ランドクルーザーのテストドライバーを40年近く担当してきた、ランクルマイスターこと福岡氏にインタビュー。
ランドクルーザー70年の歴史のうち40年近く開発に携わってきたテストドライバー
長年ランドクルーザーの開発に携わり、世界中のランクルファンから「ミスターランクル」と呼ばれる小鑓貞嘉主査が、この人を抜きにランドクルーザーは語れないといい切る、そんな人物がいる。それがテストドライバーの福岡孝延氏だ。
昨今のランドクルーザーの悪路走破性を飛躍的に高めてきた電子制御システムの数々、KDSS*、マルチテレインモニター、マルチテレインセレクト、クロールコントロール、アクティブトラクションコントロール、ターンアシスト機能、E-KDSS*といった機能は、すべて福岡氏のアイデアと創意工夫がカタチになったものだ。
*KDSS・・・キネティック ダイナミック サスペンション システム*E-KDSS・・・エレクトロニック キネティック ダイナミック サスペンション システム
その福岡氏が、ランドクルーザー開発のためにつくったオフロードテストコースが、トヨタ自動車士別試験場にある。今回、トヨタイムズでは、福岡氏の頭文字をとってFコースと名づけられたそのテストコースで、福岡氏と小鑓主査にインタビューした。
福岡氏は1971年、半世紀前にトヨタ自動車に入社。第3技術部車両試験課に在籍し、乗用車のテストドライバーとなった。「配属当初は、先輩にトヨタ2000GTのトランスミッションをおろしてみろとか無茶も言われましたが、楽しかったですね。乗用車のテストドライバーは、それこそ花形職業という感覚でした」と当時を振り返る。
10年以上にわたり初代センチュリーやセリカ・カリーナなどの実験・評価を担当するが、1982年に商用車の車両評価開発へ異動を命じられる。小型のクロスカントリー4WDであるブリザードを皮切りに、60、70、80、90、100、105、120、150、200系と、歴代ランドクルーザーの実験と評価を担当してきた。
2016年に65歳でトヨタ自動車を退職したが、株式会社トヨタカスタマイジング &ディベロップメント(旧トヨタテクノクラフト株式会社)のシニアテクニカルアドバイザーとして、最新の300系についても先行開発から関わってきた。ランドクルーザー70年の歴史のうち、実に40年近く同車の開発に携わってきたのだ。まさにランクルマイスターと呼ぶにふさわしい人物だろう。
福岡氏は現在、その類いまれなオフロード走行経験と知見により、純正タイヤの開発や、各地の試験場でオフロードコースの設計・造成に関わっている。
ここで士別試験場について説明しておこう。自動車メーカーやタイヤメーカーのテストコースがひしめく北海道でも屈指の規模をもつ士別試験場は、1984年に全長5㎞の寒冷地周回路などが完成し、やがてバンクを備えた全長10kmの高速周回路などが加わっていった。総面積930万平方メートルは旭川空港より広い。
だが、このテストコースの本領は規模のみならず、海外の道路条件を忠実に再現したバラエティ豊かな各種コースのレイアウトや路面にもある。また、北海道の内陸で北寄りに位置するため一年を通じて寒暖の差が激しく、夏は高速試験、冬は寒冷地試験と、すべてのトヨタ車、レクサス車が鍛えられる場所となっている。
1989年に登場した初代セルシオは当時、動力性能や静粛性においてトヨタが一つ高いレベルに達したと評価されたが、その背景には落成して間もない士別試験場の存在があった。まさに「道がクルマを鍛える」の好例だ。
乗用車の開発経験がランドクルーザーの走りにもたらしたもの
まず小鑓主査が、こう話を切り出した。
小鑓主査
僕がランドクルーザーの開発部署に入ったのは1985年なのですが、開発チームが育み受け継いできた「信頼性」「耐久性」「悪路走破性」というランクルの幹となる価値を、福岡さんから叩き込まれました。当時は福岡さんも若かったから教え方も厳しくて、「このクルマを扱いこなせないヤツはエンジニアにはなれない」なんて言われ落ち込みましたね(笑)。
