ランドクルーザーの小鑓主査とGRヤリスの齋藤主査。2人のエンジニアが「もっといいクルマづくり」について語る。
モリゾウが目指した“もっといいクルマづくり”改革とは
同じトヨタ社内とはいえ、異色の対談といえるだろう。長年にわたりランドクルーザーの開発に携わり、“ミスター・ランクル”の異名を持つ小鑓貞嘉主査と、GRヤリスのチーフエンジニアである齋藤尚彦主査。
唯一無二のクロスカントリーとレースカーのベースモデルというように、手掛けるクルマは全く異なる2人だが、「道がクルマを鍛える」「もっといいクルマをつくる」「壊れるまで走り込む」というエンジニアとしての思想は、共通している。そんな2人のエンジニアがクルマづくりについて腹蔵なく、思うところを語り合った。
聞き役は、TOYOTA GAZOO Racingのアンバサダーにして歴代ランドクルーザーを何台も乗り継いできた脇阪寿一氏。
「そもそもモリゾウさんのいう“もっといいクルマづくり”の改革を、お2人はどのように捉えてきたんですか?」
脇阪氏の問いに、まず齋藤主査が次のように切り出した。
齋藤主査
モリゾウさんが改革したかったのは、エンジニアの意識を根底から覆すことだったと思います。
モリゾウさんが評価するレベルはタイヤの限界を超えたところでクルマをコントロールする領域、それまでトヨタが開発車両で評価したことのない速度域とG(加減速やコーナリング時の加速度)の領域でなんです。
それで、GRヤリスの開発初号機に乗っていただいたとき、僕ら開発チームは自信満々だったのですが、「トヨタではスポーツカーはつくれないんじゃないか?」「スポーツ4WDはスバルさんに頼むべきか?」と。本当にそんな会話が飛び交いました。そのぐらいダメだった。それがスタート地点でした。
TOYOTA GAZOO Racingでニュルブルクリンク24時間耐久レースに幾度となく参戦している脇阪氏は、欧州の自動車メーカーが開発初期からニュルで実践的に生産車を開発する状況をモリゾウが目の当たりにし、レースの最前線で現地現物を実践することに舵を切ったと、指摘する。
齋藤主査
本当にそう思います。トヨタには、いわゆるTS(トヨタ・スタンダード=トヨタのクルマづくりにおける基準)がありますが、これまでは、レースの世界のような高速・高Gの領域はその基準の外によけていました。そこは特殊な人たちが特殊な改造をしてつくり上げていくものとして。
一方、欧州メーカーはスポーツカーに限らず、その領域から市販車を開発していたんです。
トヨタ車といえば長らく、使いやすく機能的、その割に安価で壊れない、そういう乗用車で世界中の市場を席巻したイメージだったが、そこにメスを入れたのがモリゾウの改革だった。
齋藤主査
レーシングカーから市販車をつくるという考え方は、時代を遡るとトヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎さんが「自動車開発にオートレースは不可欠なものである」と、ちゃんと文章で残されています。まさに本来、モータースポーツと自動車開発が取り組むべきことだったんですね。
独自路線を貫いたランクルの開発環境
するとここで、“乗用車”というキーワードに小鑓主査が反応した。
小鑓主査
入社したころトヨタは確かに乗用車カンパニーで、僕が携わってきたのは商用的なクルマづくりでした。
乗用車と基本的に違うのは、何よりも重要なのが“信頼性”と“耐久性”であるということです。これら2つの要素が、お客様が生活・仕事で使う用途には絶対に欠かせない。
もちろんランドクルーザーでは、初代から悪路走破性も追求してきました。ですから、これは乗用車の開発にも重なると思いますが、“自信のないものを世に問うな”という考え方を大切にしてきました。これは初代BJ型を開発した梅原半二さんの言葉で、ランドクルーザーの開発チームでは、代々、諸先輩方から受け継がれてきました。
自分たちの自信をどういったかたちで最終的にお客様に示し、安心してもらえるものにしていくか?そうした念いがランドクルーザーの開発に携わった人間に受け継がれていると思います。
ランドクルーザーの開発チームに加わった当初こそ、往時の主査や開発ドライバーの「走って走って壊さないと世に出せない」という開発思想に面を喰らったというが、ランドクルーザーを通じてクルマづくりの深みにはまっていったと小鑓主査は語る。
「人々の生活に寄り添って、その生活を豊かにし、人々を笑顔にすることが、トヨタのクルマづくりの根幹にあると思いますが、ランドクルーザーが寄り添う生活環境は、かなり過酷なものが含まれますよね?」
脇阪氏が問うと、小鑓主査はこう続けた。
小鑓主査
一般的に乗用車ユーザーの生活圏は、基本的にサービスが行き届いた世界ですが、壊れても誰も助けてくれる人がいないところを走ることが、ランドクルーザーのユーザーにとっては日常です。
