トヨタイムズニュース
2023.02.03
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豊田社長から尊敬する先輩へ ゼロからイチを生んだミスタープリウス

2023.02.03

会長職を離れる「ミスタープリウス」こと内山田竹志会長。豊田章男社長を支え続けた男は「嫌なことを言う人」だった!? 生放送の6つのシーンを振り返る。

既報の通り、トヨタ自動車は1月26日、社長交代をはじめとする体制変更を発表した。

豊田章男社長によると、トップ交代のきっかけになったのは「内山田竹志会長の退任表明」だという。

生放送で配信したトヨタイムズニュースでは、2人の口から、決断に至るまでのエピソードや2人の関係など、さまざまな話題が挙がった。

内山田会長と言えば、世界初の量産ハイブリッドカー・プリウスの生みの親として知られる。豊田社長体制の13年間では、副社長、副会長、会長を歴任し、トヨタの経営を支えてきた。

そんな内山田会長は豊田社長にとって、どんな存在だったのか? 2人はどんな想いを共有して今日までトヨタを経営してきたのか?

「今のトヨタ」をともに築いてきた2人の生放送での発言をハイライトする。

「本当に充実したトヨタマン人生でした」

シーンⅠ:内山田会長 退任のあいさつにて

会長の内山田です。4月1日付で会長を退任することになりました。先ほど社長から「今回の新体制は私の退任表明がきっかけ」という話がありましたので、まず、そのあたりからお話ししたいと思います。

以前より世代交代の必要性から退任のタイミングを考えておりました。長くなると老害になりかねない。若い人たちから、そう言われる前に退任をと思っていたからです。

ここで少し自身のことを振り返ると、中学2年生のときに、将来、自動車会社に入ってクルマの開発をやりたいと思ったのが、トヨタ自動車に入ったきっかけでした。望みの自動車会社に入り、開発の仕事ができて本当に良かったと思っています。

トヨタ自動車での54年間を一言で言うと「感謝」です。育てていただいた先輩・上司の皆さん、一緒に仕事をしてきた同僚・部下の皆さんに大変感謝しています。また、いろいろな開発に関する機会を与えていただいた会社にも感謝しています。

役員になってからの25年間、前半はグローバル化、そして、後半は構造改革でした。

リーマン・ショック、米国リコール問題からの復活を遂げるためにこれまで心血を注ぎ、奮闘する豊田社長のリーダーシップを、つぶさに見てまいりました。その中で、次世代へのバトンタッチの土台ができ上がってきたというのも、退任を決意した理由の一つでした。

最後になりますが、これまで温かく見守っていただいた我々のお客様・株主の皆様にも心から感謝申し上げます。

どうか、新たに発足する新体制につきまして、引き続き、皆様のご支援・応援をよろしくお願いします。

本当に充実したトヨタマン人生でした。ありがとうございました。

「ハイブリッド開発は技術者冥利に尽きるプロジェクト」

シーンⅡ:プリウスの歴史を振り返るVTRを見て

富川悠太キャスター

プリウスは見た目も中身もどんどん進化していますが、その根本にあるものは内山田さんから受け継がれた想いだったんですね。

豊田社長

そう思います。しかも、普通のモデルチェンジと違って、プリウスの初号車です。普通のエンジンではなく、新しいパワートレーンを得た。

内山田さんが語られているように、クルマには便利なところもあれば、不都合なところもある。

21世紀を迎える直前に、その不都合をミニマイズにして、楽しい所をマキシマイズする。そんな開発をしなさいよと(当時の経営陣に言われた)。

それから「燃費を倍に」というのは、とんでもない目標だったと思います。それを経営陣ではなく、チーフエンジニアという立場でリードした。

まったく何もイメージがわかないところでつくったのが「ミスタープリウス」と言われるゆえんじゃないかと思っています。

富川キャスター

ゼロからイチを生み出すのは本当に大変なことですよね。内山田さん、どうですか?

内山田会長

そうですね。今、社長が言ったように、「燃費2倍」という従来技術ではできない目標があったからこそです。

こういう新しいイノベーション、ブレイクスルーできる技術は、当時、まだまだ研究段階で、「商品化は随分先」とみんなが言っていました。そういう企画に対してGoをかけてくれた当時の経営陣には本当に感謝しています。

あの決断がなければ、我々もハイブリッド開発はできなかった。大変でしたけれども、技術者冥利、チーフエンジニア冥利に尽きるプロジェクトだったと思います。

富川キャスター

チーム一丸となって開発に取り組んだと思うんですが、新入社員で、佐藤恒治(さとう・こうじ)さんがメンバーにいたんですね。

佐藤次期社長

はい、(私は)ちょうど内山田会長が入社された年に生まれました。(プリウスの開発は)もう挑戦の連続で、ハイブリッドのチームを中心に頑張っているんですが、それ以外の技術を担当する人たちが「負けないぞ」と、本当にいろんな波及効果があって、ものすごく一体になって、トヨタが燃えていたプロジェクトだと思いました。

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