月面探査車の名は、「必ず生きて帰ってくる」というコンセプトを持つトヨタ・ランドクルーザーから付けられた「ルナクルーザー」。その全貌に迫る。
トヨタとJAXAの有人月面探査車について探るべく、取材を進めるトヨタイムズ編集部。JAXA(宇宙航空研究開発機構)の筑波宇宙センターで「なぜ有人月面探査車ローバを開発するのか」について聞いた。では、実際に開発はどのくらい進んでいるのだろうか。その現状を確かめるべく、東京・八王子にあるトヨタの「東京デザイン研究所」に向かった。
名前の由来は、あのクルマ
プロジェクトのリーダーを務める先進技術開発カンパニーの井上博文氏と、先進技術開発カンパニー月面探査車開発の佐藤孝夫氏に話をうかがった。
ここでは実物大の月面ローバを映像で見られるという。さっそく映像の前に立ってみる。月面ローバはかなり巨大で、高さは3.8mもあるという。
実は、これまでも月面を走ったクルマはあった。アポロ計画では、LRV(Lunar Roving Vehicle)と呼ばれる月面車に宇宙飛行士が乗り込み、実際に月面を走り回った。だがそのLRVは、宇宙服を着た宇宙飛行士が乗り込むバギーのようなもの。
それに対し、トヨタとJAXAが開発を進める有人与圧ローバは、与圧室内で宇宙服を脱いで生活できる、いわばタイヤ付きの宇宙船だ。2名の宇宙飛行士が乗り組み、30日前後この中で生活をしながら月面を探査することを目指している。
いってみれば、人類が体験したことがない状況なわけですよね?
大村
空気がないですから、同じ地点でも日陰のときは温度がマイナス170度で、日なたになると120度。地球上ではあり得ない寒暖差があります。重力が6分の1のところでクルマを走らせたことも当然ないですし、放射線が降り注いでいるので、ゴムとか樹脂部品というのも使えない。
寺師
「いろんな環境下で、いろんな問題を見つけて解決する」というこのプロセスというのは、トヨタの日頃の仕事のやり方とまったく同じ。
トヨタイムズ
何か名前か何か付けるんですか?
佐藤
われわれのクルマでランドクルーザーというものがありますが、あれは「必ず生きて帰ってくる」というコンセプトでつくっております。これはランドクルーザーから名前をいただきまして「LUNAR CRUISER・ルナクルーザー」と名前を付けました。
ルナクルーザーの室内をバーチャルで再現
いよいよ東京デザイン研究所内でルナクルーザーを設計している部屋へ。室内の居住空間を担当している先進技術開発カンパニー 東京デザイン研究所の種村寿一氏が案内してくれた。
室内を開発するには、1:1、つまり実物大で検証する必要がある。だが実物をつくり込むとコストも日数もかかってしまう。そこで彼らが考えたのが、簡易的なモデルとバーチャルを組み合わせる方法だ。これなら実際の空間を作り込む必要が無いため、コストを抑えられる。細部をデジタルデータで再現することで設計の変更も容易となり、たくさんのデザインを検証できる。
例えばフロントウィンドウは、外見に合わせて大きいのつくったんですけども、実際はこれだけのものをつくるの難しいので、例えば小さい窓を3つにして、その他をモニターの映像で補完してあげることで、窓は小さいのに視界情報はたくさん取れる、ということができないだろうか、という。
探査がはじまれば、有人月面探査車という狭い空間に、2人の人間が長期間住むことになる。そこでこのような自由度が少ない空間でいかに人が幸せに過ごせるか、2人の関係性をサポートする空間はどうあるべきか、ということも研究テーマのひとつになっている。
うちのデザインのメンバーが宇宙飛行士さんに話を聞いたときに「これくらいなら我慢できるな」ってポロッて言われたそうなんです。「我慢できる」っていうのにピピッときたみたいで。
トヨタイムズ
この中に我慢させにいくのではないということですね?
井上
はい。
トヨタイムズ
快適な思いをさせにいきたいということですよね?
