プリウス生みの親、内山田竹志取締役が退任した。少年時代、自動車エンジニアに憧れ、夢をかなえた前会長。株主に伝えたのは、深い、深い、感謝の気持ちだった。
4つの議案の審議を終え、株主総会は閉会。会場を後にする株主が出始めたところ、議長の豊田章男会長が切り出した。
「株主総会は閉会しましたが、本日ご来場の株主の皆様にしばらくお付き合いいただき、今回退任する役員を代表して、内山田より一言ご挨拶させていただきます」
指名を受けたのは、4月に会長を退任した内山田竹志取締役 * 。自動車のエンジニアを志した少年のころのエピソードに始まり、入社以来54年間の感謝を伝えた。
*株主総会後、同日の取締役会で取締役を退任。エグゼクティブフェローは継続
「本当に幸せなトヨタマン人生でした」
内山田取締役
私事になりますけれども、私は少年のころから大変クルマが好きで、中学2年生のときに「将来大人になったら、自動車会社に入って、自分が企画したクルマを世の中に出したい」と思って、ずっと学生時代を暮らしておりました。
そして、念願かなって、トヨタ自動車に入社することができ、さまざまな開発に携わることができましたし、初代プリウスを世の中に送り出し、子どものころの夢を実現することができました。
改めて、入社以来の54年間を一言で表すと、「感謝」につきます。
私を育ててくださった職場の先輩、上司の皆さん。そして、一緒に仕事をやってくれた同僚、後輩の皆さん。
また、さまざまな開発の機会を与えてくれたトヨタ自動車という会社に大変感謝を申し上げたいと思います。
役員になってからの25年間、前半は会社のグローバル化でした。
そして、後半は構造改革。豊田社長時代のリーマン・ショックに始まって米国のリコール問題。そういう状態からトヨタ自動車の復活を遂げるための奮闘。こういうものを、すぐそばで見ており、応援もしてまいりました。
おかげさまで、現在のトヨタは危機対応も含め、将来の技術開発、研究開発投資、設備開発投資も全て自己資金でまかなうことができる状態になっております。
このことが、中長期的な視野に立って経営判断をする、あるいは、目まぐるしく変化する環境に対して、素早く投資判断をすることができる大きな要因になっております。
何よりも、そういうことを我々ができるよう、心温かく励まし、支えてくださった世界中のお客様。
そして、本日この会場にお見えになる方をはじめとする株主の皆様の応援で、我々は今、いろいろなことができていると思っております。
今年は、大きく会社の体制が変わります。どうか新体制の皆さんに対しても、引き続き、今まで同様のご支援、応援のほど、よろしくお願い申し上げます。
本当に幸せなトヨタマン人生でした。ありがとうございました。
「最大の理解者で尊敬する人生の先輩」
豊田会長
ミスタープリウス。内山田さんは未来への挑戦をクルマで体現した偉大なエンジニアでありました。
そして、私にとっては、いつもニュートラルな立場でアドバイスをくださる最大の理解者であり、尊敬する人生の先輩でもありました。
「もっといいクルマづくり」を一番応援してくださったのも内山田さんでした。
内山田さんは私が社長になる前は同じ副社長の先輩として、社長になってからは技術担当副社長や会長として、常に私をサポートしてくださいました。
やんちゃな弟を優しくサポートしてくれる兄の存在だったように思います。この場お借りして感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
内山田さん、25年間、取締役としてトヨタの経営を支えいただき、本当にありがとうございました。
感謝の言葉を伝えた後、豊田会長は立ち上がり、内山田取締役に向かって深く頭を下げた。
「社長が一生懸命、構造改革を推進しているので、みんなの前ではいつも(豊田)社長をサポートする側にいこう」
そう心掛けていたという内山田取締役。豊田会長とは、アイデアが固まる前の早い段階からともに議論をしたり、意見が合わないときは2人で話し合ったりして、ベクトルを合わせてきたという。
副社長として、会長として、陰になり日向になり、豊田会長を支え続けてきた内山田取締役。株主からも大きな拍手が贈られた。
内山田取締役 略歴