僕はクルマの運転が大好きで、大学時代から40歳までラリーをやっていたのですが、オフロードのドライビングについては、福岡さんに一から鍛え、叩き込んでいただきました。
小鑓主査によれば、福岡氏は職人気質で口数は少ないが、目指すべき方向性や絶対に譲れないことについては明確で、時には上役と見ている側がハラハラするくらいにぶつかり合うこともあったという。
福岡氏
会社生活45年のうち、乗用車の開発に携わったのは最初の11年くらい。あとはずっとランドクルーザーでした。今ではSUVの開発というと花形部署のようですけれど、僕が担当するようになった60系の頃のランドクルーザーは商用車カテゴリーのクルマでしたから、「トラックの開発部署に移るんだ」と、ショックを受けたことを覚えています。
でも、乗用車が走れないようなところを走破できることに、乗用車とか商用車とかの区分けを超えて真の四輪駆動車の価値がある、そう思うようになりました。そうして心を強くもってランドクルーザーの開発に取り組んでいくうちに、オフロードの魅力に取りつかれました。
ランドクルーザーのような四輪駆動車の開発には、乗用車のそれとは異なる基準があって、信頼性や耐久性について、莫大な評価項目が課せられていたんです。上司や先輩からとにかく壊すまで走れと言われ、それを積み重ねてきました。大変な仕事でしたが、それでもランドクルーザーの開発に携わることが楽しく感じられたんです。
トヨタにはすべてのトヨタ車がクリアすべき品質基準であるTS(トヨタ・スタンダード)が存在するが、ランドクルーザーの開発では、オフロードでの耐久性についてなど、オリジナルの項目を追加していたのだろうか。
福岡氏
その通りです。ただ、どうしてもテストをしていくうちにTSとランドクルーザーがクリアすべき基準にズレが生じてくるので、それを補うためにオフロード用の新たな基準をつくり、TSそのものを更新していきました。
また、耐久性のみならず悪路走破性を確認するためのテストもスタートさせました。ランドクルーザーのオフロード性能がお客様に評価されるようになってきたのも、手前みそですが私が手を入れ始めてからだと思っています。
60系までは、商用車として荒れた道を走れるように仕上げるという感じでしたが、70系の開発では社外のオフロードでテスト走行を行うなど、悪路走破性の向上にも取り組んできました。
そういえば当時、田原工場近くの護岸エリアで、上司とともにランドクルーザーのテスト走行をしていて、大きな穴にクルマごと落ちたことがありました。その時、リーフスプリング(重ね板バネ)が反転して、シャックル*が逆側に伸びきっちゃったんですね。こんなことが起きるのかと、反転を抑えるパーツを考案しました。
*リーフスプリングをボデーやフレームに取り付けるために用いられる金具パーツ転んでもタダでは起きない、失敗をも糧にする、福岡氏の姿勢がうかがえるエピソードだが、彼はさらにこう続けた。
福岡氏
いまお話ししたとおり、70系から悪路走破性を高めることができました。ただ、70系をオフロードで走らせるにはドライバーにある程度の腕が必要でした。そこで、誰もが気軽にオフロードを走れるようにできないかと思い、それがマルチテレインセレクトやアクティブトラクションコントロールを考案するきっかけになりました。走ることを楽しむには、オフロードにも乗用車の感覚を採り入れることが必要だと考えたんです。
当時、まだ若いエンジニアとしてランクルの開発部署に移った頃について、小鑓主査はこう回想する。
小鑓主査
その当時のランドクルーザーには、オフロードを楽しむクルマというイメージはありませんでした。
1980年代頃、レジャーとしてオフロード走行を楽しむための四輪駆動車という方向性は、たとえば三菱自動車さんのパジェロがうまく表現していた。信頼性も耐久性も高くて悪路を走れるクルマはトヨタにもあるのにと、ランドクルーザーの方向性について見直しが入った時期でした。ワゴン系でいうと60系から80系に切り替わる頃で、より広くお客様の需要に対応するために、ヘビーデューティ系の70系と前後して、ライトデューティ系といわれるプラドが登場しました。乗用車の開発から入った福岡さんが、ランドクルーザーの現場で温めてきた考えが、ランドクルーザーファミリーの系統を決定づけたと、僕は考えています。
