
世界中からインベンター(発明家)を募るウーブン・シティ。その"発明拠点"は「速くつくる」「速く試す」工夫が詰まっていた。
発明拠点に息づく「誰かのために」
これまでトヨタイムズで度々にわたって紹介してきたように、ウーブン・シティの構想が初めて語られたのは、2018年7月。豊田章男社長(当時)が、閉鎖の決まった東富士工場を訪れたときのことだった。
従業員
東北に行って、またクルマをつくりたいという気持ちはあるが、家族のことを考えると、一緒には行けない、(会社を)辞めざるを得ない人も中にはいると思う。
そういう人のことを考えると、喜んで東北には行けないという気持ちがある。
今後トヨタとして、この東富士がどうなっていくのか、今考えていることを教えてほしい。
豊田社長
これから50年の未来の自動車づくりに貢献できる聖地、自動運転などの「大実証実験 コネクティッドシティ」に変革させていこうと考えています。
まだ構想段階ではありますが、意志があれば必ずできると思います。
それは、会社で承認されたものではなかったが、後に豊田社長は「仲間のことを思う皆さんに、一番初めに伝えたかった」と、構想を打ち明けた理由を振り返っている。
仲間を想って質問した従業員が抱いていた「自分以外の誰かのために」。ウーブン・シティの源流にあるこの想いは、プロジェクトに携わる全員が共有する大切な価値観となっている。
佐多さん
TMEJの方々はこの場所が生まれ変わるのを楽しみにしています。インベンターにとって使いやすく、「やっぱりここじゃなければダメだ」と思ってもらえるようにしたいです。
この場所はこれから変わり続けていくと思います。変化し続けるインベンターの皆さんのニーズに応えられるよう、今できることを一生懸命やる。そんな想いで建築に携わっています。
武島さん
インベンターの皆さんの苦労や悩みをどうやったら楽にできるかが、インベンターガレージの原点です。
どうしたら住民やビジターの皆さんから効果的なフィードバックが得られるか、どうしたら開発のスピードアップが図れるか考えて設計をしてきました。
そうして、行きついた「モノづくりエリア」は、トヨタの皆さんに加え、半世紀にわたるモノづくりの歴史を紡いできたTMEJ東富士工場で働いていた皆さんにも、企画段階から入っていただいています。
インベンターの皆さんのことを想い、一緒になって検討していただきました。
ここを離れざるを得なかったTMEJの人たちが戻ってきて、一緒にモノづくりができる場所をつくる。これは、私たちの使命であり、私自身のモチベーションになっています。
日本発の発明を世に送り出すインベンターガレージは、「自分以外の誰かのために」と願う人たちによって、今日も準備が進められている。
