様々なフィールドで戦うトヨタのアスリートたちの、バックグラウンドや競技にかける思いをご紹介します。今回は、陸上長距離部の服部 勇馬選手(25歳、田原工場工務部)。
※本記事は、トヨタグローバルニュースルームに2018年12月12日に掲載されたものです
様々なフィールドで戦うトヨタのアスリートたちの、バックグラウンドや競技にかける思いをご紹介します。今回は、陸上長距離部の服部 勇馬選手(25歳、田原工場工務部)。
9月27日、久しぶりに田原工場を訪ねた。今回取材をする陸上長距離部は田原工場を拠点にしており、本社地区で選手の姿を見かけることは滅多にない。「元日のニューイヤー駅伝はテレビで応援するが、選手についてはあまり知らない」という人も多いのではないだろうか。
事務館のロビーで待っていると、見慣れた作業着姿の青年が迎えに来てくれた。陸上長距離部の服部 勇馬だ。1学年下の弟、弾馬(はずま)と共に、東洋大学の服部兄弟と言えば大学駅伝界ではちょっとした有名人だった。
取材の日は、朝練習をしてから出社し、9~14時まで勤務。夕方からの自主練習前にインタビューに応えてくれた。
サッカーから長距離へ、新たなチャレンジ
服部は新潟県出身。小学生のころは、地域のクラブチームでサッカーをしていた。学年が上がるにつれて、県や北信越の選抜チームに選ばれるようになったが、中学校にサッカー部がなかったことをきっかけに、陸上長距離への転向を決めた。
「長距離を選んだ理由は、昔から持久走が得意だったから。サッカーは、自分のレベルでは通用しないと思い始めていました。親の勧めもあって、競技を変えて新しいチャレンジをしてみようと思いました。」
中学校では強かった先輩たちを目標に練習を重ね、3年生の時には1500mで全国7位。すると、駅伝の強豪校である宮城県の仙台育英高校からスカウトを受けたが、最初は行くつもりが無かったと言う。
「自宅から通えるように、地元の高校に進もうと考えていました。でも『もしかしたら人生が変わるかもしれないから、行ってみたら?』と、両親に背中を押されて、仙台育英高校へ進むことを決めました。」
確かに、この時の選択が無ければ、今ここに服部はいなかったかもしれない。長距離を始めた時も、強豪校への進学を決めた時も、両親が服部を後押しした。誰かがチャレンジをしようとしている時、その可能性を信じて背中を押してあげられる人。筆者もそうありたいと思った。
理想の走り
高校生活で1番苦労をしたのは、慣れない寮での生活だった。学業と競技をしながら、掃除や洗濯など生活に関わるすべてを自分でやらなければならない。親元を離れて10年になる今でこそお手の物だろうが、当時は初めてのことでストレスもあっただろう。しかし、2年生に上がると、弟の弾馬が服部の後を追いかけて入学。2人で頑張れる環境になった。
現在、弾馬はトーエネックに所属し、トラック競技の5000mで東京2020を目指している(今年の日本選手権では見事日本一に)。
「弟とはよく連絡を取り合って、レース展開や集中の仕方について聞いています。競技に対する考え方、向き合う姿勢をいつも勉強させてもらっていて、一緒に競技をやっていて良かったと思います。1人では絶対にここまで来られなかった。」
高校卒業後は駅伝の名門、東洋大学に進学。弟と共に活躍したが、初めは走る距離の差に苦しんだ。
「高校では長くても10kmだった距離が、大学からは20kmがベースになります。その距離を走るだけの体力がありませんでした。駅伝では1年目からエース区間に抜擢してもらったんですが、自分の力の無さに愕然としました。」
大学1年生の時の全日本大学駅伝では、各校のエースが揃う8区を走り、区間6位。箱根駅伝では9区で区間3位。十分な結果だと思うのだが、服部が理想とする走りからは程遠かった。
「スタートからゴールまで、同じリズムで同じ動きで走り切ることが僕の理想です。それが15kmくらいまでしか維持できなかった。」
1年目で20kmという距離の感覚を掴んだ服部は、月間の走行距離を増やしたり、筋力トレーニングを重点的に行うなどして、大学2年生の秋には理想の走りをゴールまで持続できるようになった。金栗記念熊日30kmロードレースでは、1時間28分52秒の学生新記録を樹立。この記録は4年以上経った今でも破られていない。そして箱根駅伝では、大学2年生から3年連続で花の2区と呼ばれるエース区間を任された。
「箱根駅伝は失敗が許されない、かなり重圧のかかるレースでした。ただ、厳しいコースに対して、どう対策すべきかが年々分かってきて、タイムも徐々に短縮できた。花の2区を走ることにプレッシャーを感じつつも、楽しさを見出していました。」
