ランドクルーザーとGRヤリスの開発を担当する2人のエンジニアが「もっといいクルマづくり」について語る、後編。
ラリーは競技の姿をした加速試験
100年に一度の自動車の大変革期などといわれ、ユーザーのニーズも多様化している昨今。お客様に寄り添い続けるクルマづくりという点で、一方ではトヨタの伝統に則りつつ、他方では革新を続けている点で、ランドクルーザーとGRヤリスの2台は共通している。
前者はダカールラリーに、後者はWRCやスーパー耐久に参戦し続けているが、開発チームにとってモータースポーツはどのような意味をもつのだろう?長年ランドクルーザーの開発に携わる小鑓貞嘉主査は述べる。
小鑓主査
ランドクルーザーのダカールラリー参戦は80シリーズの時代、1990年代半ばからです。(競技に特化して開発された)プロトタイプの総合優勝にスポットが当てられていた当時から、ランドクルーザーはあえて市販車クラスにこだわって参戦してきました。ランクルは、プロトタイプで総合優勝を狙っても意味がないからです。(市販車とは別モノの)プロトタイプでは、「行きたいときに行きたいところに行って、必ず帰って来られる相棒」というランクルの使命を追求できませんから。
逆にいうと、ダカールラリーのコースは、お客様にとっては昔からの生活道路でもあるので、お客様が走る道を、競技としてスピードを競うことで、さらに車両性能を高める場だと僕は思っています。
ランドクルーザーの耐久性や悪路走破性は、道路インフラが整っている日本のような国では、「機械式時計の防水性能と同じで、日常的に必要となるものではないが、あると安心でき嬉しいもの」。そう小鑓主査が語ると、そうしたストーリーに憧れてランドクルーザーを乗り継いできたと、今回の取材で聞き役を引き受けてくれたTOYOTA GAZOO Racingアンバサダーの脇阪寿一氏は笑みを浮かべた。
小鑓主査
ダカールラリーとて世界の過酷な道の一つで、モスクワから北京まで走るシルクウェイラリーにランドクルーザーが参戦したこともありましたが、これもシルクロードに近いルートで、悠久の歴史ある過酷な道を走破するのに、スピードを競うという要素が加わったものと思っています。
かくして確認できた耐久性、信頼性、悪路走破性といった性能が、顧客の生活にそのままのカタチで役立つだけでなく、日常での安全と安心を下支えすることになる、と小鑓主査は語る。
一方、ラリーが生活に最も密着したモータースポーツであることを、GRヤリスのチーフエンジニアである齋藤尚彦主査も身をもって経験している。
齋藤主査
TOYOTA GAZOO Racingは2017年からラリーに参戦していますが、トップカテゴリーのWRCでさえ、市販車のボデーをそのまま使わなければいけないように、競技そのものが、お客様の生活と密接な関係にあります。市販車の強さがWRCの強さであり、逆も同じ。
また、数々の優勝の陰には幾多のリタイアがあり、壊しては直して、また鍛えての開発をずっと続けている。もっといいクルマづくりのためにWRCが最適だからこそ、モリゾウさんは参戦を決めたのだと思います。
かつて齋藤主査がWRCカーの氷上テストのためフィンランドに赴いた際は、トミ・マキネン・レーシングの若手メカニックの実家、その敷地内にある凍結湖が、そのままテストコースに供されていたことに驚いたという。
齋藤主査
フィンランドでは、子どもでもブレーキに足が届いたら、こうした私有地でクルマに乗り始めてOKだそうで、メカニックの彼が小学生の時から走らせていたラリーカーを昼休みに出してきてくれました。そのメカニックは小さい時からWRCドライバーのように庭でジャンプして遊んでいたとのこと。日本でクルマづくりをしているだけでは、到底知り得ない世界でした。
エンジニアは謙虚に油にまみれてこそ
ラリーの世界では不具合を直さなければ、過酷なコースでゴールはできないし、次の出走機会までに対応が間に合わなければ、失格してしまう。だからこそ、エンジニアがラリーの現場を知ることは、開発の効果を確実にするのみならず、そのスピードを速めることにもつながる。
現場のドライバーから次々に上がってくる要望に対し、エンジニアはひたすら素早く対処することが求められると、2人の主査は異口同音にいう。
小鑓主査
ランドクルーザーではモータースポーツの現場と同様に、ステアリングを握るお客様の要求に応じて開発を続けてきましたが、できたものに対して絶えず新たなご要望をいただくんです。それに応えるためには、謙虚に開発に取り組み続けるしかないんですね。
齋藤主査
お調子者の僕がGRヤリスを担当してモリゾウさんに言われたのは、「褒められてもほくそ笑むぐらいで次のことを考えろ、それがエンジニアだろう」ということでした。エンジニアたるもの、謙虚に学び続けて満足するなと、今も胸に刻んでいます。
