トヨタのコラム
2022.10.31

クラウンに学んだアイシンの挑戦 初代から続く日本初・世界初

2022.10.31

クラウン。それは、トヨタの革新と挑戦を象徴するクルマである。

7月に行われた16代目クラウンのワールドプレミア。豊田章男社長は「戦後のトヨタにおいて、すべての挑戦は、初代クラウンから始まった」と語っている。

無論、挑戦してきたのはトヨタだけではない。編集部は初代から歩みをともにしてきたトヨタグループのある会社に足を運んだ。

脈々と続く挑戦の歴史

名古屋駅から高速を使って約40分。アイシングループの展示施設・コムセンター(愛知県刈谷市)で「クラウンとアイシン」という特別展示が行われていると聞き、編集部はクルマを走らせた。

愛知県刈谷市のアイシン本社

初代クラウンに載った半自動FR(後輪駆動)2速AT(オートマチックトランスミッション)「トヨグライド」に始まり、最新16代目の「1モーターハイブリッドトランスミッション」や「eAxle」まで。展示からは、歴代クラウンの中核部品をアイシンの製品が支えていることがわかる。

企画したのは広報部の山越春佳さん。「クラウンに搭載されてきた技術の歴史は、アイシンが挑戦してきた歴史」だという。

「これまでも、クラウンに対して、社員が『こんな技術に関わった』と誇りを持って話しているのを目にしてきました。クラウンに貢献してきた歴史を通じて、社員だけでなく、外からアイシンを見る人にも、脈々と受け継がれる挑戦のマインドが伝えられたらと思いました」
特別展示を企画した広報部の山越さん。「社史をめくっても、アイシンの部品がクラウンに搭載されるまでの苦労がとても情緒的に書かれています。先人たちの思い入れの強さを感じました」

同社は20214月、グループの中核会社であるアイシン精機と、ATで世界トップシェアを誇るアイシン・エィ・ダブリュが経営統合して発足した。

歴史をさかのぼると、1965年のアイシン精機設立から1969年のアイシン・エィ・ダブリュの分社化まで一つの会社だった。

半世紀ぶりに一緒になる両社。その間も共通していたものの一つが、クラウンの開発で積み重ねてきた「挑戦の歴史」と言えるだろう。編集部は歴代のクラウンに携わった2人のエンジニアに話を聞いた。

二駆も四駆も同じクラウン

国産初の半自動FR2速のトヨグライドに始まり、2017年には、LEXUS LCFR10速が載るなど、多段化を進めてきたアイシンのトランスミッション。

初代クラウンに採用されたトヨグライド

FR6速、8速ATをリーダーとして立ち上げたのが、PT技術企画部の藤堂穂主査。「ゼロクラウン」として知られる12代目からの3世代にわたってアイシンのAT開発陣を率いてきた。

PT技術企画部の藤堂主査。30年間にわたってFRのAT開発に携わってきた。現在は高品質を後世に引き継ぐため、知見の標準化や開発環境の整備に取り組む

そんな藤堂さんとクラウンの最初の接点は、1989年の入社早々に訪れた。

1991年に立ち上がる9代目(~1995年)。新たにクラウンマジェスタがラインナップに加わり、翌年には四駆モデルも追加。その(駆動力や回転を前後のタイヤに分配する)トランスファーの開発に携わった。

クラウンマジェスタ(9代目クラウン)。V8エンジンを搭載し、世界最高レベルの静粛性を追求した

当時は、パリ・ダカールラリーで三菱のパジェロが一世を風靡した時代。そんなクルマに憧れ、配属面接で「四駆がやりたい」と希望を伝えたところ、水面下で始まっていた開発に加わることになった。