大学3、4年生で、2年連続の区間賞を獲得。プレッシャーを跳ね除け、エースとしての責任を果たした。
トヨタとスポーツの共通点
大学卒業後、2016年にトヨタへ入社。トヨタを選んだ理由を聞くと、意外な答えが返ってきた。
「大学のゼミでトヨタについて調べていました。僕は長距離をやる中で常に“改善”を意識していて、同じような考えでやっていることに興味を持ちました。」
“改善”にトヨタと自分の競技の共通点を見出した服部。トヨタで社員として働き、改善する力をつけたいと考えた。
「改善によって競技力を上げていこうと考えた時に、僕自身に足りないのは(改善をするための)知識や見聞。そこを広げて人として成長することが、これからの競技力に繋がると思いました。」
加えて、服部には東京2020オリンピックのマラソン日本代表という目標がある。駅伝で有名なトヨタだが、監督の佐藤が持つ「マラソンでも世界で通用する選手を育てたい」という想いを受けて、トヨタを選んだ。
残り7kmの壁
10月5日、チーム練習を撮影させてもらえると連絡を受け、三河湾に面する白谷海浜公園(愛知県田原市)に向かった。防風林が視界を遮り、陸上競技場から海を臨むことはできないが、それでも潮風が強く吹き付ける。“風との勝負”とも言われるニューイヤー駅伝の良い練習になるという。
部の中でも、マラソン、ハーフマラソン、5000mなどのトラック競技と、選手によって取り組んでいる個人種目が異なる。そのため、全員一緒に練習をすることは少ないと言う。残念ながら服部は、次のマラソンに向けての合宿中で不在だった。
トヨタに入社して1、2年目はマラソンで結果が出せなかった。2レース続けて、35km地点からの大失速を経験。残り7kmという距離が、服部の前に大きな壁として立ちはだかった。マラソンでは42.195kmの中で、5km毎にペースを確認しながら走る。35km地点で、「やばい、あと7kmもある」と、頭に雑念が浮かんだという。
「走る前に対策を練って、どういう走りをするか決めると、それだけに集中して走ります。40kmまであと5kmと思えばいいのに、だんだん長いなぁと思い始めてしまって。雑念が入ると自分の走りができなくなってしまいます。」
トップクラスの選手は、1kmあたり3分ペースが基準。ここからどれだけペースを落とさずに走れるかが重要となる。服部の場合、終盤に大失速をすると1kmあたり3分半までタイムが落ちてしまう。自分の走りを模索し、改善する日々が続いた。
思うような結果が出せない上に、2年目には右足首を疲労骨折。5カ月間もの休養を余儀なくされ、初めて“走りたくても、走れない”という状況に陥った。
「走れないことがすごく苦痛で、ものすごいストレスでした。そのせいで治りも遅くなったし、少し走ったらまた同じところが折れてしまって。チームの人たちとも関わりたくないっていうくらい、塞ぎ込んでいました。」
その様子を側で見てきた、監督の佐藤に話を聞いた。
「東京2020のマラソン代表選手の選考方法も決まり、代表になるためにはそこをクリアしなければいけない。焦りもあって、心がだいぶ弱っていたと思います。」
服部がケガをしたのはちょうど2017年の夏だった。2019年9月のマラソングランドチャンピオンシップ(以下、MGC)で、3人の代表枠のうち2人が決定する。まずは、2017年夏~2019年春までのレースで結果を残し、MGC出場権を獲得することが東京2020出場への第一歩となる。
勝負の明暗を分けるもの
「自分の目標や、トヨタを選んだ理由をもう一度考え直すように伝えました。」
監督の佐藤は服部にそれだけを伝え、自ら前を向くのを待った。徐々に走れるようになり、2018年5月のプラハマラソン出場という目標が明確になったことで、落ち着きを取り戻したと言う。プラハマラソンに向けてレース終盤の失速を克服しなければならない。
「練習でマラソンと同じ距離を同じペースで走るのは、故障のリスクなどもあってできない。だから、レース終盤の苦しさを再現して、身体に覚えこませるのが難しいんです。」
2日間に分けて身体を追い込む、マラソンより長い距離・時間を走る、給水を取らずに走るなど、色んな方法で身体に負荷をかける。服部曰く、練習には“綺麗な練習”と“泥臭い練習”があると言う。
「目標タイムを追う綺麗な練習と、3時間ジョグなどの泥臭い練習があります。スピードを出して、苦しいけど早く終わる練習は、競技をやっている人なら誰でもできる。反対にスピードを出さず、長い時間走るのはすごく辛くて、本当に競技に生きるのかって思われがちです。」
