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失った信頼を取り戻せ! 困難を乗り越えた競技用の義足づくり ―アスリートを支える人々―

2021.07.30

トヨタの同僚でありパラ陸上競技アスリートでもある佐藤圭太選手。彼の競技用義足をゼロから作りあげた技術者による、挫折と改善の物語。

表彰台にのぼり歓声やフラッシュを浴びるアスリートたち。その傍らには彼らを支える「人や技術」がある。バラエティに富んだサポーターはいかに集まり、どんな物語を生み出してきたのか。そこから未来への挑戦を可能にする「鍵」を探っていく。

オーダーメイドで生まれる競技用の義足

ここ数年、競技用の義足に対する注目度が高まっている。リオ2016パラリンピックの走幅跳T44で優勝したドイツ人義足ジャンパーは、2018年に自己最高の8m48cmを記録する。この記録は、リオ2016オリンピックの走幅跳なら、金メダルに相当するものだったのだ。

競技用の義足は、健常者の記録を凌駕する可能性を秘めている──。

ただし、義足の開発はひと筋縄ではいかない。体格や足の状態は人それぞれだし、義足とそうでない足を同じように使って走る選手もいれば、義足にアクセントをつけて走る選手もいる。

つまり、競技用義足はオーダーメイドで選手個々にフィットさせる必要があるのだ。
パラ陸上競技 短距離アスリートである佐藤圭太選手。1991年生まれ、静岡県出身。

義足がひと組しかない圭太のために!

リオ2016パラリンピックの4×100mリレー(T42-47)で銅メダルを獲得し、同年トヨタ自動車に入社した佐藤圭太選手は、当時、競技用の義足をワンセットしか保有していなかった。トップクラスのパラアスリートですらワンセットしか用意できないところに、コスト面も含めて義足を作る難しさが表れている。

義足がひと組しかないのは不憫だし、もしそのひとつに不具合があったら練習ができなくなってしまう。ぜひとも圭太のために新しい競技用義足を作ってあげたい

トヨタ自動車の管理職が集まるミーティングでそんな声をあげたのは、圭太選手が配属された生技管理部の上司で、2017年のことだった。

ここから、「義足開発支援プロジェクト」がスタートする。義足のなかでも、特に開発が難航したアライメントと呼ばれる部分を担当したのが、モノづくりエンジニアリング部の植田健次と、植田を師と仰ぐ鏑木悠也の師弟コンビだ。余談だが、鏑木は植田の末娘と同じ年齢にあたる。

モノづくりエンジニアリング部の植田健次。アライメントとは植田が小指で示している箇所のこと。

手探りからのスタート、すぐさま途方に暮れる

2017年の5月、競技用義足のアライメントの開発を担当することになった植田は、「えらいことになった」と思ったという。アライメントとは、切断部分を収納するソケットと、地面を蹴るブレード(板バネ)を結合する部品で、軽さと強さが求められる。何が「えらいこと」だったのか、植田が振り返る。

もちろんアライメントを作ったことはないし、図面も何もないところからの手探りのスタートでした。義足を使っている後輩に聞いても、生活用と競技用は別物だというし、さぁどうしようかと途方に暮れました

ちなみに、足の切断部を収納し固定するソケット部分もトヨタ自動車の有志からなる「義足開発支援プロジェクト」が義肢装具士(義肢の装着や開発を行う専門家)監修のもと製作素形材技術部や元町車体部の高度な技術と技能が生かされており、ここにも多くの開発物語がある。

当時、パラ陸上競技用の専用義足というものは存在しておらず、生活用と競技用は同じ市販品が使われるのが一般的だった。そこで植田と鏑木は、市販品を購入して徹底的に分析、試作品を作り上げた。当初は途方に暮れたふたりであるが、エンジンやトランスミッションといった複雑で大きな力がかかる部品の試作を手がけた経験を基に、アライメントの試作を進めた。