さらに80年代から90年代にかけて、80系でランドクルーザーはジャンプアップの進化を遂げました。70系の頃までは、オフロード車には耐久性や悪路走破性に優れるリジッド式サスペンションやリーフスプリングが常識でしたが、80系では乗用車でおなじみのコイルスプリングを採用しましたから。
70系から80系への時代、ランドクルーザーのようなクロスカントリー車がポピュラー化し、電子制御技術が本格化していった流れを、福岡氏は次のようにふり返る。
福岡氏
オフロード走行では路面の凹凸に応じてサスペンションを十分にストロークさせてタイヤを路面に接地させることが重要なのですが、そういう厳しい路面にも対応できる基本性能があってはじめて、乗員が楽に運転できるようになります。80系や初代プラドの時代は、厳しい環境下でいかに快適に乗れるか、という我々開発チームのテーマを追求してきました。
80系でのコイルスプリングの採用から始まり、100系、200系でさまざまな電子制御システムを実現していくなかで、いかに信頼性を確保しながら、誰もが扱いやすいクルマに仕上げていくかという課題に取り組んできました。
「信頼性」「耐久性」「悪路走破性」というランドクルーザーとして欠かせない資質と同時に、誰もが快適にそれを引き出せることを目指すという開発テーマは、横尾貴己主査が5大陸走破プロジェクト*に参加した経験から、オフロードでも扱いやすく楽に走れるというテーマを掲げて開発した、最新の300系にもつながっている。ここで小鑓主査が口を開いた。
*「道が人を鍛える。人がクルマをつくる」というトヨタのモータースポーツ活動の思想を根幹とし、「もっといいクルマづくり」と、それを支える「人づくり」のために、5つの大陸をグローバルトヨタ及び関連会社の従業員が走破していくプロジェクト小鑓主査
僕はプロ人材ということに関して、3つのこだわりがあるのですが、すべて福岡さんに影響されたものです。
まず運転のうまさだけではなく、自分の想いや夢をプロダクトで表現できること(改善技能)。そして世界中の道、競合車に精通していること(評価能力)。さらに世界中のお客様の使い方、乗り方を熟知していて、すべてのお客様になりきって車両性能を引き出せること(運転技能)。
福岡さんはアイデアマンで、提案するだけでなくカタチにしていく能力がずば抜けています。ここ士別のFコースは福岡さんのキャリアの集大成で、世界中のオフロードを走ってきた福岡さんの経験が、ここ士別に凝縮されています。
福岡氏と2人のコース管理担当者が手づくりで完成させたFコース
Fコースは2011年頃、ランドクルーザーの悪路走破性テストのためのオフロードコースがいよいよ必要だから、士別試験場を活用すべきという方向性を当時の役員が示したことに始まる。福岡氏はこう説明する。
福岡氏
ご時世が変わってきて、それまで社外でテストできていたことができなくなってきた。加えて、日本国内にはない過酷な路面を求めて開発中の車両を海外のオフロードで走らせることは多々行ってきたのですが、国内にテストできる環境があれば、開発がより効率的になります。
かくして、さまざまな気候条件でテストできる士別で、用地探しから始まったオフロード試験路新設プロジェクトだが、そこには試験場のコース管理を担当する車両技術開発部の沢田哲雄SXと藤田孝SPが、重機を扱えるスペシャリストとして加わっていた。二人は当時のことを、こう回想する。
沢田SX
福岡さんとランドクルーザーに乗って試験場周辺の土地を見に行くんですが、急斜面を見つけると登りたがるなど、驚くことは多々ありました(苦笑)。最終的には用水・排水の関係も踏まえて、試験場内の今の場所に設けるのが最良という結論に至りました。
