第2回 プロジェクトの扉を開いた人々

2022.12.07

自動車業界が大変革期にある今、トヨタの原点に立ち返るべく始まった「初代クラウン・レストア・プロジェクト」。第2回では、その足がかりとなったパブリカ・レストア・プロジェクトについてリポートする。

100年に一度の大変革期を迎えた自動車業界。トヨタ自動車ではあらゆる部門で前例のない画期的な取り組みがスタートしている。そのひとつが2022年の春、社内のさまざまな部署から多彩な人材を集めて、元町工場でスタートした「初代クラウン・レストア・プロジェクト」である。トヨタイムズでは、その意義とレストアの現場をリポートしていく。第2回では、このプロジェクトを立案し、その準備に取り組んだグループを紹介する。

まずは、20225月、トヨタ自動車下山工場で、あるレストア完成車両の完成披露会のオープニングで公開されたこの映像をご覧いただきたい。

まずはパブリカから

初代クラウン・レストア・プロジェクトのメンバーは、キックオフイベントで決意表明をした3人のリーダーを筆頭に56名で構成されるが、その多くがレストア未経験者。だが、このプロジェクトはいきなり企画されたわけではない。実は2021年、初代クラウンに先駆けたレストア・プロジェクトが存在し、その体験を踏まえて立案されたものである。

上郷・下山工場の斉藤富久工場長

それが上郷・下山工場の斉藤富久工場長をトップに、同工場のエンジン製造技術部のスタッフである斉藤礼央、冨安金治、古味和弥、中尾茂樹主、永原大志らのチームが手掛けた「パブリカ・レストア・プロジェクト」だ。

彼らこそ、すべての活動のきっかけとなるプロジェクトに取り組んだ面々だ。そして、モビリティカンパニーに向かうトヨタの現状を踏まえ、技能伝承という原点回帰を提唱し、現在の初代クラウン・レストア・プロジェクトを立ち上げ、サポートする人々である。

では、このパブリカ・レストア・プロジェクトはどのような経緯で誕生したのか? そこで彼らは何を得て、初代クラウン・レストア・プロジェクトにどう受け継がれているのか? チームメンバーに話を聞いた。

結集した社内の“旧車好き”たち

すべての始まりは2017年。冨安を中心に、社内ベンチャー公募プログラムの中でお客様に長く愛車に乗り続けていただくためにメーカーとしてどのような提案ができるか、社内の旧車好きが部署や役職を越えて集まり、熱い思いを語り合い、試行錯誤を繰り返していた。その中に今回の中心メンバーの斉藤も加わっていた。

筋金入りの旧車好きとして知られる冨安(左)と斉藤(右)

冨安は、子どもの頃、父が乗っていたトヨタ車でクルマが大好きになったという筋金入りのトヨタ車好きであり、旧車好き。クルマが好き過ぎて「好きなことを仕事にするのは良くないのでは」と考えて大手ゼネコンで働いていたが、やはりクルマの仕事がしたいとトヨタに転職したという異色の経歴の持ち主だ。そんな冨安は旧車好きとしての経験から以下のように語る。

冨安

ヨーロッパの世界的な自動車メーカーでは、旧車に乗り続けるためのサポート体制が昔から充実しています。多くの部品を供給し続けているので、オーナーはお気に入りのクルマに長く乗り続けることができる。でもトヨタのクルマではできるのか? トヨタ車の旧車部品の供給は、他のメーカーのクルマと比べると本当に少ない。個人的に昔のセリカやスープラのレストアをやってみて、やはり部品の調達には本当に苦労しました。そうした経験から世界中のトヨタファンやお客様の困りごとを解決することができないかと思い、試行錯誤していました。

もう一人の中心的メンバーであり、今回の初代クラウン・レストア・プロジェクトの企画・戦略・PRを担当する斉藤は語る。

斉藤

もともと旧車には人を幸せにする力がある。自分も旧車(パブリカ1200)に乗っていましたが、年配の方だけじゃなく若者や子どもにも声をかけられるんです。旧車文化はメーカーではなく、クルマを購入してくださったお客様、社外の人々がつくってきてくれたもの。さらに他の文化とのつながりや未来に向けた新しい文化を創っていく可能性・ポテンシャルも持っていると確信していました。この素晴らしい文化に対して、メーカーだからできることがあるはずだ、と思っていました。

斉藤や冨安たちは以前から、旧車イベントやトヨタ車のレストアで有名な整備工場などで、昔のトヨタ車を大切に乗り続ける人たち、思い出のある今のクルマにできる限り長く乗りたいという人たちに出会い、その声を聴いてきた。

冨安

このままでは、過去につくられた素晴らしいトヨタ車を後世に残すことができない。お客様がつくってくれた旧車という文化が廃れてしまう。また、旧車好きとして自分も、この状況を何とかしたい。そこで会社に対しさまざまな提案をしていきました。

だが、二人を中心に提案された愛車に長く乗り続けていただくためのさまざまなアイデアは、残念ながらなかなか形にならなかった。しかし二人や、志を同じにする社内の旧車好きたちは諦めなかった。

斉藤たちは幾度となくアイデアをブラッシュアップして「お客様のニーズや困りごとを体感するためのレストアトライ」を提案。2020年末、ついにレストアトライプロジェクトは承認された。なお、この承認に至るまでに、社内のさまざまな人々の協力や助言があったという。

そして20211月、当時のエンジン製造技術部部長の泉俊宏や室長の横田淳二を筆頭に前述した斉藤、冨安に加え、古味、中尾、永原他、作業チームメンバーを集め、プロジェクトはスタートした。