小鑓主査
自分もランドクルーザーの開発に携わり始めたころ、夢というか、ここをああしたいな、こうやりたいなという想いがたくさんあったのですが、ランクルの理想形はお客様が自分でつくるものだと、あるとき悟ったんです。
だからチーフエンジニアを拝命した際は、お客様に一番近い開発者になろうと決意しました。世界中のお客様にたくさんお会いして、その声を謙虚に受け止め、お客様にとって理想的なランクルに仕上げていく、それが自分の仕事だと。
先ほども話に出たTS(トヨタ・スタンダード)が、開発において立ちはだかることもありますが、なぜここで立ち止まらなければならないのか?お客様の求めているのはそこじゃないのではないか?というとき、社内と戦うこともありました。
それらを乗り越えていくのもエンジニアの責務じゃないかと思っています。お客様の気持ちになりきれないと、お客様が何を求めてこのランドクルーザーに乗っていただいているのか、見失いますから。
時代によってクルマに求められるものは変わるとはいえ、ランドクルーザーは現場の声を聞き続けながら開発するというスタイルを貫いてきた。
「でも、お客様に褒められること、ないんですよね?」と脇阪氏に指摘されると、小鑓主査は苦笑いして答えた。
小鑓主査
先ほど、お客様が満足してくれないといった通り、褒められることもなければ、長らくランクルをつくっていて社内に褒められることもないですよ(笑)。
思わず吹き出した脇阪氏が、齋藤主査の方を見て、こう続けた。
脇阪氏
つくり手本位ではなく、お客様本位のクルマづくりを実践し続けてきたランドクルーザーと、そこからスタートしたGRヤリスに、共通しているのは何というか、トヨタのエンジニアは慢心したらダメ、ということなんですね。
それこそが「道が人を鍛える」というトヨタのクルマづくりの根幹を象徴する考え方であり、2人のエンジニアが、アプローチや手法は違えこそすれ、実践してきたことでもある。
ところで、ここからのクルマづくりや、若手の育成について、2人はエンジニアとしてどんなことを考えているのだろうか?
齋藤主査は、エンジンルームに自ら手を突っ込み、進んで油まみれになるような、そういうチーフエンジニアを多く育てていきたいという。
齋藤主査
今の若いエンジニアに、ともすれば足りない、クルマに触れる時間そのものを増やしたいですね。我々のチームがルーキーレーシングの現場で学ばせていただいていることを伝えていきたいですし、GRヤリスで取り組んで、今なお悩み続けていることを横に広げ、他のクルマづくりにも展開したい。
自分でクルマに触って整備ができて、油にまみれて改造もできる。そういう人材を育てたくて、近いうちに若手メンバーと溶接の勉強会を開くことにしました。溶接はさまざまな鉄の素性を知らないとできませんから。
小鑓主査も同意しつつ、こう話を締めくくった。
小鑓主査
自分は古い人間かもしれませんが、手の汚れを気にするような人間にクルマはつくれません。若いエンジニアには自分の手を汚して、汗をかいて、たくさん失敗してもらいたいですね。成功ばかり続いても何も学びになりませんから。
しみじみ思い返してみて、エンジニアなので、お客様のために、汗をかこうという想いは人一倍あります。まだまだ、やることはたくさんありますし、上の立場の人ほど自分が汗をかかないといけない。そうした姿勢は手掛けるクルマにも現れるし、それがお客様の想いにもつながると思いますから。
「道が人を鍛える」とはいう。だが鍛えられてきたエンジニア本人たちの日々の実践、そして想いと意気込みには、何ら飾るところはないのだ。
小鑓貞嘉 Sadayoshi Koyari
Mid-size Vehicle Company MS製品企画 主査。1985年、トヨタ自動車入社。第1技術部に在籍し、ハイラックス およびランドクルーザープラドのシャシー設計を担当。1996年からは、トヨタ第3開発センターにて製品開発を担当、2001年よりランドクルーザーと、 新型フレーム系プラットフォームの製品開発に、主査として従事。 2007年、トヨタ第1開発センターのチーフエンジニアとなり、現在 ランドクルーザー70シリーズ、ランドクルーザープラドの開発に携わる。
齋藤尚彦 Naohiko Saito
GAZOO Racing Company GRプロジェクト推進部 開発主査。1997年、トヨタ自動車入社、海外サービス部に配属、技術課題解決を担当。2001年からは、米国トヨタに3年間駐在、北米各地を現地現物で担当。2004年よりレクサスセンターにて新型LS製品開発、チーフエンジニア付きとして従事。 2009年、東富士研究所にて空力技術開発を担当、2013年からはTCカンパニーにて次期ヤリスの製品企画開発を担当、2016年よりGRヤリス開発を担当、現在に至る。