2019.07.08

第3回 「本物にして、バトンを渡したい」~父が遺し、母が守った会社~

トヨタカローラ徳島株式会社 代表取締役社長 竹内 浩人

トヨタカローラ徳島株式会社 代表取締役社長 竹内浩人

今年の春の交渉の最後に、社長の豊田章男は、トヨタグループ創始者の豊田佐吉翁の遺訓である豊田綱領の意味を、自分の言葉で、ひとつひとつ解説した。

何を伝えようとしたのか?

6月の株主総会で、豊田は次のように述べている。

「私が皆に伝えたかったことは、トヨタに勤める一人ひとりが、自分のことを一番に考えるのではなく、『お国のために』、『お客様のために』、『自分以外の誰かのために』という気持ちで仕事をしてほしいということです。」

佐吉翁は、織物を織る母親の姿を見て、自動織機の発明をした。そこにあるのは「母親に楽をさせたい」という親孝行の気持ちだ。この自動織機の特許を英国のプラット社に売って得た資金で、喜一郎は自動車事業に乗り出した。トヨタの原点は「母親」を思う気持ちにあると言えるのではないだろうか。

トヨタの販売店で初めての女性社長が誕生したのは四国の徳島県だった。カローラ徳島の竹内通代みちよ社長である。今回、お話を伺ったのは、その長男で、カローラ徳島の6代目社長の竹内浩人ひろとさん。

インタビューにも出てくるが、竹内さんは創業者である父親を若くして亡くしている。その後、母親の通代さん、10歳離れた義兄である北島義貴よしきさんが会社を継ぎ、4年前から竹内さんが社長として経営のバトンを受け取る。竹内さんは、まだまだ現役であるが、バトンを渡す相手として、甥である北島さんの長男を自身の養子にもしている。

竹内さんほど、「母への思い」「継承」ということを考えながら仕事を続けてきた方はいないのではないだろうか?「竹内さんの話を聞いてみたい」。強い思いに駆られて、徳島県に向かった。

「パパがトヨタを遺してくれた。それだけは忘れたらあかんよ」

最初にお伺いしたいのですが、創業家の社長としてどのような想いで経営の舵取りをされていますか? その背景もあわせて、お聞かせください。

私自身に「自分の会社」という感覚は全くありません。そんな大それた考えは全くなくて、父が昭和41年に会社を創業して、昭和45年に私が生まれました。そして昭和46年に親父は亡くなったのです。私はまだ1歳の誕生日前。ですから昭和46年に残されたのは33歳の母親と9歳の姉と0歳の私と、5歳の会社だったのです。

母からは「パパがトヨタを遺してくれたから、こうやって人並み以上の生活をさせてもらえる。あんたそれだけは忘れたらあかんよ」ということを言われ続けていました。だから大学にも行かせてもらったし、何不自由無い生活をさせてもらいましたし、それはやっぱりこのトヨタを遺してくれたこと、母を支えてくれた社員さんのお蔭であることは、ずっと感謝しています。今でも私のミッションは、育ててくれたトヨタに対する、母を支えてくれた従業員に対する恩返しだと思っているのです。そう思えるように育ててくれて本当に感謝しています。

お母様への感謝の気持ちをどのように伝えてこられたのですか?

母が亡くなったときにお仏壇から出てきた手紙があります。だから、線香臭い。これは、東京で営業の仕事をしていた時に僕が毎月送っていた手紙です。簡単に近況を記して「必ずトップをとります」「来月もトップをとります」という言葉で締めた手紙と一緒に、毎月の全営業スタッフランキング表を同封しました。当時の自分の実績について、「コンテストで5人入賞している中に僕が1番で入っているよ」とかを書き添えて。

やっぱり年を取るごとに母の苦労が分かってきました。33歳で旦那さんを亡くして、9歳と0歳の子供を残されて、専業主婦だった人がこの会社も遺されて、本当に苦労しただろうなと。私が社会に出て、自分がやってみて、この仕事の難しさとか、初めて実感しました。徳島に帰ってきて5年くらいは一緒に住んだ後、母は膵臓がんで亡くなったんです。5年間ぐらい僕の働く姿を見てもらえて良かったのですが、実際に経営者になって、母の偉大さが改めて分かりました。

