトを与えて。
ファンへのメッセージと今後のWEC
森田
さあ、そしてル・マンが終わってもね。これWECが終わる訳ではなくて、次がイタリアモンツァ。
可夢偉
フェラーリの地に乗り込んで行きます。
森田
ぜひトヨタイムズスポーツをご覧の皆さんにですね、小林可夢偉チーム代表から最後にメッセージをいただけると嬉しいです。
可夢偉
まずは皆さん、本当にル・マン24時間応援ありがとうございました。これだけ皆さんと一緒に戦えたレースって、僕本当に今まで体験したことがなくて。このレースは何か人を惹きつけるものであったり、いろんなストーリーがあったなと思います。
僕らのレースはこれからも続いていきます。8号車は引き続きポイントリーダーとして、次のモンツァに挑んでいきます。このモンツァはやっぱりフェラーリの地元ということで、このルマンでの負けをなんとか返すためにも、優勝したいなと思っています。
その後は富士にも帰ってきます。ぜひ富士では、日本の力っていうのを皆さんと一緒に見せたいなと思うので、引き続きご視聴いただければなと思います。
ありがとうございました。
大好物のイチゴミルクを食レポ!
森田
可夢偉さん、本当に帰国直後。そしてもうこのまま向かう先は?
可夢偉
菅生です。
森田
すみません、本当にお忙しいタイミングで。
可夢偉
全然大丈夫。ヨーロッパ → 日本に比べると、菅生(宮城県)は隣の家に行くみたいな感じです。お隣さんに行くみたいな。
森田
日本に帰ってきて、まだちょっとそんな時間も経ってないっていうことなので、可夢偉さんの好きな飲み物を、我々用意しまして。今回はですね、普段楽しまれているイチゴミルク。
可夢偉
濃厚な方の。
森田
今回スタッフが発見しまして、スタバにもありました。
可夢偉
これはね、初めて見ました。
森田
今ちょっと新作が出ているということで、今回2種類。可夢偉さんの大好きなイチゴミルク、これでちょっと日本を思い出していただいて。
可夢偉
ありがとうございます。
森田
で、菅生に向かっていただきたいなと。
可夢偉
ルマンでは何も持って帰ってこられなかったんで、ありがとうございます。
森田
せっかくなんで、どっちかを。
可夢偉
新しい方、いきますね。こんな番組でこんなイチゴミルクを飲むことになるとは思わなかったです(笑)
森田
ありがとうございます。
可夢偉
なんか食レポっぽくなってるんですけど、今までやったことないんで。あ、これはね、ミルク多めのほうです。
森田
さすがイチゴミルクに詳しい! すみませんね、ル・マンの最後がこんな話になってしまって。
可夢偉
いやいや、あの食レポみたいな感じですけど、イチゴミルクレポートになってしまいました。
森田
是非、このイチゴミルクをエネルギーに菅生頑張ってきてください。本当にありがとうございました。
可夢偉
ありがとうございました。
毎週金曜日11:50からYouTubeで生配信してるトヨタイムズスポーツ。次回(2023年6月23日)は、ビーチバレーボールを特集。都市型化が進む、新しいビーチバレーボールのカタチとは? スタジオゲストは西堀健実選手です。ぜひ、お見逃しなく!