服部も、「ただ疲労が溜まるだけなんじゃないか」と思っていた。しかし、レース終盤に服部の心と身体を支えたのは、その泥臭い練習だった。
「本当に辛くなった時に思い出すのは、泥臭い地味なトレーニングばかりでした。プラハマラソンでもやってきたことを思い出して、心も身体も余裕を持って走れました。」
結果、自己ベストは出なかったものの、終盤も1kmあたり3分10~15秒のペースで走れるようになった。人間の体力と精神力の限界に挑むマラソン。練習でいかに自分を追い込んでこられたかが、勝負の明暗を分けるのだろう。
強い選手とは
長年、指導者を務めてきた監督の佐藤に、「強い選手とは?」と質問を投げかけた。
「よく心・技・体と言いますが、技術や体力があっても“心”が強くないといけないと思います。きつい練習に耐えられるタフさ、目標に対して妥協をしない、レースで力を出し切れる能力がある。そういう選手が強くなっていきます。」
服部はプラハマラソンの後、日本陸上競技連盟主催の合宿に参加した。ここで今年のアジア競技大会のマラソンで金メダルを獲得した井上 大仁(いのうえ ひろと/三菱日立パワーシステムズ)をはじめ、日本のトップレベルの選手たちと練習を共にした。
「この合宿で、まだまだ甘さがあることに気付いたと思います。服部はレースで力を出し切れる能力が高い選手。これから更に強くなってくれると期待しています。」と、佐藤の言葉に熱がこもった。
そして12月2日、福岡国際マラソン。服部は残り7kmの壁を積み重ねた努力と改善で打ち破った。日本歴代8位の2時間7分27秒をマークし、日本勢としては14年ぶりの優勝。MGC出場権を掴み取り、東京2020マラソン代表の有力候補に名乗りを上げた。
MGCまで残り10カ月。更なる成長を遂げ、一発勝負の大舞台で大輪の花を咲かせてほしい。
[編集後記]
いかがでしたでしょうか?インタビュー中の服部さんの印象は、「若いのにしっかりしていて、あまり動じない方」でした。でも、コーチの熊本さんやマネージャーの安廣さんからの情報によると、実はすごく“天然”。箱根駅伝や東京マラソンといった大事な大会で、忘れ物をするなどエピソードがたくさんありました(箱根駅伝の時には、まさかのシューズを忘れるという・・・笑。マネージャーが届けて事なきを得たそうです)。それでも素晴らしい走りで結果を出すところを見ると、やっぱり「動じない方」ですね。
プロフィール
生年月日: 1993年11月13日
血液型: O型
出身: 新潟県十日町市
出身校: 仙台育英学園高校 ⇒ 東洋大学
ニックネーム: ゆうま
家族構成: 父、母、弟2人、妹
競技のこと
競技成績
学生時代: ‘14年 第58回金栗記念熊日30kmロードレース 優勝/学生新記録樹立
‘15年 第91回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)総合3位/2区 区間賞
‘16年 第92回東京箱根間往復大学駅伝競走 総合2位/2区 区間賞
社会人: ‘17年 第61回全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)3位/4区 区間5位
‘17年 東京マラソン 11位(日本人4位)
‘18年 第72回福岡国際マラソン 優勝
憧れの選手: ビダン・カロキ選手(ケニア出身のマラソン選手、DeNA所属)
レース前に必ずやること:ストレッチや補強などのルーティーン
自分のこと
性格を一言で表すと: 温厚(今まで感情的なって人に怒ったことが1度もない)
趣味: サッカー観戦
特技: 自分の走っているペースと体重が、時計や体重計を使わなくても分かる
チャームポイント: 天然とよく言われる
子供の頃の夢: 保育士(小学校の卒業アルバムに書いた。子供が好きで、今でもなりたい)
今の将来の夢: 東京2020でマラソン代表になること。マラソンの日本記録を出すこと
生まれ変わったら何になりたい: サッカー選手
好きな食べ物: うなぎ、蟹
嫌いな食べ物: なす、しいたけ
好きなアーティスト: Mr.Chirdren、安室 奈美恵
好きな漫画: はじめの一歩
好きな動物: 馬(名前に漢字が入っているから、親近感を持つ)
宝物: 成人した時に両親からもらった時計
異性のタイプ: 足が細い人、爪がきれいな人
オフの過ごし方: 身体のケア、好きなものを食べる、サッカーを観る
一日で好きな時間: 夜の自由な時間。陸上のことを考えず動画やテレビを観て、のんびり過ごす