「危機感は七掛け。一人ひとりのやる気スイッチは違う」

一番の教育は成功体験を積むこと

「変革」と「人材育成」に対する竹内さんのお考えをお聞かせください。

まずは仲間づくり。一緒にやってくれる人を、社内で1人ずつ増やしていくっていうことから始めていきましたね。これもリーマン・ショックのときに実感したことで、危機感は七掛けになるなと思います。会長、社長の危機感が100だとすると、役員はその七掛け、70%。部門長はその七掛け、49%。店長はその七掛け、35%。スタッフはその七掛け、二十数%。でも、それは当たり前だと思うのです。

では、どうやって危機感の歩留まりを上げるかというと2つ方法があって、1つは私が仮に200%の危機感を持てば50%で歩留まりしますよね。それが1つです。

もう1つは、全員70%の危機感じゃなくて、1人でも80%の人をつくる。1人でも80%になることで、徐々に上がってきたらなと思い、今はその方法をとっています。私は常に100%以上の危機感を自分の中で持つようにしていますが、危機感が70%の人を80%にすることをやっていまして、2-6-2の法則ってよく言いますけど、危機感が80%の人を2割つくれれば、6割の人はそっちについて行きますからね。

やはり一人ひとりで働く動機とかやる気スイッチは違います。一人ひとりに対応してくしかないと、ここ1~2年つくづく感じています。ですから教育も一人ひとりに対応していくことを心掛けています。

また、一番の教育は成功体験を積むことでしょうね。成功を体験したら、本当にお客様のことが考えられるようになったり、それをサポートしてくれた上司が好きになったり、一緒にやってくれた仲間が好きになったり、結果として会社が好きになったりっていう、そういうサイクルだと思っています。だから成果が出やすいようなこと、スタッフが胸を張ってお客様にお伝えしやすいことをやっていこう。そう心掛けていますね。

「変える方向が、世のため、人のためなら、致命傷なんかない」

経営者としての覚悟ができたきっかけがあれば、教えてください。

経営者として吹っ切れたと思うのは、リーマン・ショックです。あのときに自分の中で吹っ切れましたね。ちょうど母を亡くしたときと重なりました。

これ以上、つらいとか怖いっていうことはないと思いましたし、ここで変えなきゃ本当に変えられないという危機感を持って、様々な変革をスピーディに取組みました。

ボトムアップって大事ですけど、本当に変える時はトップダウンじゃないと変えられません。そのときに右向け右といったら右を向く組織をつくっておかないといけないと思っています。

会社の変革に取り組まれる中で、「変わってきたな」と感じられた瞬間はありますか?

「会社が変わってきたな」と思ったきっかけになったのは、私が徳島に帰ってきてすぐなんですけど、大雨が降ったんです。当時、古い掘っ立て小屋に新車を保管していまして、前から「怖いな、怖いな」とは思っていたんですが、いよいよその雨で、掘っ立て小屋が潰れまして、そこにあった新車の3040台に傷が付いてしまったんです。

朝一番にこの状態を見た私は、「今すぐに全店長に集合してもらってください」と言って、集まってもらいました。お客様に納車が決まっている車もありましたから、「その車を全部自分の目で見てください。それをそのまま、ありのままをお客さんに話ししてください」と伝えました。

その上で、「修理でいいよ」と言ってお許しいただける方には値引きをして納めさせていただく。「いや、せっかく新車を買ったんだから、やっぱり新車を持ってきてよ」と言われるお客様には、お待ちいただくことになりますが、代車を用意して対応させていただく。そして、新車を取り寄せて、すべて新しいものに替えるという方針を出したんですね。そのとき、何人もの社員が言ってくれました。会社が変わったって。

やっぱりピンチが会社を変えるきっかけになっていますね。リーマン・ショックの時もそうですし。

でも、本当はピンチじゃないときに変えないといけないんですよね。今のトヨタさんを見ているとそうだと思うんです。いいときに変える。悪いときには、変えやすいんですが、これはもう結構、切羽詰まった変え方ですから。うちもリーマン・ショックのときに相当変えましたが、もう1年手を打つのが遅かったら本当にどうなっていたかわからない。そんな瀬戸際の経営じゃなくて、もっと先を見た経営をしないといけないなと。周りからは、過去最高の売り上げ、日本企業で初めて30兆円を超えたと言われていますが、豊田社長が「今、変えないといけない」って言われるのはよくわかります。