40シリーズも70シリーズもそうですが、古いモデルですが年々信頼性は高まっていく。70シリーズはデビューから37年になりますが、その間ずっと“カイゼン”を重ねてきましたから。その信頼性は5年や10年では決して得られません。
変な話、すべてのランドクルーザーのお客様が、自分のクルマに満足されているわけではないですよ(苦笑)。ただ最後に口をそろえて、これ以上のクルマがないからとおっしゃってくださるお客様がおられる。だから僕が満足してしまったら、お客様に安全に安心して乗ってもらえない。ランクルを開発していて、常にそういう緊張感をもっています。
エンジニアにとって開発ドライバーとは
開発中のクルマを向かうべき方向に導くのは、エンジニアのみならず開発ドライバーの役目でもある。トヨタには凄腕技能養成部門や匠といった開発ドライバーが存在するが、2人のエンジニアはドライバーの役割についてどう考えるのか。齋藤主査はレーシングドライバーと開発ドライバー、それぞれの役割があると指摘する。
齋藤主査
オンロードでもオフロードでも、レーシングドライバーはタイヤの性能に隠されて見えにくいクルマの弱点を素早く見抜きます。
限界を超えた領域でいろいろな入力の仕方で車両の動きをチェックする。レースで“壊してくれる”ところも含め、そこがレーシングドライバーならではの能力です。逆に社内の開発ドライバーは、お客様が使う領域から限界領域に向かって評価を実施します。双方向から評価をしていき、オーバーラップしていきます。
速度域とGの領域をグラフ化すると、双方のデータがきっちり分かれて異なる不具合が出るんです。そして、レーシングドライバーが見つけた不具合に対処すると、社内開発ドライバーに指摘されていた領域も良くなる。そこには相関関係があります。
例えばレーシングドライバーはアンダーステアだというけれど、開発ドライバーはオーバーステアだというとします。でも、彼らはコーナー進入時の操舵スピードやブレーキ踏力が違うから、互いのコメントが真逆だとしても、データを見るとこの領域ではオーバーステア、この領域ではアンダーステアというふうに、現象の一貫性を確認できて、結果サスペンションや駆動系等の対策が決まります。
そういったことを僕らエンジニアが今まで気づいていなかった。モリゾウさんにレースの世界から学べと言われてつかむことができた、一つの成果ですね。
対してランドクルーザーは、ダカールラリー参戦を通じてモータースポーツに関わり続ける一方、社内の開発ドライバーが開発現場で「壊し切る」のが基本。小鑓主査はドライバーの役割についてどう考えるのだろうか。
小鑓主査
“道が人を鍛える”という開発思想でいうと、道を知らないとランドクルーザーの開発ドライバーは務まりません。世界中のオフロードや生活道路をランクルで走り、お客様の使用環境を熟知しないと、評価はできない。
ランクルはモデルライフが長くて導入後もカイゼンを続けられる一方、開発チームのスタッフには他部署への異動がありますから、オフロードでの走破性を評価する技量をノウハウとして継承していくことが重要な課題だったんです。そうした人材を育成していくことについて僕は少し懸念を抱いていたのですが、37年以上にわたって開発ドライバーとしてランクルづくりに携わってきた福岡孝延さん(現在、株式会社トヨタカスタマイジング&ディベロップメント)が、オフロードでの運転技能評価を整えようと、3つのレベルについて運転資格化しました。
現在はこの制度が始まって2周目くらいだが、開発ドライバーに教わった重要なことはもう一つあるという。
小鑓主査
福岡さんがまさにそうだったのですが、モノづくりの中で自分のアイデアをカタチにできる能力が大切なんです。
例えばターンアシスト制御を開発する際、手づくりでサイドブレーキを左右別々に作動できる車両をつくり、その挙動を確認するとか、最近のプラドや最新の300シリーズに搭載されている車両制御系システムはすべて福岡さんが発案・検討したものと言っても過言ではないですね。これあったらいいなという機能を発想して、それをどうメカニズムにして、どう具現化するか?福岡さんは原理原則をカタチに落とし込めるんです。
開発ドライバーは現場でそういうことを考えるアイデアマンでもあって、やはり昔から現場にいた方はそういう創意工夫が得意でした。こんなことをやりたいんだけれど、って熱中してつくってしまう能力に長けている人が必要なんです。
現場の職人技が開発に新展開をもたらす
現地現物の手応えを探り当てるスタッフの能力に助けられることは、開発に限らず、生産の場においても同じ。いわゆる匠の存在だ。
齋藤主査
