中東カタールで販売代理店業を営む創業家3代目が日本を訪問。未来ある若い経営者候補に豊田章男社長が伝えたこととは?
今年3月以降、新型コロナウイルス影響による水際対策が段階的に緩和され、海外と人の往来がスタート。トヨタでも海外事業体との行き来が少しずつ増えている。
9月、豊田章男社長のもとに来客があった。中東はカタールの代理店アブドラ・アブドゥルガーニ&ブラザーズ(AAB)社の創業家3代目にあたる3人である。
AAB社の創業は1958年。アブドゥルガーニ家の3兄弟によって設立された。同国の石油輸出が本格化し、社会が急速な変化を迎えていた時代に、国内インフラ整備の請負業者としてビジネスを展開していた。
トヨタとの関係が始まったのは1964年。当時カタール市場を支配していたのは欧州車と米国車。日本車はまったくの無名だったが、トヨタとAAB社は一体となって市場の声に耳を澄ませ、短期間で改良を加えていった。
そんな努力もあり、1970年代半ばにはカタール市場での存在感を確立。長年にわたり、現地で最も選ばれているブランドの地位にある。
現在、AAB社の経営は2代目のナセル氏が担っており、息子にあたるガーニ氏はAAB社の副社長を務めている。
創業家とはいっても、世代をへるにつれ、価値観は多様化。「トヨタは創業者の想いをどのように継承してきたのだろうか」と考えた3人は、トヨタの歴史や大切にしてきた思想を学ぶために来日した。
同じ創業家3代目という共通点を持つ豊田社長は、先輩として、3人にどんなアドバイスを授けたのか? 面談の一幕を取り上げる。
佐吉の発明が今に伝えるもの
面談の舞台はトヨタグループの迎賓施設。豊田社長は笑顔で3人を出迎え、握手を交わすと切り出した。
「これ、知ってます?」
案内の先にあったのは、トヨタグループの創始者である豊田佐吉が1924年に発明した「G型自動織機(無停止杼換式豊田自動織機)」。カタールの3人はこれに先立ち、静岡県湖西市の豊田佐吉記念館を訪問していた。
豊田社長は「動くところは見ていると思いますが、こういう説明は受けたかな?」と言うと横糸を通すのに使う木製の「シャトル」を手にとり、話し始めた。
これが横糸で「シャトル」といいます。レクサスのスピンドルグリルはこれを横に切った形から来ています。
自動運転とかWoven CityをやっているWoven Planetという会社のWovenという言葉の意味は「紡ぐ」。我々の自動車事業にとっても、未来の事業にとっても、それが原点。
そう言うと、佐吉の発明について説明した。
トヨタには、長年にわたって受け継がれてきた「思想」、そして、「技」があると思います。自動織機から学べる思想の一つが「ニンベンのついた自働化」。要は人を大切にしようという考え方だと思います。
人を大切にしている例がここから学びとれます。佐吉がこれをつくるまで、一つのマシンに一人、オペレーターがつくのが織物の常識でした。
ところが、これにより、一人が何台もの機械を見ることが可能になりました。それはなぜか? 異常があると止まるからです。
異常とは糸が切れること。仕組みの説明はこちらの映像に譲るが、異常を検知して自動で止まることにより、不良品をつくり続けることもなくなった。
こういう機能を、センサーもない時代につくり上げています。今だったらICチップでいくらでもできます。でも、それがない時代に「思想」を持ち、「技」に落とし込んだというのがトヨタの原点だと思います。