プロトタイプ完成、茫然自失の試走会

開発スタートから約半年後の12月に、圭太選手を招いて試走会が開かれた。そしてこの第一回試走会で、“事件”が起こった。鏑木が遠い目で回想する。

僕がアライメントを組み立てて調整して、圭太さんに走ってもらいました。ところが、ウォーミングアップのジョギングを開始して20mほどでポキっと壊れちゃったんですね。大変なことをしてしまった、と頭の中が真っ白になりました。第一回ということで多くの方が見に来られて、取材でビデオも回す予定だったんですが……
師匠である植田と共に苦労を重ねてきた、モノづくりエンジニアリング部の鏑木悠也。

唯一の慰めは、帰りの新幹線の中で、植田と鏑木が設計したアライメントの加工を担当してくれた先輩社員の一言だった。

なんでも作るからなんでも言ってくれ、と励ましてくださったんです。圭太さんを応援しようというこのプロジェクトは、不思議と最初から一致団結していて、部署間の壁を感じませんでした

敗因は技術屋(モノ屋)視点のものづくり

衝撃の事件の後、2018年になると、植田と鏑木の師弟コンビを中心にごく少数で運営していたプロジェクトに、パワートレーン統括部の西山裕次が加わる。どの部署に、どんな技能と人材がいるかを把握している西山は、司令塔的な立場で、「その実験をするなら、○○○部の✕✕さんに相談するといい」というようなアドバイスをした。

西山が加わることで開発は飛躍的に加速する、はずだった……。西山は言う。

いま振り返れば、作り手の満足感で開発していたところがあったと思います。われわれは、装着する時に微調整ができるアライメントを作ろうとしていました。でも、圭太選手にとっては調整が難しくて、重くて使いにくいものになっていました。機能を追加することでどんどん複雑で重くなっていたんですね
部署を横断し、次々と技術者たちをつなげたパワートレーン統括部の西山裕次

遠慮をやめたとき“チーム圭太”が誕生した

2018年から19年にかけて、義足の開発が思うように進まなかった理由のひとつに、プロジェクトチームと圭太選手の間のコミュニケーションが密でなかったことがあげられる。当時、植田はこんな歯がゆさを覚えたという。

圭太はいいも悪いもなかなか言ってくれんのですよ。いま思えば、自分の親より年長の先輩社員が作ってくれたものにダメ出しするのは忍びないということだったんでしょうが、ここが悪いとか、ここが痛いとか、正直に言ってほしいと思っていました

圭太選手が新たな活動拠点として東京へ移転したこともコミュニケーション不足の要因となった。そこで西山を中心に、2019年の秋に豊田市の飲食店を借りて懇親会を開催することになった。30人ほどが集まった懇親会の目的を、西山はこう説明する。

圭太も年長者への遠慮があったろうし、われわれにもパラリンピックのメダリストに対してリスペクトしすぎるところがあった。当時はまだ、佐藤選手と呼びかけている人もいましたから。でも遠慮なんてしてちゃダメだ、佐藤選手と呼ぶのをやめて、圭太と呼ぼうということになりました。われわれ、このプロジェクトのメンバーも金メダルを取るために一致団結して、“チーム圭太”と命名することになったんです
2019年秋におこなわれた懇親会の様子。メンバーの笑顔からよい交流が生まれたことがわかる。最前列右から2人目が佐藤圭太選手。

佐藤圭太選手からの痛烈な本音

懇親会をきっかけに圭太選手とチーム圭太の距離は縮まり、腹を割って話し合うようになった。そして、圭太選手の本音を正面から受けたのが、第一回の試走会で茫然自失となった鏑木だった。

東京モーターショーで東京に行った時に、圭太さんの練習場を訪ねたんです。そうしたら、圭太さんを担当する義肢装具士の方から、“もう使いたくない”と言われたんです。圭太さん本人からも“実戦で戦える、F1のような義足がほしいんです”と暗に否定する言葉を強く言われました。すごくショックで、その後、東京モーターショーで何を見たのかを覚えていないぐらいです

2019年末の時点では、東京2020パラリンピックは予定通り20208月に開幕する予定だった。あと数カ月後に迫った本番に、はたして間に合うのか。

(写真左)ウォーミングアップの段階ですぐに折れてしまった2017年のプロトタイプ。(写真中央)強度を優先したところ大きく重くなりすぎた2018年モデル。(写真右)前後左右に加え軸の位置も調整できるようにした2019年モデル。調整が複雑過ぎて不評をかうことに。

