トヨタイムズ

ランドクルーザー70周年を機に、二人の開発者が語るその歴史と設計思想【前編】

特集 2021.08.03 UPDATE

INDEX

ランドクルーザーに「信頼性」「耐久性」「悪路走破性」が求められる理由

2021年8月2日、300系と呼ばれる最新モデルが発売された新型ランドクルーザー。
いわゆる「ランクル」の初代BJシリーズは1951年に登場し、今年はシリーズとして生誕70周年にあたる。

ランドクルーザーの原点である初代ランドクルーザーBJシリーズ(1951年)
1955年にデビューしたランドクルーザー20系 

BJシリーズの直系で、ランドクルーザーの根幹である「ヘビーデューティ」の70系のみならず、フラッグシップとして先進技術を刷新していく「ステーションワゴン(300系がその最新モデル)」と、より日常的に広範囲の用途をカバーする「ライトデューティ」のプラドといった具合に、ランドクルーザーは3つの異なるシリーズをラインナップし、今や世界170カ国で販売。累計生産台数は1000万台を越える。

ちなみにこれは、トヨタにおいてはカローラ、ハイラックスに次ぐ記録だ。

初代BJシリーズからのランドクルーザーの系譜 

70周年を機にいま一度、ランドクルーザーの現在地を確認すべく、現役の開発者、小鑓貞嘉と横尾貴己の二人に、その源流から今へ至る歴史と哲学を語ってもらった。

「ミスター・ランクル」として知られ、現在は70系とプラドを担当する主査の小鑓が、トヨタ自動車に入社したのは1985年。ハイラックスのシャシー設計からランドクルーザーの開発に携わっていった彼は、肌で経験したランドクルーザーの原点を、こう語る。

ミスター・ランクルと言われる小鑓貞嘉。現在は70系とプラドを担当。

小鑓主査

ランドクルーザーの開発に関わらせてください、とずっと要望してきたのですが、実際に異動したのは2001年でした。

着任して早々に、当時ランドクルーザーチーフエンジニアの渡辺からまず中東で実際のお客様に会ってきなさいと言われ、現地に飛びました。まだドバイに、高層ビルが2棟ぐらいしか建ってないような時代です。

この時にお客様とランドクルーザーの信頼関係が、すぐに理解できました。

1960年に登場したランドクルーザー40系 
1967年、初代ステーションワゴンとして40系から派生するかたちでデビューしたランドクルーザー55系
1980年に2代目ステーションワゴンとして登場したランドクルーザー60系 
40系の次世代モデルとして1984年にデビューしたヘビーデューティ系の初代70系 

中東といえば砂漠ですが、いちばんの大国であるサウジアラビアの首都リヤドと商業都市ジェッタ間は距離が920930キロあって、砂漠の中を一本の高速道路で結ばれています。

現地のユーザーはそこを可能な限りのスピードで、摂氏50度を超える気温の中をぶっ飛ばしていく。暑いので止まることをなるべく避けて目的地まで一気に走るんですね。

一方、南部には山岳地帯、アラビア半島の数カ国を分ける国境にも、大変厳しい山岳道があります。

UAEやオマーンの海岸線には平らな砂漠があって、漁師が地引網を引っ張るのにランドクルーザーを使っていることもあれば、警察車両として採用されていたり、砂漠ツアーといった観光にも使われます。

要は、ランドクルーザーが現地の人々の生活を支えるクルマになっているんです。

ランドクルーザーが初代から幹として培ってきたランクルネス、つまり『信頼性』と『耐久性 』そして『悪路走破性』がなぜ求められるか。現地に赴いて、肌身で感じました。
UAEの漁村では50年以上前の40系が現役で漁網を引っ張っている 

「どこへでも行き、生きて帰ってこられる相棒」と言われる背景

入社当初は駆動部品の設計を担当。2010年代半ばからランドクルーザーの開発に携わるようになり、このたび300系の開発を担当した主査の横尾も、自らの“現地現物”体験を、こう語る。

ランドクルーザー300の開発を担当した横尾貴己

横尾主査

3車種(ステーションワゴン系、ヘビーデューティ系、プラド系)すべてのチーフエンジニアを小鑓さんが担当していた2014年でした。

私は駆動系の設計チームから車両開発全般を統括する部署に移ってきて、開発全体を俯瞰するために何かしら教えてもらえるのかな?と思っていたら、まずはオーストラリアに行くように命じられたんです。

コロナ禍で中断してしまった五大陸走破プロジェクト*の枠組みではありますが、我々のような技術開発の人間が現地を見てくると、社内にいたら分からないことばかりなんですね()

*「道が人を鍛える。人がクルマをつくる」というトヨタのモータースポーツ活動の思想を根幹とし、「もっといいクルマづくり」と、それを支える「人づくり」のために、5つの大陸をグローバルトヨタ及び関連会社の従業員が走破していくプロジェクト

5大陸走破プロジェクトでアフリカの大地を走り抜けるランドクルーザーの車列

例えば、オーストラリアでワニ園を経営するユーザーの方がいて、創業期からランドクルーザーを使ってきて会社を一緒に大きく育ててきたとか。

あるいは、アウトバックと呼ばれる内陸部には、整地はされているけど未舗装の道がところどころにあるんですが、轍で洗濯板みたいな凹凸があったり、クルマが通った後は砂ぼこりで何分間か、視界が利かなかったり。