これまでは試作車ができてから、生産技術の担当者と打ち合わせて生産準備や製造工程へ進みます。当然それは時間軸として長いスパンになるのですが、GRヤリスの場合は生産技術のエンジニアに企画、開発の段階から入っていただけました。一緒にレーシングカーをつくる現場を見て回って、工場の生産ラインの工程で、運動性能重視のレーシングカーをどうつくればいいか、一緒に頭を使ったんです。
通常のレーシングカーは、出来上がったクルマに対して職人がパーツの1点1点の精度を出し、クルマに組み付けていく。そこから学んだGRファクトリーでは、微妙に差異の生じるボデーに対して、例えばサスペンションならアライメント精度に相性のいいパーツを最初から選んで、組み合わせていく。
齋藤主査
生産技術のエンジニアとともに、ラリー、サーキットで走るレーシングカーに関わるレースチームが、レースに向けて車両をつくり込んでいる現場を見て、それをヒントに工程準備を進めました。投資やコストは上げられないけれど、レーシングカー並の精度や軽量化を生産車の工程でどう実現させるか。通常通りに開発が先行し、それから生産工程を準備しても、それは不可能ですから。
これはモリゾウの改革によって可能になった、量産でレーシングカーに求められる精度を実現するという発想だが、生産メンバーを巻き込む効果も生んだと、齋藤主査は語る。
齋藤主査
こうつくってくれと開発後に頼んでも、なぜそうしなきゃいけないか、普通なら理解されづらいものです。でもGRヤリスでは、モリゾウさんがやりたいクルマづくりを最初から生産メンバーと共有できました。
工場で組み立てを担当するメンバーの皆さんにGRヤリスに試乗する機会を設けていただき、多くの方々に乗っていただきました。ラインオフする前から、生産工程に携わる一人ひとりに、モリゾウさんの思いが爪の先までしっかりと伝わっています。これが、モリゾウさんが “もっといいクルマづくり”改革でやりたかったことじゃないかと思います。
一方、ランドクルーザーの開発陣は生産の現場とどのように向き合い、どのような匠の技が活きているのだろうか?脇阪氏が小鑓主査に聞いた。
小鑓主査
ランドクルーザーといえばラダーフレーム、その進化なくしてランクルの進化はありません。でも、一般的にラダーフレーム構造は車重が重くなりがちで、フレーム自体を軽く強靭に仕上げる必要がありました。
今回の300シリーズで採用した軽量化されたラダーフレームは、溶接現場からアイデアも得ています。具体的には、フレームの鉄材質を適材適所で変えて、パッチワークのようにつなげているんです。板厚や硬さが異なる部材を適材適所に配置し、溶接でつないでプレスで曲げ、一本のフレームに仕上げる。だから無駄な贅肉がないんです。かつては、最も耐久性が求められる箇所の板厚を決めて、その厚さでフレーム全体をつくるという手法でしたから。
匠の溶接技術があったからこそ可能になった技術革新により、300シリーズのより軽く強靱なフレームが実現できた。ランクルは基本的にすべて日本で生産していて、フレームは本社工場でつくっているのですが、工場という生産現場のおかげでフレームが進化しているんです。
齋藤主査
まさしく、生産工程の人たちの技術がなかったら実車が組み立てられないどころか、その前にクルマとして成立しない点は、GRヤリスにもランクルにも共通するんですね。
小鑓主査
大企業になるほど、コンパクトにプロジェクトを進めるという意識が低くなりがちですが、分業化し過ぎちゃうと、やはり開発チームの想いが共有しづらくなるじゃないですか。コンパクトな組織で進めることで、クルマづくりに対する情熱や意識が、強くなるし、そうした組織のほうが技術革新を起こしやすいとは思います。
齋藤主査
それこそモリゾウさんの考えが生きているところですね。いい意味でクルマづくりの工程が、小さくコンパクトに圧縮されている。
小鑓貞嘉 Sadayoshi Koyari
Mid-size Vehicle Company MS製品企画 主査。1985年、トヨタ自動車入社。第1技術部に在籍し、ハイラックス およびランドクルーザープラドのシャシー設計を担当。1996年からは、トヨタ第3開発センターにて製品開発を担当、2001年よりランドクルーザーと、 新型フレーム系プラットフォームの製品開発に、主査として従事。 2007年、トヨタ第1開発センターのチーフエンジニアとなり、現在 ランドクルーザー70シリーズ、ランドクルーザープラドの開発に携わる。
齋藤尚彦 Naohiko Saito
GAZOO Racing Company GRプロジェクト推進部 開発主査。1997年、トヨタ自動車入社、海外サービス部に配属、技術課題解決を担当。2001年からは、米国トヨタに3年間駐在、北米各地を現地現物で担当。2004年よりレクサスセンターにて新型LS製品開発、チーフエンジニア付きとして従事。 2009年、東富士研究所にて空力技術開発を担当、2013年からはTCカンパニーにて次期ヤリスの製品企画開発を担当、2016年よりGRヤリス開発を担当、現在に至る。