変える方向が世のため、人のためであれば致命傷なんかないですもの。だから今、いろんなことを取り組ませてもらっていますけど、致命傷になることはないです。だって動機はやっぱり社員を良くしたい、みんなで幸せになりたい、徳島を良くしたい。やっぱりトヨタの看板で仕事をさせていただいている以上、恥ずかしくない会社になりたい、もっといい会社になりたいっていう思いだけですから。

やろうとしていることがお客様にニーズがあるかどうか

新しい取り組みにチャレンジするときの判断基準は何ですか?

私の判断基準は、お客様にとってニーズがあること、営業スタッフが胸を張ってお勧めできること、その結果、会社良しというのが最後、この順番なのです。

まず、やろうとしていることがお客様にニーズがあるかどうか。自分がお客様だったらそれを使うかどうかって考えます。例えばメンテナンスパック。私がお客様だったら、まだ新車なんだから…オイル交換と、必要に応じたワイパー交換、バッテリーのチェックくらいをしてもらえればありがたい。他のお客様もそう思っていらっしゃるとしたら、営業スタッフがお願いをしないといけない商品になってしまう。改善活動をしていたときに、「今からやろうとしてることは親兄弟にやらせられるか」と教えられた。そうやって考えた時に、ディーラーの仕事というのは、われわれ都合のことが多すぎたんです。

ですから、うちはボディーコートを半年に1回メンテナンスさせていただくというメンテナンスパックなのです。車をきれいにしておきたいという思いはお年寄りにも若い人にも、男性にも女性にもあるじゃないですか。そこで営業スタッフがボディーコートのメンテナンスに半年に1回来てくださいとお願いします。当然、点検もします。だから来ていただくきっかけが洗車なのか点検なのか。やることは同じなのですが、お客様の感じ方は全然違うのです。

「結果、会社良し」というのが私の判断基準の最後なんです。その「結果良し」も、この瞬間良しではなくていいのです。3年後、5年後、10年後でもいいと思っています。シェアリングサービスとか新しい取組みは、経営面では多分10年後ぐらいじゃないと本当にやって良かったのかは判断できないと思います。でもそれでいいと考えています。

このように、中長期で考えられるのは、今、私がオーナーと社長業の両方をやらせてもらっているからかもしれません。4年という期間を任せられている立場だと、この4年間で収益を上げることを考えますもの。今、舵取りさせてもらえているのは幸せだなと思います。私じゃないと変えられない、決められないことが今の時代いっぱいありますから。

「会社を潰すなら自分の代で」

次の世代の経営者にどのように価値観を伝承されるのでしょうか?

私には父親がおりませんが、義理の兄である北島会長とコンビを組んで今まで経営をしてきて、4年前から私は社長をやらせてもらっている。会長はそれを見守ってくれているっていう関係です。また、私には子供がいなくて、会長の長男に、この3月31日に養子になってもらいました。

今では息子になりましたけど、当時甥っ子が就職活動をするときに、会長と2人で私のところに話があるって来てくれたんです。「トヨタの仕事を一緒にやらせていただきたいんです」って言いに来てくれたんですね。

彼に言ったのは、「バトンを渡す人が現れてくれて本当にうれしい。ありがとう」と。でも私は、今たまたま経営とオーナーの両方をやらせてもらっているけれども、これからの時代はどうなるか分からないと。「オーナーとしてはバトンタッチする存在ができてホッとしているけど、経営もバトンタッチできるかどうかはあなた次第だから、両方のバトンを渡せるようなトヨタマンになれよ」と言ったわけです。

親父から見て、次の代は孫になるわけですから、親父がつくった会社を孫の彼が潰したら、親父は本当に悲しむと思うのです。なぜなら孫って目に入れても痛くないほどかわいいっていうじゃないですか。だから、潰すなら自分だって思っているんです。仮に何かしでかして、私がやった分には、これはもう息子ですから。彼に絶対に潰させるわけにいかないので、今、懸命に経営しているというのが本音の部分です。

