トヨタの創業時、地元の投資家たちは、なぜ故障ばかりのトヨタ車を売ることを決断したのか。その原点を探る。
「この自動車が今日ここまでになるには一技師の単なる道楽ではできません。幾多の人々の苦心研究と各方面の知識の集合と長年月に亘る努力と幾多の失敗から生まれ出たのであります。」
このメッセージは、豊田喜一郎と創業メンバーの名前を掲載したボード(上記写真)に記されたものだ。2018年8月、喜一郎の米国自動車殿堂入りを報告する式典で掲げられた。
トヨタが創業した当時、お客様に納車されたトヨタ車は故障を繰り返していた。創業時を描いたテレビドラマでも、路上でクルマが立ち往生したお客様から「これじゃあ故障にクルマがのっているようなものだ」と激怒されたシーンが描かれている。
お客様から直接お叱りを受ける場面は、おそらく全国各地で起こっていただろうし、いつも各地域の販売店がその矢面に立たされていたことは想像に難くない。
それにも関わらず、多くのトヨタ販売店は、地元(各都道府県)の資本家が、「トヨタのクルマを売ってみよう」と手を挙げたことから、この事業がスタートしている。クルマづくりの実力がまだまだであった創業期。故障ばかりのクルマで商売をしなければならない事業に地元資本家たちは、なぜ投資したのだろうか?
そこには「国産車で日本を豊かにする」という豊田喜一郎の “志” への共感があった。
今年の決算発表の場で、社長の豊田章男は次のように述べている。
これからは『仲間づくり』がキーワードになります。資本の論理で傘下におさめるという考え方では本当の意味での仲間はつくれないと思います。『どんな未来を作りたいのか』という目的を共有し、お互いの強みを認め合い、お互いの競争力を高め合いながら、協調していくことが求められると思っております。
私たちトヨタで言えば、地球環境に優しく、交通事故のない社会、全ての人が自由に楽しく移動できるFun to Driveな社会の実現を目指してまいります。
これは、まさに創業時のトヨタ自動車と販売店の関係そのものだ。本連載では、創業の頃からの“同志”である販売店にも焦点を当てていきたい。