社長として臨む初めての株主総会。近健太社長は株主の前で何を語ったのか?
トヨタ自動車は17日、株主総会を開いた。今年は過去最多9,040人の株主が集まり、愛知県豊田市の本社に加え、名古屋市でも会場を設け、リモートでつないだ。
4月1日にトヨタの第13代社長に就任した近健太社長。トヨタイムズでは近社長のコメントを中心に振り返りたい。
「もっといいクルマづくり」を継承していきたい
まずは、目指す「もっといいクルマづくり」について問われた場面。経理出身の近社長ということもあり、株主の関心もそこに向いた。
近社長
私が目指すクルマづくりについてですが、トヨタ自動車会長の豊田(章男)が社長になった2009年以来「もっといいクルマづくり」を会社の一丁目一番地として取り組みを進めています。
2009年に豊田が申したのは「もっといいクルマをつくろうよ」ということでした。17年前になりますが「もっといいクルマとは何でしょうか」と思う人が会社の中のほとんどだったと思います。
ただ、それ以降の17年間、みんなで「もっといいクルマって何だろう」「もっといいクルマにするにはどうしたらいいんだろう」と考え、行動し、豊田がずっと現場でハンドルを握り続けてきた結果、今のクルマ屋であるトヨタになったのだと思います。
私はそれを継承していきたいと思います。おっしゃる通り、私は経理の出身です。しかし、会社の中には、現場でいいクルマづくりを目指し、本当に一生懸命に取り組んでくれている仲間がいます。
私は現場を訪ねることも多いですが、メンバーの言うことをしっかり聞き、彼らがどうすれば次のチャレンジをしていけるかにもっと耳を傾け、背中を押していくことが私の役割ではないかと思います。
私も一人のクルマ好きですので、仲間と一緒に「もっといいクルマってなんだ?」をこれからも突き詰め、考え続け、取り組み続けてまいりたいと思っています。
また、佐藤恒治 副会長、豊田章男 会長は、株主の質問に答える中で、近社長について、次のように表現するシーンもあった。
佐藤副会長
トヨタは本当に多くの仲間が、現場で「もっといいクルマづくり」に汗をかく会社になって参りました。
振り返りますと、2009年、私が一エンジニアとしてクルマづくりをしている時に、会長の豊田はマスタードライバーとして、そのクルマづくりの中心におりました。
豊田はいつも言います。「数字で測れないところにクルマの価値ってあるんだよ」、「素性にこだわってやっていこうよ」と。
私17年豊田の下でクルマづくりをやってきていますが、全くブレない軸です。「素性にこだわってお化粧をしてクルマをよくするのではなく、素が良いクルマが本当の価値を生むんだよ」
これはおそらく、マスタードライバーとして、豊田が譲らないクルマづくりの軸なのではないかと思います。
今は多くの仲間が、その軸をブラさずに、毎日毎日汗をかいて、人の気持ちに届くクルマづくりに取り組んでいます。
豊田は「クルマを運転するのが好きな人」。私は「クルマをつくるのが好きなクルマ好き」。近は、どんなクルマ好きなんだろう?と社長就任後の近の動きを見ていますと、本当に現場によく行っています。近はおそらく「クルマをつくる人が好き」なのだと思います。
いろんなクルマを好きな人間がトヨタにおります。これからもぜひ温かく、トヨタのクルマづくりをお支えいただき応援いただけると幸いです。
(近社長が答えた「もっといいクルマづくり」を補足する形で)
豊田会長
近が財務担当で、(社長)就任会見のときに「私はお金が好きだ」という発言があったからご心配されていると思います。
実は「お金が好きと言いなさい」って言ったのはこの私です。なぜかと申しますと、近はただお金を見ている人間ではございません。お金の裏側には、先人も含めた現場の人間の思いや努力があります。
そのことを誰よりも知っているのは近だと思いますので、数字を通じて、その裏にある現場の努力や思いを見ることができる人間ですので、ご安心いただきたいと思います。
(認証問題をめぐる発言の真意を問われる中でのコメント)
モビリティカンパニーとは?「まだ答えはありません」