部署の垣根を超えて精鋭たちが続々と集結

2020年に入ると、チーム圭太は圭太選手、圭太選手を担当する義肢装具士、そして競技用義足の研究開発に取り組むXiborg社との連携を強化し、試走会を重ねた。必要な技術や人材があれば、司令塔の西山が社内のあちこちから情報を集めてきた。チーム圭太はオールトヨタの様相を見せ、ここに至って、ようやくアライメント開発は軌道に乗り始めた。西山は言う。

通常の業務と違って、“圭太のために力を貸してくれる人、この指止まれ!”とアナウンスすると、部署の垣根を越えて自然に人が集まってくるんです。最初の懇親会の出席者は30人くらいでしたが、いまだったらその何倍もの人数になると思います(笑)
「この指止まれ!」で集まってきたトヨタ自動車の技術者と技能者たち。現在も月に二回オンライン会議をおこなっている。

発想を変えたら驚くべき進化が待っていた

圭太選手サイドからも、「どんどん使いやすくなっている」という声が出て、タイムも出るようになった。その理由のひとつとして、チーム圭太のアライメント開発の方向性が変わったことがあげられる。どう変わったのかを、植田が説明する。

コンディションに応じて、自由に角度を調整してもらおうというのが、われわれのアライメントのコンセプトでした。縦に20mm動いて、左右に10mm動き、軸も片方に6度、合計で12度向きを変えられる可変式です。でも、それじゃ重くて複雑だから競技には向かないと圭太に言われてわかった。そこで可変式のアライメントで最適なセッティングを見つけたら、それをシンプルで軽いリジッド(固定式)で再現することになったんです
(写真左)改良を加えた可変調整式のアライメント。これで角度など最適位置を見つけ出す。(写真中央)導き出された最適位置を固定させたリジットアライメント。飛躍的に軽量化されたことで、計測タイムも一気に向上した。(写真右)さらなる軽量化を進めた最新モデル。

アライメントの側面を中空構造にすることで軽くしたことも好評で、タイムもいっきに短縮された。軽量化が大きな要因になることは、佐藤圭太選手自身も驚いたという。植田はさらに続ける。

これで完成でもよかったんですが、軽いのがいいならもっと軽くしてやろうと思って、中空構造だった壁を、三角形を組み合わせたトラス構造にしました。トラス構造だとどうしても強度が落ちるんですが、そこは設計を工夫しました。後でコンピュータ解析(トポロジー最適化)をしたら、僕の考えが合っていたことがわかって、そこは自慢したいところです(笑)
コンピュータで設計図を描くCADと連動したレーザー掘削機を使い、精密に作られている最新のアライメント。

トヨタ生産方式に反したプロジェクトだった!?

完成したと思ったのに、さらによいものにしようと奮闘する“師匠”の姿を見た鏑木は、「改善を続けるあたりが、トヨタらしいと感じました」と振り返る。こう語る弟子に向かって植田は、「俺は全然トヨタらしくないプロジェクトだと思ったな」と、言葉を返した。

だって、ムリ・ムダらけじゃないですか。トヨタ生産方式からすると、こんなことはやっちゃイカン、と(笑)

確かに、ムリとムダが多いプロジェクトだったかもしれない。けれども鏑木は、そのムリとムダのおかげで得たものも多かったと言う。

部署や組織を越えて多くの人とコミュニケーションをとることができたし、普段の業務では得られなかった気づきもありました

チーム圭太が開発したアライメントは、Xiborg社の手を借りて、市販されている。植田は、「義足を使っている後輩がいるとお話ししましたが、圭太の義足を作りながら、足の不自由な方が自由に動けるような社会になるといいな、という思いは常に頭にありました」と感慨深げだ。

すべての人に移動自由と喜びを享受できる社会に──。ある意味で、トヨタ自動車が取り組むのにふさわしいプロジェクトではないだろうか。

(文・サトータケシ、写真・小保方智行)

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