逆に雨が降ると道だったところを小川が横切っていたり。こんな厳しいところを? という悪路を、現地の方々は何時間もガンガン走る。そんな使われ方をされているんです。

妙な言い方ですが、お客様から、『どこへでも行き、生きて帰ってこられる相棒』という評価をいただいている実情や背景を知ることができました。

今日、ランドクルーザーの販売内訳は、日本市場では約9割をプラドが占め、ステーションワゴン系は1割ほど。

逆に快適性が重視される中東ではステーションワゴン系がメインで、ランドクルーザーの第2の故郷といわれるオーストラリアでは70系を加えた3つの系統がほぼ均等に推移しているという。

またアフリカでは、整地もされていない道なき道で乗られることが多く、実用性重視で70系を選ぶユーザーが圧倒的ながら、国際機関による人道支援や医療、教育活動などで、ステーションワゴン系の需要も少なくないという。

日本とはかけ離れた環境で使われるランドクルーザーの開発要件とは、歴代モデルを通じて変わらぬ信頼性や耐久性、悪路走破性を確保するために、目標となる仕様やスペックを寄せ集めて積み重ねたものではない。

乗っている人たちの命を乗せていること、生活や社会づくりに貢献しているクルマであることを、開発者たちが現地現物で目の当たりにし、肌で感じるところが出発点なのだろう。

初代BJシリーズが米軍に採用されなかった悔しさがバネに

「初代BJシリーズが開発されたきっかけは1950年にアメリカ軍と国家警察予備隊(自衛隊の前身)から4輪駆動車の開発要請を受けたことでした。
結果的に、米軍車両と互換性のある三菱自動車さんのCJ3B型ジープが採用されたことを、ご存じの方も多いでしょう。でも、BJシリーズの初代開発責任者(当時はまだ主査制度はなく技術部長)である梅原半二さんには、自分たちのつくったクルマがジープに負けていないという自負があった。
そこで、当時、米軍のジープが富士山の五合目まで走破した実績があったので、さらに上へ登ってやろうという意図で、富士登山というチャレンジを実施したんです」と小鑓は語る。

当時の雑誌や文献を読み漁ったという小鑓いわく、BJシリーズによる富士登山は、吉田口の登山開始から五合目に辿り着くまでは3時間ほどながら、五合目から六合目へは岩場の道なき道をそれこそ命がけで登攀する必要があり、6時間の時間を要したことから、その厳しさが察せられたという。

富士山五合目の急峻な山道を登るBJシリーズ。2台のBJでチャレンジし、いずれも前車未踏の六合目まで走破するという快記録を残した。

小鑓主査

歴史は繰り返す、じゃないですが、江戸初期に愛宕山に馬で登った馬術家の曲垣平九郎(まがき へいくろう)の逸話にならって、下見したら手すりがあってダメだったので、これに似た岡崎市にある不動山の石段をランドクルーザーで登れないか?と。

平九郎が登ったと同じように、当時のテストドライバー平一郎のチームはジグザグに昇降して、この壮挙に成功した。それだけ自分たちのつくったランドクルーザーに自信があったのでしょう。

梅原さんのランドクルーザーに対する自信と愛がことさら深いのは、ランドクルーザー(陸の巡洋艦)の名づけ親だったこともありますが、すくすく育ったクルマではなかったから。

すぐ信頼を得られたからでなく、むしろ米軍に採用されなかった悔しさがベースにあった。

梅原さんは『(開発者にとって)自信のないクルマは信頼を生まない』という言葉も残しているんですが、アメリカ市場でクラウンが高速道路での品質不具合で苦戦し、米国トヨタを設立したはいいけど売るクルマがなかった時代、唯一売れたのがランドクルーザーだったそうです。

余談ですが、トヨタが月面探査車両を発表したとき、『ルナ・クルーザー』と名づけたじゃないですか。地球を走るランドクルーザーに対して、月面を走るもう一つの『クルーザー』という意味で。

トヨタ自動車においてランドクルーザーがいかに大切にされているか、胸が熱くなりましたね。
燃料電池車両技術を用いた月面でのモビリティ「LUNAR CRUISER(ルナ・クルーザー)」

自信とは、偽りなく自らを信じるところのもので、信頼とは相手から寄せられるもの。ランドクルーザーの信頼性の原点が、70年前のオリジナルにすでにみてとれるだろう。

後編では、「現地現物」や「実車評価」、そして「現行同等以上」といった、初代BJシリーズから受け継がれてきたランドクルーザーの開発思想を中心に語ってもらう。

後編へ続く

小鑓貞嘉 Sadayoshi Koyari

Mid-size Vehicle Company MS製品企画 主査。1985年、トヨタ自動車入社。第1技術部に在籍し、ハイラックス およびランドクルーザープラドのシャシー設計を担当。1996年からは、トヨタ第3開発センターにて製品開発を担当、2001年よりランドクルーザーと、 新型フレーム系プラットフォームの製品開発に、主査として従事。 2007年、トヨタ第1開発センターのチーフエンジニアとなり、現在 ランドクルーザー70系、ランドクルーザープラドの開発に携わる。

横尾貴己 Takami Yokoo

Mid-size Vehicle Company MS製品企画 主査。2000年、トヨタ自動車入社。ドライブトレーン設計部に在籍し、ランドクルーザー・ランドクルーザープラドのディファレンシャル設計ならびにレクサスRC F用トルクベクタリングシステムの開発を担当。2014年からは、製品企画本部にて製品開発を担当、2017年のランドクルーザープラド マイナーチェンジの担当を経て、2019年には開発責任者としてランドクルーザー300系に携わる。

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