成長を重ねる中で花開いた二刀流という天賦の才。その影には信頼できる仲間たちと、勇気をもらえる言葉があった。
表彰台にのぼり歓声やフラッシュを浴びるアスリートたち。その傍らには彼らを支える「人や技術」がある。バラエティに富んだサポーターはいかに集まり、どんな物語を生み出してきたのか。そこから未来への挑戦を可能にする「鍵」を探っていく。
陸上競技とアルペンスキーの“二刀流”
2021年3月のスポーツの記事を追いかけると、村岡桃佳選手が2人いるのではないかと錯覚してしまう。3月9日~13日、長野県の菅平高原で行われた国際パラリンピック公認レースのアジアカップスーパー大回転で優勝。その後も大回転、回転とレースは続き、全6レース中5レースで表彰台の真ん中に立った。
3月20日、今度は舞台を東京都の駒沢陸上競技場に移し、パラ陸上の日本選手権で女子100メートルと400メートル(車いすT54)の2種目で優勝した。わずか10日の間に、雪面とトラックの両方を制覇したのだ。2021年の東京2020パラリンピックと北京2022パラリンピック、村岡選手は陸上競技とアルペンスキーの“二刀流”での活躍が期待されている。
このように書くと、村岡選手が無敵の女王のように思われるかもしれない。実際、2018年の平昌パラリンピックでは金メダル 1つを含む5つのメダルを獲得、パラ陸上でも100メートルの日本新記録を樹立している。けれどもここに至るまでは、「泣きながら(アルペンスキーの)ワールドカップのポイントを計算して、眠れなかった夜もありました」と振り返る。
村岡選手がパラ競技と真剣に向き合ってきたことが、現在の成績につながっていることは疑いようがない。けれども、彼女が歩んできた道のりを聞くと、周囲からのサポートや、周りの人々から受けた刺激が、成長につながったようにも見えてくる。
車いすスポーツを始めて人生が変わった
幼少時は活発で外で遊ぶことが好きだったという村岡選手だが、4歳のときに病気の影響で下半身が麻痺すると、次第に内向的になったという。
それは宿泊を伴う体験イベントで、車いすのテニス、バスケットボール、陸上競技を体験した村岡選手は、「競技そのものも楽しかったけれど、友だちができたことがなにより嬉しかった」と当時の心境を語った。
スポーツを始めて、大会にも出るようになって、村岡選手には大きな変化があったという。
チェアスキーだったら自由に動くことができる
スキーとの出会いも、陸上競技の仲間がスキーの体験会へ誘ってくれたことがきっかけだったという。年に何度か、そうしたイベントで滑っていた村岡選手は、次第にスキーの魅力に引き込まれていく。
通う回数が増えるうちに知り合いも増えて、アルペンスキーのパラリンピアンだった方に、みんなと滑っているからおいでよ、と誘ってもらうようにもなったという。
そして高校1年生のときに、村岡選手はジュニアの強化選手に選ばれる。
悔しさが、平昌2018パラリンピックでの栄冠につながった
2014年、村岡選手は高校2年生でソチ2014パラリンピックに出場する。
村岡選手は3種目に出場して、最高順位は5位。ただし初めてのパラリンピックは、入賞の嬉しさよりも、悔しさが残ったという。
刺激を受けた大学時代のアスリート仲間
次の平昌2018パラリンピックを目指す村岡選手は、高校卒業を控えて早稲田大学への進学を決める。早稲田大学ではスキー部へ入部することになるが、スキー部員は原則として寮で生活する。村岡選手を迎えるにあたって、寮のバリアフリー化が進められた。
早稲田大学では、真剣に競技に取り組む学友の姿勢に、襟を正す思いだったという。
夏は南半球でトレーニングを積むアルペンスキーの選手だけに、村岡選手の大学生活は多忙を極めた。
学業と両立しながら挑んだ平昌2018パラリンピックで、村岡選手は大回転での金メダルをはじめ、計5つのメダルを獲得する。
平昌2018パラリンピックの後に行われたワールドカップでも総合優勝を果たした村岡選手は、2019年の春に新たな道に進むことになる。トヨタ自動車への入社、早稲田大学大学院への進学、そしてパラ陸上への挑戦と、3つの新しい生活が同時に始まることになった。
トヨタ自動車が“二刀流”への挑戦を応援してくれた
トヨタ自動車に所属することについて、「平昌での金メダルがきっかけだと思われがちですが、そういうわけではないんです」と、村岡選手は語った。
陸上競技への挑戦は、平昌2018パラリンピックの後で芽生えてきた気持ちだという。
そしてトヨタ自動車の協力もあり、岡山に練習拠点を置くワールドアスリートクラブで陸上競技に取り組むことになった。最初はウォーミングアップにもついて行けなかった村岡選手だったが、埼玉の自宅と岡山を行き来しながら練習に励み、2カ月後には100メートルの日本記録を更新する。
想定外とは言うものの、2カ月で日本記録を出すあたりは天賦の才と、スキーで鍛えた体力の賜物だろう。
背中を押してくれた森井大輝選手
順風満帆に思えた村岡選手であるけれど、2020年3月、東京2020パラリンピックの1年延期が発表される。2021年の夏の東京2020パラリンピックから北京2022パラリンピックまでは、わずか半年──。
悩みに悩んだ村岡選手の背中を押してくれたのは、前出の森井大輝選手だった。
中学生だった無名の村岡選手に、「桃佳もあそこを滑ってきなよ」と声をかけ、今度は「桃佳なら大丈夫だよ」と力づける。車いすスポーツを勧めてくれたご尊父、車いす競技をともに楽しみ、スキーへといざなってくれた友人たち、そして尊敬できる森井選手という先輩。
こうした人々との出会いやサポートによって、スキーと陸上競技の二刀流という、村岡桃佳選手の類まれなチャレンジは現実のものとなっている。
(文・サトータケシ)
村岡桃佳|Muraoka Momoka
アルペンスキー(滑降、回転、大回転、スーパー大回転、スーパーコンビ)
陸上(100m、400m)
1997年、埼玉県生まれ。4歳のときに病気で下半身麻痺となり車いす生活となる。小学校3年時にチェアスキーと出会い、中学2年時に本格的に競技スキーを開始。ソチ2014パラリンピックで日本代表に選出され、大回転で5位入賞。平昌2018パラリンピックでは出場した5種目すべてでメダルを獲得。同年、紫綬褒章を受章。W杯でも総合優種。また、2019年世界選手権でも多数のメダルを獲得。同年、パラ陸上競技短距離に本格的に取り組み、現在100m T54クラスの日本記録保持者でもある。トヨタ自動車所属。趣味は読書やアニメ鑑賞。