2009年以来15年ぶりに議長から"回答者"に戻った豊田章男会長。佐藤恒治社長ら現執行メンバーも登壇する中で語ったこととは。
議長の指名を受けるのは15年ぶりで、こんなに緊張する場だったんだなと改めて感じております――。
議長席に座る佐藤恒治社長から話を振られた豊田章男会長が切り出す。認証問題やステークホルダーへの還元といった質問が続き、緊張感が漂う株主総会の会場が、一瞬和らいだ。
2009年の株主総会でトヨタ自動車の社長に就任し、翌年から2023年まで議長を務めてきた。“回答者”に戻るのは、それ以来だ。「緊張する」という言葉とは裏腹に、表情は穏やかに見える。
今年の株主総会の質疑で寄せられた質問の中で、豊田会長が応えたシーンが2度あった。今回は、その場面を紹介したい。
ウーブン・シティは情熱の歴史の上に建つ
――ウーブン・シティでは自動運転の実用化に向けてどんな取り組みが行われるのか、商品化はどんなふうに進んでいくのか?
一つ目がこちらの質問に回答したシーン。
2020年、CES2020で発表された“ウーブン・シティ”構想。豊田会長は、このプロジェクトを手掛けるトヨタ・リサーチ・インスティテュート・アドバンスト・デベロップメント(現ウーブン・バイ・トヨタ)に私財を投じるなど強い想いがある * 。
*2023年9月、トヨタ自動車は、ウーブン・バイ・トヨタを完全子会社化することを発表。それに伴い、豊田会長も保有していた株式を手放している。その際「『自分の子ども』のように思っているウーブン・バイ・トヨタへの気持ちは変わらない」と語ったという。
だからこそ株主からの質問に、佐藤社長は「ウーブン・シティのプロジェクトのオーナー、創業メンバーである会長の豊田よりご回答申し上げたい」と紹介してマイクを向けた。
豊田会長
豊田でございます。議長の指名により回答申し上げます。
議長の指名を受けるのは15年ぶりで、こんなに緊張する場だったんだなと改めて感じております。
本当に長年トヨタのクルマをご愛顧いただきありがとうございます。そしてまた、ウーブン・シティに関心を持っていただきまして本当にありがとうございます。
ただいま議長から創業メンバーの一人と言われましたが、実はウーブン・シティの考え方は、かつての関東自動車(現トヨタ自動車東日本)の1人の従業員の質問から成り立ちました。
関東自動車の東富士工場を閉める決定をしたときに、「この先、この工場はどうなるんでしょうか」という不安を、非常に多くの関東自動車の従業員が抱えておりました。
私が現地に赴き、工場従業員全員の前で想いを語っていたときに、思わず言葉に出たのが「ここを未来のテストコースにしたい」ということでした。
その考えからウーブン・シティが始まったと思っております。ウーブン・シティはあれからたくさんの人たちの手によって(開発が進み)、もう6年が経過しております。
来年には第一期工事が完了しますが、ウーブン・シティは更地の上にできるのではなく、半世紀にわたり自動車産業、地域のために働いた仲間の情熱の歴史の上に建つ街だと思います。
そういう意味では、クルマ屋たちの夢の跡です。ウーブン・シティでは未来のことを、これから未来の人たちが一緒になって、仲間とともに考え、悩み、失敗しながら挑戦をし続けてほしいと私は思っております。
そして、私自身は根っからのクルマ屋でございますので、クルマ屋から見た私を驚かせてくれるような新たなモビリティが、この街から生まれてくることを期待しております。
ウーブン・シティという未来への投資、これは決して正解があるから進んでいるわけではなく「今の行動が未来の景色を変える」という想いで、若い人たちが中心となってやっております。
株主の皆様のご支援があるからこそ、こういう未来投資ができるとも思っております。来年には発明家を中心に住み始めると思うので、ぜひとも関心を持っていただきながら応援いただきたいです。
そして「日本でも未来づくりができるよ」ということをトヨタは示したいんです。ですから、ぜひとも株主の皆様のご支援、ご理解、応援よろしくお願いしたいと思います。
ウーブン・シティが建つ静岡県裾野市の一角には、かつて関東自動車工業の東富士工場があった。関東自動車はその後、セントラル自動車、トヨタ自動車東北と統合し、現在のトヨタ自動車東日本となるが、東富士工場は2020年に53年の歴史を閉じた。
この閉鎖に際して、豊田会長(当時社長)は、従業員の前で、ウーブン・シティのもとになる「コネクティッド・シティ」構想を語っている。
ウーブン・シティの原点、未来への想い。豊田会長が回答を終えると、議場からは大きな拍手が沸き起こった。