幻のレーシングカーの復元プロジェクトを追う。最終回後編では、若き3人のリーダーに、「プロジェクトで得たもの」について語ってもらった。
自ら考え、まずやってみる
杉本、渡部のこの感想を受けて、プロジェクト全体のリーダーを務め、フロントアクスル、ステアリング関連の設計、製作も担当した、MS電子システム設計部の三木嶺早は語る。
三木
最初は楽観していました。「トヨタにできないことはない。トヨタだからなんとかなる」と思っていたんです。
でもリーダーに立候補してプロジェクトを始めてみて、考えが変わりました。「これは大変だ。何とかしなければいけないな」と思って、そこからはひたすら一生懸命、でも明るく前向きな雰囲気づくりを考えながらやってきました。
プロジェクト全体のリーダーを務めた三木には特別な想いがあった。それは「70年前の先輩たちに負けたくない」「当時の先輩たちから『俺たちより今の君たちは下だな』と言われたくない」という想いだった。
この想いを強く抱きながら仕事に取り組むなかで、三木は渡部と同様に、このクルマの開発に携わった当時の人々の想いを考えるようになった。
三木
時空を超えて先輩たちから「よくやってくれた」と言ってもらえるこだわりをもって、このクルマを完成させたいと思いました。何しろ日常の業務では、クルマ1台全部を自分たちでつくれる機会はありませんし。
この復元では、どうすればいいか分からないことが本当にたくさんありました。それでもクルマを完成させるためには、自分たちで考えなければならない。それはこのプロジェクトに参加して得た、何よりも素晴らしい貴重な体験でした。
後見役の兄貴やおやじたちが、ひたすら見守ってくれる。そのスタンスで終始いてくれたことが、本当にありがたかったし、それがプロジェクトをより素晴らしいものにしてくれたと三木は語る。
三木
「この部分はこうしたいと思っています」と、僕らが考えたことを兄貴やおやじたちに説明すると、「じゃあ、まずやってみな」と必ず言って、僕たちの思い通りにやらせてくれました。
たぶん「こうすればいい」という正解は知っていたのでしょう。でも、そのままやらせてくれました。
問題が起きたときは相談に乗ってくれました。「この問題なら、この人に相談したら」と頼れる人を紹介してくれました。それが本当にありがたかったです。
さらに三木は、社内の各部署はもちろん、部品の仕入れ先など関連会社の方々へ、さらにそうした人々と長年にわたり厚い信頼関係を築いてきた先輩たちへの感謝を語った。
三木
社外の方々は、あまり利益にならない一品モノの部品について、若手でモノづくりのこともよく理解していない私たちを尊重し、対話してくださった。そのことに心から感謝しています。
そのように対応していただけたのも、トヨタの歴代の先輩たちが良好な関係を築いてきたから。つまりこの復元は、トヨタだからできたことだと改めて思います。
70余年の時を超えて、受け継がれたクルマづくりの情熱と想い
本プロジェクトの推進役で、復元したトヨペット・レーサーが展示されている「富士モータスポーツミュージアム」および「トヨタ博物館」の館長である布垣直昭は語る。
布垣
レストアというのは、クルマづくりを通じて、先人と同じ体験をすること。先人と対話することです。
「トヨペット・レーサーを博物館に展示する」というだけの目的なら、実はモックアップをつくるだけでもよかった。でも実際につくってみたことで、プロジェクトメンバーは、今のクルマづくりではできない貴重な体験をすることができました。
しかも今回のプロジェクトでは、復元を超えた、新しいモノづくりの体験にもなっています。彼らはトヨペット・レーサーをつくった人々と時空を超えて対話し、そのクルマづくりの情熱と想いをしっかりと受け継いだのです。
彼らのこの体験は間違いなく、この先の、トヨタのクルマづくりに大いに役立つと思います。
トヨタの幻のレーシングカー、トヨペット・レーサー。このクルマを企画した豊田喜一郎氏、そして当時の人々のクルマづくりへの情熱と想いは、70余年の時を超えて、若き3人のリーダーを含む15人のプロジェクトメンバーに受け継がれた。この情熱と想いは、これからのトヨタのクルマづくりで間違いなく大きな実を結ぶに違いない。
(文・渋谷康人)