クラウンに採用するATに求められるのが、「静粛性」と「変速性能」。しかし、四駆になり、部品が増えると、ノイズが大きくなってしまう。

最終的には、前輪に動力を伝えるチェーンをマジェスタ専用にすることで、目標としていた静粛性を実現したが、立ち上がりギリギリまで汗を流したという。

「新人のときに初めてクラウンに携わらせてもらって、その要求品質の高さに感銘を受けながら、必死で頑張ってきました」

四駆だろうが、二駆だろうが、お客さんにとっては同じクラウン。クラウンへ向けられる期待に応えるためには一切の妥協も許されない。今につながるエンジニアの原体験を得たのが、9代目だった。
クラウンマジェスタの4WD開発に関わっていたころの藤堂さん(右)

覚悟を決めた“直談判”

クラウンに初めて8ATが載ったのが13代目 (2008~2012年)のこと。このユニットはクラウンよりも先に、2006年にLEXUS LSに搭載された。

*2009年3月発売のクラウンマジェスタより搭載
13代目クラウン。“ハイブリッドシリーズ”もデビュー。まだ高級車にハイブリッドがなかった時代にクラウンブランドの新たな価値を示した

8速ATは世界初の挑戦。

「とにかくダントツにこだわって開発しました。ATとしては、『ダントツの静粛性』『ダントツの変速性能』『ダントツの品質』。車両としては、『ダントツの動力性能』と『ダントツの燃費』。それが8ATのこだわりでした」

きわめて野心的な開発だったが、難しさはそれだけではなかった。

車両やエンジンの開発を終え、後からATを開発するのがそれまでのやり方だったが、このときは、フルモデルチェンジと同時に、ATも一新することに。

「できあがった車両に合わせていくのと、一緒につくっていくのとでは全然違います。開発の途中にそれぞれの都合で、いろんな設計変更もあるので。苦労というかプレッシャーが大きかったです」

同時開発の中、実際に、壁にもぶつかった。開発を進めてきた8ATを搭載しようとすると、決められたスペースにうまく収まらないことが発覚。

搭載できるよう、ATを覆うアルミケースの形を変えようとすると、(金属を溶かして成型する)鋳造の品質が損なわれてしまい、「ダントツの静粛性」に影響してしまう。

ATの設計ではどうにもならない現実に直面し、藤堂さんは上司とともに、当時のチーフエンジニアだった吉田守孝(現アイシン社長)のもとへ“直談判”しにいった。吉田CEはトヨタの社員を通さず、覚悟を決めて乗り込んできたアイシンの開発陣の声に耳を傾け、うなずいた。

「何とかしよう」。すぐさまトヨタ社内に号令をかけ、先を走っていた車両の設計を変更した。

「世界初の技術はいつもトヨタと一緒になってやっています。一顧客、一サプライヤーの仲ではなく、お互いに言いたいことを言い合って、一つのチームとして仕事をさせていただきました。だからこそ、私たちの課題も受け止めていただけたのかなと。問題の解決をクルマ全体でやっていただきました」

数々の苦労の末に市場に投入したFR8AT。通常、新しいユニットを載せると、市場からは厳しい声が挙がるものだが、投入から半年後に行う品質調査では、当時の社内の他製品と比較してもダントツの結果だった。

世界初となる製品誕生の裏には、もっといいクルマをつくり上げるために、会社の壁を越えたエンジニアの情熱があった。

若いリーダーたちへの信頼

今年ワールドプレミアした16代目のクラウン。クラウンの新しい時代をつくる“明治維新”として、4種類のクルマのボディタイプを用意。さらに、40の国と地域での販売を見据えるなど、クルマとしても、事業としても大きな転換点を迎えた。

その変化に、「正直驚いた」という藤堂さん。それでも、クラウンを経験したエンジニアだからわかることがある。

「私は今回のユニットそのものには携わっていませんが、かつて一緒にFR8ATをやっていた若手たちが、今はリーダーになって引っ張っているんです。ともに汗したメンバーが活躍しているのはうれしいことです」

「非常に苦労もしたと思います。開発期間も短くなる中で、相当トヨタとワンチームになって、言いたいことを言い合い、課題を払拭して、乗り切ってきたと聞きました」

「そんなやり方も含め、クラウンをつくる中で、受け継がれた精神があります。きっといいものになっているんだろうなと信じています」

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