「一人でも多く、一日でも早く」接種改善に込めた想い

2021.06.16

ワクチン接種にTPSはどう活きるのか。"医官民"が総力を挙げて取り組む「豊田市モデル」を取材した。

見覚えのある あの図

今年2月より国内でも接種開始となった新型コロナウイルスワクチン。トヨタ自動車本社のある豊田市でも、高齢者への集団接種が5月30日から始まった。

豊田市内には18の集団接種会場が設けられているが、うち4会場がトヨタの関係施設だ。接種開始日、その一つである堤工場の厚生施設を訪れてみると、入口横にひっそりと地図のようなものが貼られている。内容を見ると、「予診票確認」「受付」「接種」…といった工程が線でつながれており、それぞれに「何秒かかるのか」時間が記されている。

トヨタの従業員、あるいは、トヨタイムズ読者であればすぐに気付いたかもしれないが、これはトヨタ生産方式(以降、TPS)における「物と情報の流れ図」(通称、物情)に違いない。

入口横に貼られた会場レイアウト図(上)と「物と情報の流れ図」(下)

コロナワクチンの接種会場に、なぜ「物情」が貼り出されているのか?そこには「一人でも多くの市民に、一日でも早く安全と安心を届けたい」という行政、そして医療従事者の想いに呼応した、民間企業の姿があった。

2度目も接種しようと思えるレイアウトを目指して

コロナウイルス感染収束の「切り札」と期待されているワクチン。豊田市は今年4月より、医師会およびトヨタ、ヤマト運輸(以降、ヤマト)とともに、接種会場の効率的な運営やワクチンの安全な輸送を実現する「豊田市モデル」を推進している。

個人クリニックを中心に接種を進める自治体も多いなか、人口が42万人を超え、県内で最も広域な豊田市は、大規模な会場の確保が必須。市内に複数施設を持つトヨタに会場提供を打診した。

新型コロナウイルスにまつわる取り組みでは、これまでにもマスク、フェイスシールドの生産や、医療用防護ガウンの生産支援、足踏み式消毒スタンド「しょうどく大使」の生産・販売を行ってきたトヨタ。

今回の要請に対しても、会場の無償提供のほか、社内の産業医や看護師の人材派遣を決定。同時に、会場設営や運営に関わる人材も派遣することで、安全・安心、かつ効率的に接種が受けられるような会場構築にも、市・医師会とともに取り組み始めた。それが冒頭の、接種会場に「物と情報の流れ図」というTPSアイテムが掲げられていた理由である。

会場設営にTPSの考え方を取り入れるとは、具体的にどういうことなのか。今回の取り組みにおける中心人物であるトヨタ 生産調査部の宮嶋伸晃主幹に話を聞いた。

宮嶋主幹

クルマで接種に来られた方の駐車台数や接種にかかる時間、医師や誘導係などの人員、備品といった「ワクチン接種に必要なもの」を整理し、「どれだけ必要なのか」という数を決めます。これは、TPSでいう「原単位」の決め方にあたりますが、一つの会場における接種の「原単位」を決めることで、他の会場にも適用できるのです。

こうして決めた「原単位」をもとに「物と情報の流れ図」を作成し、会場レイアウトに落とし込む。ただし、ここまではあくまで理論上の数字。実際の接種の流れを想定して、滞りそうな工程があれば対策を打つ。

シミュレーションをしてみると、接種券や予診票を提示する受付では、忘れ物や記入漏れで受付前に人があふれることが判明。そこで、入場前に持ち物を確認できる看板の設置や、受付とは別に記入スペースを確保した。
会場に入る前に、忘れ物や体温といった入場に必要な内容を確認できるよう、大きな文字で看板を設置。ちなみにこれらの看板もトヨタ社内で製作しており、その数は600枚にものぼる
予診票に記入漏れがあった場合、受付前に人があふれないよう、記入スペースを確保

また、接種前に行う医師の予診で混雑が発生することも分かり、「接種後、体調が悪くなることはあるか」「どんな効果があるか」といったよく聞かれそうな質問は事前にQ&Aとして配布するなど、滞在時間を短くしながらも安心して接種を受けられる準備を整えた。

医療従事者の立場として会場設営の構築に携わった豊田加茂医師会の大杉泰弘副院長は、トヨタの会場の「つくりこみ」についてこう語る。

豊田加茂医師会 大杉副院長

会場設営に関してはいろいろ意見を述べましたが、トヨタは我々が「これくらいで大丈夫だろう」と思ったレベルの目線ではないんです。実際にシミュレーションをして、良くしていくことを常に考え、確認している。まさに「現地現物」ですね。

大杉副院長は、トヨタが医療防護ガウン生産支援を行った際にも何度も意見を交換するなど、トヨタのコロナ関連の取り組みにおいてなくてはならない存在だ。「現地現物」というトヨタ用語がさらりと出てくるあたりも、結びつきの強さを感じさせる。

シミュレーションをすると「接種後に15~30分会場で待機する必要があるが、時計が後ろにあり見にくい」や「看板の文字が遠い席からだと読めない」といった問題が見えてくる。「自分がその立場になったらどこが困るか?」を徹底的に考えることもTPSの考え方の一つだ

一方、会場構築について宮嶋主幹は「単なる効率化ではない」と言葉を強める。

宮嶋主幹

TPSというと「ムダを省く」とか「効率化」と捉えられてしまいがちなのですが、そういうことではないんです。

コロナの特性を考慮すると、停滞なく、負担なく、スムーズに接種でき、お帰りいただく際には、2度目もこの会場で打とうと思っていただける。そうした安全・安心を一番に考えて、レイアウトづくりに取り組んでいます。

この話を聞いて思い出すのが、昨年社長の豊田が社内で講義した、トヨタ生産方式に対する「豊田章男流の解釈」だ。そのなかで次のように述べている。

豊田社長

(トヨタの社内では)“TPS=効率化”と捉えられ、それで「仕事のやり方を変えるんだ」ということが、ほぼ目的かのごとく語られていますが、目的はあくまでも“誰かの仕事を楽にしたい”ということです。

接種に来た人が不安に思うのはどこか。それを解消するにはどうしたらいいのか。取り組みにかかわるメンバーが連日想像力をフル回転させ、一つひとつ課題を解決しようとする姿は、確かに「効率化」という言葉だけでは片付けられないだろう。

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