藤田SP
着工が2013年、すべて完成したのは翌2014年でした。2013年の夏は士別が猛暑に見舞われたのですが、福岡さんの指示に従ってここ掘れ、あっちへ石を置いて、というふうに、一つひとつ作業しましたね。
いわゆる土木工事ではあるが、土木建設関連の他社に依頼発注したものではなく、重機をミリ単位で操ることができる沢田SXと藤田SPの手を借りながら、福岡氏の陣頭指揮によって実現した100%社内によるプロジェクトだった。
通常のテストコース管理とはかけ離れたどころか、前例のない仕事を担当した二人の造成工事の秘話に、福岡氏は時折、わざと視線を泳がせたり、強くうなずいたりしながら、こう述べる。
福岡氏
本当にあれは暑い夏でしたね。特に石を一つひとつ並べては、ちゃんと固定できているか確かめながら作業を進めた岩石路は、RAV4のようなSUVも評価できるよう、岩石の高さによってレベル分けしているんですが、炎天下で石の形と向きを見極めながら、一つひとつ並べる作業は、体力的にもかなり厳しいものがありました。
士別試験場Fコースには、信頼性や耐久性を確認するために「壊しきれる」ほどの険しさ、つまりクルマが負い得るダメージを評価できる環境をはじめ、世界中のオフロードの特徴を反映した、数々のオフロード路面や登坂路がある。
福岡氏は、ダメージテストを目的とする田原工場テストコースと異なる点は、路面干渉性と悪路走破性、いずれをも試せるコースがある点だという。そうした路面は一つひとつ、福岡氏の知見に則り、コース管理を担当する沢田SX、藤田SPとの作業によって、手づくりされたものなのだ。
小鑓主査がここで、次のように言葉を挟んだ。
小鑓主査
福岡さんたちが手塩にかけたテストコースですから、走破するのが難しいところも多々あります。初めて訪れた時は……まぁ、凄いものをこしらえたな(笑)と思いました。ここを走れないとランドクルーザーじゃない。逆に言えば、ここで鍛えられたからこそランドクルーザーになる。評価は福岡さんたちですから、そこは一任しています。
ちなみに今でも覚えていますが竣工した時、特に難しい林間コース(誰もがクリアできない)が奥の方にあるんですが、福岡さんから、このくらいクリアできないようじゃランドクルーザーのチーフエンジニアは務まらない、負けず嫌いのエンジニアとしてのスイッチが入り、死に物狂いで走破しました(笑)。
逆に、こういう走りができるところまでもっていってくれるからこそ、ランドクルーザーが開発できるんだなと、エンジニア側に思わせてくれる、そういうコースです。
後編では、いよいよFコースに踏み込んでみる。
福岡孝延 Takanobu Fukuoka
1971年、トヨタ自動車入社。第3技術部車両試験課に在籍し、センチュリー、セリカ・カリーナ、EV車など乗用車の実験・評価を担当。1982年からブリザード、ランドクルーザー60、70、80、90、100、105、120、150、200系の実験・評価を担当。2016年、トヨタ自動車を定年退職し、同年10月、トヨタテクノクラフト株式会社(現トヨタカスタマイジング&ディベロップメント株式会社)に入社。ランドクルーザー300系の先行開発に携わる。2021年、ランドクルーザーの開発契約終了。現在、JAXAとトヨタが共同研究を進める有人与圧ローバ「ルナ・クルーザー」のテストコース造成および走行性能確認テストを進行中。
小鑓貞嘉 Sadayoshi Koyari
Mid-size Vehicle Company MS製品企画 主査。1985年、トヨタ自動車入社。第1技術部に在籍し、ハイラックス およびランドクルーザープラドのシャシー設計を担当。1996年からは、トヨタ第3開発センターにて製品開発を担当、2001年よりランドクルーザーと、 新型フレーム系プラットフォームの製品開発に、主査として従事。 2007年、トヨタ第1開発センターのチーフエンジニアとなり、現在 ランドクルーザー70系、ランドクルーザープラドの開発に携わる。