私が思う会社の形をつくって、本物にして、彼にバトンを渡したいなと考えています。皆さんから、お褒めの言葉をいただけることも増えましたけど、今、会社がどんな状態か、それが未だ本物じゃないことは、私自身が一番よく分かっています。

今、こういう時代ですから、簡単に引き継げないですよね。車を売る会社、車を直す会社から本当にモビリティーサービスをお客様に提供できる会社に変えなきゃいけないので、それをきちんと形を変えて彼に渡したいと思います。

歌舞伎役者、中村勘九郎さんの言葉で「型破り」があります。きちんと型を持っていて、その型を破っているから「型破り」って言われるのであって、型のない人がそういったことをやるのを「型なし」っていうんだと言われました。だから私は、型とか形とかいう言葉好きで、やっぱりきちんとした会社の型をつくる、時代に合った型をつくるのが今の私の役割だと思っています。

そして時代の変化に応じて、また次の時代に彼が破っていけばいいのであって。この型、会社のベースとなる部分は、そうそう変わるものではないと思うのです。これは風土であり、人だと思っていますので、それをしっかりしたものにしておけば、これからの時代にも型を破っていけるのではないでしょうか。

「私の商売はトヨタビジネス」

私の商売はトヨタビジネス

海外(タイ)でディーラー経営にチャレンジする理由は?

3つの理由があります。

まず1つ目は、私が今やらせていただいているこの商売は、自動車ビジネスというよりは、トヨタビジネスと考えています。もし自動車ビジネスと考えたら、県内で経営するのも1つの手でしょうし、海外ブランドの自動車販売も選択肢としてあるかもしれません。

でも、私の生い立ちや、この50数年間、トヨタでつくらせてもらった人、物、金、お客様のことを考えれば、自動車ビジネスではなくトヨタビジネスに拘りたいのです。その中でトヨタビジネスの夢をどう広げようかなって考えたときに、海外だったんです。

タイもこれから本当に変わっていく中で、日本で経験したことがこれから起こるだろうと考えていて、私たちがやってきた成功も失敗も活かせるだろうと。私たちがプーケットの販売店で取り組むことがプーケットのオールトヨタでやれるようになればいいし、それがタイトヨタを通じてオールタイに広がっていけばいいですし、それがトヨタへの恩返しにもつながるかなと思ったのが2つ目の理由です。

3つ目の理由は、うちの200人の社員っていうのは99%徳島の出身なんです。徳島以外で勤めることなど、夢にも思っていなかったと思うんですけど、関連会社がプーケットにあれば、そこに出向してもらう社員たちも出てきます。「うちの会社、プーケットに会社を持ってるぞ」って胸を張って言えるでしょうしね。一言で言うとES(従業員満足度)の向上にも繋がると考えています。

取材を終えて、強く印象に残ったことは、カローラ徳島という会社を興してくれた父親や、会社と家庭を支え自分を育ててくれた母親に対する、竹内さんの「深い感謝の念」だ。創業家の社長としての覚悟を育み、様々なチャレンジを支えてきた根底には、純粋で深い両親への感謝の気持ちがある。「あって当たり前のもの」など何もない。だから恩返しのためにも、経営のバトンを繋ぐためにも、しっかりと次の会社の型をつくる、そんな覚悟を感じた。

トヨタの幹部社員に向けたメッセージの中で、社長の豊田は次のように述べている。

「次の世代が生きる時代は、今よりもっと、未来に向けた闘いが大変になっていると思います。だからこそ、『トヨタらしさ』を取り戻す闘いは、何としても、自分の代でケリをつけ、次の世代には、未来に向けた闘いに専念してもらいたい、未来のために時間を使ってもらいたいと思うのです。」

「会社の型をつくる」。「トヨタらしさを取り戻す」。共通するのは「次の世代のために今やれることは全てやり切る」という覚悟。今の私たちに「笑顔」を遺してくれた先人に対する深い感謝の気持ちが、そう言わせるのかもしれない。