斉藤

この時から、私たちがレストアしたいと思っていたのは、豊田喜一郎さんの情熱から生まれた、現在のトヨタ車のルーツともいえる初代クラウンでした。ただ、レストアにはクルマの製造とはまったく違う技術やノウハウが求められます。歴史的価値がとても高い初代クラウンに取り組む前に、まずは別のクルマをレストアしてみて、必要な作業の内容や課題を明らかにしておく必要があると考えました。

メンバーはこのテスト的なレストアを、初代クラウンと生産年代が近い195060年代のトヨタ車で行おうと考えた。それも、できればアイコニックなクルマがいい。通称“ヨタ8”こと「スポーツ800」も考えたという。

レストアする車両を探し回ったメンバーの前に現れたのが、国道沿いの草むらに置かれていた、1966年製の「パブリカ800 デラックス」。ただ、ボデーもシートもエンジンもボロボロの変わり果てた姿だった。

「パブリカは丸目でカワイイ、というのも選んだ理由のひとつです(笑)。でも実物を見て『これは大変だぞ。できるかな?』と不安でしたね」と、斉藤や冨安は振り返る。

「でも、ハードルが高いことに挑戦する方が、学べることが多いし、やりがいも大きいはず。大変かもしれないが、このパブリカでやってみては」

レストアトライプロジェクトを承認した斉藤富久工場長のこのアドバイスで、メンバーはコンディションの良くないこのクルマのレストアを決断。ついにレストア作業はスタートした。

「多くの困難を体感、社内の技能を繋ぐ試み」

初の量産型自動車「トヨダ・AA型」(1936)の誕生からもうすぐ90周年。クルマづくりで長い歴史を持つトヨタだが、今まで社内で本格的なレストアに取り組んだ例はほとんどない。部品の調達や修復を社内で行うのが難しいことは、当然ながら予想していた。そのとき、助けてくれたのが、部品メーカーやこれまでトヨタ車をレストアした経験のあるプロショップの人々だった。

古味

集まったメンバーが各自の技能と特技を発揮して始めてみたものの、自分たちだけで目指そうとする復元レベルに到達することは不可能だとすぐに分かりました。このとき、助けてくださったのが、社内の生産・開発現場の人たち、そして社外の方々です。生産・開発試作の人たちには現場で培った技能の応用を、仕入先様からは部品製作に対するご協力を、プロショップの方からは市場に通用するレストア技能のご指導をいただくことができました。その結果、活動は少しずついい方向へ進んでいきました。目指したのは「当時の工場出荷時の状態に戻す」こと。図面やさまざまな資料から各部品のあるべき姿を確認して復元することは時間も労力もかかりましたが、それによって見た目も機能性も納得のできる復元ができたことは自信になりました。
プロジェクトの進行管理を担当する古味和弥。「部品の調達には、本当に苦労しました。現在でも購入できるものなのか。それとも社内でつくるのか。何百と検討を重ねていく中で、トヨタは今まで本当に多くの仕入先様に支えられてきたことを実感しました」
メンバーのなかで最年少の永原大志だが、1990年代のクルマが好きで自らレストアしてきたという (現在AE86をレストア中) 。「より良いクルマづくりのためには手間を惜しまぬ当時の開発陣の誠実な姿勢が、レストアを通じて実感できて、大きな感銘を受けました」

パブリカを復元するさまざまな過程では、図面や資料から読み取れる開発当時のエンジニアのこだわりや飽くなきチャレンジ精神を感じることができたという。そんなメンバーたちが、実際にどのようにレストア作業に取り組んだのか。エンジンとトランスミッションの組み付け作業を収めた映像をご覧いただきたい。

エンジン組付け映像
トランスミッション組付け映像

さらに、今回のレストアトライプロジェクトでは、若手はもちろんのことベテランの高技能者にとっても多くの気づきや学びがあったようだ。主にボデーの復元を担当した田原工場と、エンジンやトランスミッションを担当した衣浦工場のメンバーたちの声をご紹介する。

田原工場メンバーインタビュー
衣浦工場メンバーインタビュー

斉藤

自分たちがパブリカレストアトライを始めるきっかけは「お客様の愛車に長く乗り続けたいという気持ちに応えたい」という思いでした。しかし、活動を進めていくうちに別の視界が開けました。トヨタ社内の幅広くて深い技能を「旧車の復元」という一つのテーマによってつなげることができるのではないか。また、自身の技能の限界に挑戦することで先人たちのDNAを受け継ぎ、お客様のために「もっといいクルマづくり」ができるのではないか。そのことに気づきました。モビリティカンパニーへの変身に全社を挙げて取り組んでいる現代において、トヨタの技能者のアイデンティティを永続的に確立していくために「人財育成・技能伝承のためのレストア活動」は有効なのではと思い、河合満エグゼクティブフェローに後続のプロジェクトについて相談しました。

この提案をもとに田原工場長(当時)の伊村隆博、上郷下山工場長の斉藤富久、技能者養成所所長の深津敏昭がクラウン・レストア・プロジェクトを企画、河合満エグゼクティブフェローが賛同し、理解者・助言者となったのは第1回で紹介したとおりである。

このパブリカ・レストア・プロジェクトの苦闘と成功がなければ初代クラウン・レストア・プロジェクトは存在しなかった。その全貌は斉藤と古味を中心に制作した冊子『RESTRATION OF PUBLICA』で知ることができる。トヨタイムズではその全ページをPDFで掲載するので、ぜひご覧いただきたい。

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レストアが完了したパブリカのドライバーズシートに収まり感慨深げな河合満エグゼクティブフェロー。かつて自らが所有していたコロナを思い出す1台だという

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