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第10回 トヨタのクルマづくりの原点、先人たちの想いを体験した1年(後編)

2023.08.08

幻のレーシングカーの復元プロジェクトを追う。最終回後編では、若き3人のリーダーに、「プロジェクトで得たもの」について語ってもらった。

「トヨペット・レーサー」復元プロジェクト。マシンの製作・完成・展示の足跡を辿ってきたこの連載もついに最終回。

後編では、本プロジェクトを率いた若き3人のリーダーに「プロジェクトで得たもの」について語ってもらった。また最後に、プロジェクトの推進者で「富士モータースポーツミュージアム」および「トヨタ博物館」館長でもある、社会貢献推進部部長の布垣直昭に本プロジェクトを締めくくってもらった。

自分たちの手でクルマをつくってみたい

創業者・豊田喜一郎の日本の自動車産業の未来、そしてモータースポーツへの熱い想いを受けて1951年にわずか2台だけ製作された、トヨタ社内でも知る人が少ないトヨペット・レーサー。

喜一郎の孫である豊田章男会長が2009年1月に社長に就任したときに掲げた「もっといいクルマづくり」の原点ともいえるこの葉巻型のレーシングカーを、70年あまりの時を超え、残されていた当時の写真やわずかな資料を元にほぼゼロからつくり上げる。

今回のプロジェクトで復元したトヨペット・レーサー2号車の当時の写真(提供:愛知トヨタ)

このプロジェクトは、1年間に及ぶメンバーの奮闘と、社内外のさまざまな人々の協力で20223月、ついに完了した。

その足跡を振り返ってもっとも画期的だったこと。それはこのプロジェクトを「トヨタの未来を担う若手のエンジニア育成の機会にする」と決めたことだった。しかもできる限り、このクルマがつくられたときと同様に「手仕事を中心にして」、当時の人々の想いを知ることを目指して。

さまざまなレース活動を展開するトヨタ社内にはクルマづくり、レーシングカーの製作に精通したベテランエンジニアが数多くいる。

しかし社内公募や職場からの推薦で集まった15人のプロジェクトメンバーは、2030代の若手ばかり。しかも彼らは、これまでこうしたクルマの製作に関わった経験は皆無。だが彼らには「自分たちの手でクルマをつくってみたい」という強い情熱があった。

若手エンジニアたちはプロジェクトを通して何を得たのか。3人のプロジェクトリーダーに改めて語ってもらおう。

2020年11月19日、豊田市本社でのキックオフ会議で一堂に介したプロジェクトメンバー

諦めないことの大切さ

まず語ってくれたのは、主にサスペンションなどの足回り部品と、電装部品を担当したチームのリーダーで、テストドライバーも務めた杉本大地。普段は、制御電子プラットフォーム開発部で、クルマの電装系の開発・設計を担当している。

多くのチームメンバーがそうだったが、杉本はトヨペット・レーサーがどんなマシンなのか、よく知らないまま「クルマづくりがやりたい」という一心で応募した。そしてプロジェクトがスタートして初めて、その難しさ、大変さに驚愕したという。

杉本

1週間に1度だけ、ほぼ1年間で、クルマの設計からモノづくり、組付けから完成まですべてを行わなければいけない。仕事に取り掛かって初めてそのことに気づいて「面白いけれど、これは大変なことになったぞ」と思いました。

でも、トヨタのためだけではなく、日本の自動車産業の未来のためにこのクルマをつくろうとした豊田喜一郎さんをはじめ当時の方々の「熱い想い」に、ものすごく惹かれました。だから頑張ってやりたいと思いました。

しかしクルマの電装系の開発を日常業務とする杉本にとって、足回りの設計、製作、組付けは今まで経験したことのない、すべてがゼロからの挑戦だった。

杉本

何もかもが、今までやったことがないこと、知らないことばかりでした。だから全部、一から勉強して、自分で決めて先に進むしかない。

日常の業務では、「何に注力するかを自分で好きに決められる」機会はあまりありませんが、復元プロジェクトではそれができました。だからこそ楽しかったし、がむしゃらにがんばることができた。

当時は、日常業務で取り組んでいた仕事もトヨペット・レーサーの仕事も、どちらもあまりに楽しくて、つい頑張りすぎたこともあったという杉本。週に1日、チームメンバーと集まって仕事に取り組む。その中で杉本は、大きな学びを得たと語る。

杉本

それは何事も最初から諦めないこと。出来ないと思ったらそれで終わり。最初から妥協せずにみんなで「どうやったらできるか」を考えることで「道が開ける」ということ。

この考え方を身に付けることができたのが、自分がこのプロジェクトから得たいちばんの成果だと思っています。

担当を超えて、行動できる自分に

次に語ってくれたのは、フレームからボデー外板、さらにシート、ドライビングポジションの設計・製造を担当したチームのリーダーで、普段はボデー開発部でボデーの設計を行っている渡部真史だ。

渡部

私がトヨタに入社したのは、ちょうどトヨペット・レーサーを企画した創業者・豊田喜一郎氏の、国産自動車開発の奮闘を描いたテレビドラマ『LEADERS リーダーズ』が放映された翌年でした。その歴史も知ったうえでこの会社に入社しました。

トヨペット・レーサーの復元プロジェクトに参加して、当時のトヨタのクルマづくりのレベルがこんなにも海外と差が開いていたと知って驚きました。

先人たちがこのレベルからスタートして、今日のトヨタを築き上げたとは信じられませんでした。エンジニアとして、トヨタの歴史や技術について、初めて深く理解することができました。

今回の復元プロジェクトでは、正直なところ技術的には現在の仕事に活かせる知見はそこまで多くなかったと渡部は語る。だが、復元作業を通して、これまでの仕事では経験できなかった大きな学びを得たという。

渡部

当時のクルマづくりがあまり分からないまま、ボデーの設計作業を進めていくなかで、「当時の人たちはこのクルマをどんな想いでつくっていたのか」を、常に考えるようになりました。

特にドライビングポジションについて検討した際は、当時の人々の気持ちを想像して熱い気持ちになりました。彼らは、シートベルトもヘッドライトもなく、ある意味命がけで大阪から東京までテスト走行しました。そこには、今の私たちとは比較にならない熱い情熱があったと思います。

このプロジェクトではマシンのパートごとに担当が分けられていた。だが、渡部はいつの間にか自分の担当する範囲を超えて、プロジェクト全体に気を配るようになったという。

渡部

プロジェクトには担当分けできない、誰かがやらなければならない部分があります。そのことが見えてきました。

このままではマズイ。プロジェクト全体でモノを見て、全体でうまくいくようにリーダーの自分は動かなければいけない。そう考えるようになりました。

このプロジェクトに参加しなかったら、この視点は持てなかったでしょう。それが、この先の仕事に役立つ成果であり、大きな学びのひとつだと思っています。

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