井上
はい。
すべてがローバにつながっている
続いてモノづくり開発センター試作部の中野浩平氏が、有人与圧ローバの自動運転シミュレーターを見せてくれた。
岩の所に青い四角の枠が出ていると思うんですが、こちらは岩をちゃんと検知していることを表しています。
佐藤
30日間ずっと運転しっぱなしというのは大変な作業になりますので、ある部分は自動運転。非常に難しい場面であったり、脱出を試みるときは宇宙飛行士がマニュアルで運転する形になります。
トヨタイムズ
現在のトヨタが推進してるガーディアンシステムと同じ。
佐藤
ガーディアンそのものでして、運転者、人間のパートナーとなって安全を守るといったコンセプトで自動運転を設定しています。
トヨタイムズ
でもあれですよね、また技術を普通のクルマに応用したり、ということも多々あるような気がするんですが。
佐藤
そうですね。月はひとつの技術のテストフィールドだと考えてます。
寺師氏も有人月面探査車は、現在クルマのために開発している技術の延長線上にあると考えている。
俗に言われてる「CASE」っていう技術。これがすべて月面ローバに役立つという、ちょうどいいハードルになるんですよね。ホップ、ステップ、ジャンプと大きく跳ばないと、たぶんこれは達成できないので。このプロジェクトがあるおかげで、いろんな目標を高く持つことができます。
スタートは「月の上を走るクルマ」でいったと思うんですけれども、例えば、これは水素で走る、と。そうすると、水素をつくるための水がいりますよね。月面に水があれば、水素社会が月面でつくれる。
となると、まちをつくる。これはまさにウーブン・シティと同じ考え方で、前に進みながらいろんなことをやっていくと、それぞれ別々なようなプロジェクトのような気がしたんですが、実は全部、下でつながってるという形になってると思いますね、今は。
「トヨタのローバ」というより「日本のローバ」
トヨタとJAXAの共同開発として産声を上げた有人与圧ローバだが、数多くの日本企業の技術を結集した「日本のローバ」になる、と寺師氏は見ている。
やはりトヨタのマークが入ったローバになるんですかね?
寺師
これ、うちの社長の豊田も言ってるんですけど、トヨタってアライアンスというか、他の会社の人と一緒に仕事するのはほんとに下手くそな会社で。もともと何でもかんでも自分たちでやりたいっていう集団だったんですけどね。
ところが最近はいろんな世界が変わってくると、自分たちだけではできないっていうところがあって。こうやって仕事をみんなとやるというふうに移ってきた。そのときにJAXAさんからこのお仕事をいただいて。今回の有人与圧ローバも「トヨタのクルマ」というよりは、そこにはいろんな日本の会社さんの技術が入ったものの集大成になるので、これは「トヨタのローバ」というよりは、「日本のローバ」という技術で確立されるものだと思います。
宇宙航空研究開発機構 有人宇宙技術部有人宇宙技術センターの池田直史氏と、三菱重工業 防衛・宇宙セグメント宇宙事業部技術部電子装備設計課の竹田順哉氏も、そんな「チームジャパン」体制を強調した。
これはどのような関り方をされてるんですか?
竹田
われわれの会社は宇宙事業もやっておりまして、国のロケットであるとか、宇宙ステーションの「きぼう」「こうのとり」など、宇宙機器としていろいろな実績を持っておりますので、われわれの知見を生かしながら、JAXAさんやトヨタさんをサポートさせていただければと。
井上
「チームジャパン」という枠組みを用いて、100社くらい今集まっていただいているんですけれども、いろんな角度から技術を学んでやってきました。
タイヤはオール金属製
チームジャパンの月面探査車開発でタイヤを担当するのがブリヂストンだ。同社次世代技術開発担当フェローの河野好秀氏が見せてくれたのは、月面用タイヤの試作。マイナス170度にもなり、放射線が降り注ぐ過酷な月面の環境では、ゴムはまったく使い物にならない。そこで河野氏が着目したのが金属。オール金属でタイヤを作ってしまった。
月の砂は非常に細かく、サラサラだ。そんな砂の坂を上るのは簡単ではない。そこで河野氏が参考にしたのは、砂漠を歩くラクダの足の裏。ラクダが持つフカフカの肉球を参考に、月面の砂の上を走るためのタイヤを考案したという。
河野氏のドライブで、金属製のタイヤを装着した車両に試乗した編集部。乗り心地は普通のタイヤとあまり変わらないと感じた。
トヨタさんからものすごく厳しいタイヤへの性能要求が来てまして。
月なんか行ったことないのに、分かるわけないですよ(笑)。
トヨタからの要求が厳しいと、笑いながら話すブリヂストンの河野氏。その真意をプロジェクトのリーダーである井上氏・佐藤氏に聞いてみると…。
今日はまさにブリヂストンさんからトヨタの要求がきついという話が先ほどありましたけれども。
井上
月の環境は厳しいということです(笑)。
トヨタイムズ
月の環境が厳しいから、代弁してるようなもの、ということですね。
井上
そうですね。
佐藤
大変、申し訳ないところなんですけども、やはり非常に高い課題をいただいてまして、皆さんと一緒にやっていくんですけども。安全・安心に走るってことが一番大事なことです。われわれ、ローバという(単なる)道具をつくってるわけではなくて、それに人が乗って、信頼して走るという、そういったクルマをつくりたいと思ってます。
打ち上げは2029年
トヨタとJAXAの月面ローバは、2029年の打ち上げを目指しているという。果たして9年後、本当にこの「ルナクルーザー」が月面を走るのだろうか。寺師氏の回答は、力強いものだった。
行けますか、2029年?
寺師
それは行けます。