約束は一つ。「自分がいかにモータースポーツが好きか?」を照れずに話してみる。日本のモータースポーツ関係者が、メーカーの垣根を越えて一堂に会した。
モータースポーツ好きを照れずに話す会(①星野一義)
少しだけ歓談を挟み、“自分のモータースポーツ好きを照れずに話す会”が始まる。ここからはピエール北川にマイクが託された。
ピエール北川は、「レース実況といえばこの声」「サーキットでピエールの声が聞こえなかったら物足りない」と言われるほどおなじみの実況アナウンサーである。この日は、モータースポーツの仲間の一人として会に招待されていた。
ピエール北川の呼びかけで豊田章男と可夢偉にもマイクが渡され、会場インタビューが始まった。
【可夢偉】
日本のモータースポーツを引っ張ってこられたのは、星野(一義)さん、中嶋(悟)さん、舘(信秀)さん、関谷(正徳)さんといった方々。4人の方々は、「つらいときがあってもモータースポーツを続けていくためには、どうすればよいか?」と思ってチームをつくり、ドライバーもしながら続けてきた。
今の自分が同じように「チームをつくって活動することができるか?」と聞かれると“できない”。
そういう尊敬や感謝の想いも込めて、レジェンドの皆さんに“モータースポーツ愛”や“つらいときの話”を聞いてみたい。
【ピエール北川】
では、星野一義さんからお聞きしてもよろしいでしょうか。
【星野】
僕は富士で育ったんですよ。富士には思い出だらけ。元々は二輪で、初めてここで走った。僕が学んだのは“東大”じゃない“富士スピードウェイ”なんですよ。
【星野】
苦しくても“レースの情熱”(だけでやってきた)。情熱はシューマッハにも負けない。情熱はね…(笑)
お金はなかった。当時、富士から帰る東名高速は600円だったの。その600円を借りて東京に帰ったこともあった。
【ピエール北川】
それぐらい苦しかったときでも辞めなかったと。
【星野】
この世界で絶対アクセル踏んでやると…。チャンピオンになると決めていたの…。なるって決めていた。
【豊田章男】
雨の日もアクセル全開だったんですよね?
【星野】
本当は怖かった。みんな神経質で怖くて、中嶋悟選手、鈴木亜久里選手とか、新しい選手が出てくるじゃん。だから、もっと走ってやる(練習してやる)と…。だから僕は走行距離だけは多かったの。走行キロ数は日本一だった。それは負けなかった。
モータースポーツ好きを照れずに話す会(②舘信秀)
もう一人のレジェンド舘信秀にマイクが向けられた。舘は1974年、まだ27歳の現役ドライバーのときに自身のチーム「TOM’S(トムス)」を立ち上げている。「TOYOTA Motor Sport」の略と思われがちだが、トムスのTは舘の頭文字、Oは共同設立者の大岩の頭文字である。今も舘はファウンダーという立場で参戦レースのサーキットには必ず立っている。
【ピエール北川】
トムスが参戦してきたカテゴリーだけでいくつですか? 欧州でやっていたときもありましたし、オリジナルのF3までつくったときもありました。なんでそんなにできたんですか?
【舘】
愛だからですよ。好きだから。
“今の日本のモータースポーツ”を支えてきた全てが、この舘の一言に詰まっていた。その後、舘は“これからの日本のモータースポーツ”に対する課題と反省を口にする。
【舘】
モリゾウさんもそう、自分もチームをつくったんですよ。でも可夢偉とかさ、脇阪(寿一)とかさ、今は元ドライバーがチームをつくらないよね…。
【可夢偉】
すみません、まだぼく現役です(笑)
【舘】
星野さんも現役中にチームつくりましたからね。(今の現役がチームをつくれないのは)僕たちの責任でもある。彼らがチームをやりたいと思えるようにしていきたい。
可夢偉のツッコミで会場からは笑いもあふれた。しかし、会場全体が“業界の課題”として頷ける話であったのも事実であった。
モータースポーツ好きを照れずに話す会(③近藤真彦)
次にマイクを向けられたのはKONDO Racingの代表である近藤真彦。
真横にいた豊田章男が近藤を「あの“ガンガラガン”の…」と紹介。それをすぐさま近藤が否定した。「いや“ギンギラギン”です!!」「“ガンガラガン”じゃないです!!」。この笑えるエピソードの解説から話は盛り上がった。
【豊田章男】
以前、ニュルのレースで近藤さんのチームがベスト10に入る好成績を収めたときがあったんですよ。その夜、バーで会ったとき「マッチの曲知ってるよ〜!『ガンガラガン』だよね〜!?」って言ったんですよ。そしたら、「私にもプライドがある!あれは『ギンギラギン』です!」って言われたの…。
【近藤】
章男社長だったけど…、さすがにね…、「そりゃ許せない!」と思って…。「社長! ガンガラガンじゃありません!! ギンギラギンでございます!!」って言っちゃったんです。でも、それ以降は、すごくお世話になっております。
そして、近藤からも“チームを持つ”ことに対する想いが語られた。
【近藤】
舘さんや星野さんという先輩にいつも胸を借りてレースをさせてもらっている。先輩たちのチームは本当に歴史のあるチームで…。
ただ、僕のチームも20年以上経つので、もう“若いチーム”とは言ってられないんですよ。でも、舘さんがおっしゃったように、名前のあるスタードライバーがチームを持ってもらわないと困る。
だから、本山(哲)も寿一も、みんなそう…。そういう人たちがチームを持ってもらうと…、金石(勝智)も頑張ってるし…、道上(龍)も頑張ってるし…、その前だと(片山)右京さん、亜久里さんもチーム持って頑張ってる。そういうチームが、どんどんできてくると、レースももっと盛り上がる…。
僕なんか、全然レーシングドライバーでもなんでもない…。ちょっとだけかじらせていただきましたけど、昨日まで唄を歌っていた人が、レース場に来て監督やってるんですから、だからもっともっと若い人たちに“チームを持ってもらえるような環境”をつくってもらいたい…。リスクは高いんで、手は出しにくい仕事だとは思いますけど…。でも、魅力のある世界なんで…。
若い人にどんどん魅力を持ってもらって、人気のあるチームをどんどんつくってもらえれば、絶対にモータースポーツは盛り上がる!
マッチこと近藤真彦も熱い熱いモータースポーツ愛を披露した。