続いては、トヨタが目指す「モビリティカンパニー」について。空飛ぶクルマから船舶まで、さまざまなモビリティに取り組むことに対して「いろいろ手を出し過ぎではないか」という株主からの率直な質問だった。
近社長
“モビリティカンパニー”という言葉は、2018年米国のCESというイベントで、当時社長の豊田が「トヨタはクルマをつくる会社からモビリティカンパニーへモデルチェンジをする」と宣言したところが始まりだったと思います。
一方、2009年に豊田が言った「もっといいクルマをつくろう」。当時(の受け止められ方)は「もっといいクルマって何ですか?」「教えてくれたらやりますよ」。そんな会社だったと思います。
ただ、本当にその後、当社はクルマ屋になったと思います。
今「モビリティカンパニーとは何か?」と問われて、私にはまだその答えはありません。ただ、今は「モビリティカンパニーって何ですか?教えてくれたらやります」(と返す)、こんな人はトヨタにはいないと思います。
私が以前勤めていたウーブン・バイ・トヨタで、ミャンマー出身の同僚が「自分の生まれた町では、自分の足で動けるところが自分の世界の全てです」と言っていました。
ただ、彼女は「幸運にも日本に来ることができて、モビリティに出会って、たくさんの人に会って、たくさんのものを見ました。その時にモビリティが、自分に人として生きる尊厳を与えてくれました」と話しているのを耳にしました。本当に多くの国と地域では、同じ状況があると思います。
トヨタグループの祖である豊田佐吉翁が、織機を発明して、トヨタ創業者の豊田喜一郎が自動車をつくり始めました。
商品は少し違いますが、誰かのために、社会のために、未来のために、そういう想いは、トヨタは変わりません。
これからも陸・海・空、そして宇宙も含めて、いろいろなモビリティで全ての方々の移動を支えて、人と社会の可能性を広げて、幸せを量産していく。
それがトヨタの使命だと思っております。この使命を果たすために、役員、従業員一同、本当に努力してまいりたいと思います。
豊田会長のノート
2009年から8年間、豊田会長の秘書を務めてきた近社長。当時を振り返り、経験をどう活かしていこうとしているのか。
近社長
私が豊田の秘書として印象に残ったことですが、本当にたくさんあります。話すと1時間ぐらいかかってしまいそうですので、いくつか。
今日は(豊田は)議長席におりますが、最初に議長席に座ったのが2010年でした。その日の朝に豊田がいつも使っているノートを見せてくれたことをよく覚えています。
そこには「トヨタが目指すべき成長」と書いてありまして「単に規模の拡大、世界一大きな会社になるということではなく、世の中が求めるもの、社会が求めるもの、その変化にしっかりと対応して、トヨタ自身も変化していくこと、それこそが成長である」と書いてありました。
そして「トヨタは成長し続けたい」。そのように書いてありました。
当時(2009年)はリーマン・ショックの直後で(トヨタは創業以来の)赤字でした。豊田は「赤字だと何もチャレンジをさせてあげられない」と言い、誰かが悲しむ決断、辞める決断ばかりをしておりました。
その結果、今は成長投資ですとか、そういったことにブレーキをかけることなく、アクセルを踏み続けられる会社になっていると思います。
その時に絞り出していた言葉や姿は、本当に強い記憶として残っています。(私の)社長としての軸は「豊田ならどうするんだ」ということに尽きます。
いつも豊田は「決断するときには、一番悲しむ人の顔を思いながらする」とか「トップの役割とは、決めることと責任を取ること」と申しておりました。
責任を取るということに関しては今、トヨタとトヨタグループの責任者は豊田1人だと思います。
「ただですね…」
ここで近社長が言葉を詰まらせた。数秒の沈黙。視線を落とす姿に、株主から背中を押すように拍手が沸き起こる。
声を震わせ、言葉をつないだ。
いつかは豊田から「お前も責任取れるようになったな」と言ってもらえるように精進してまいりたいと思います。
そして、仲間と一緒にトヨタの持続的な成長を目指して努力してまいります。株主の皆様のご支援を、何卒よろしくお願いいたします。
語り終えた近社長に向けて、株主から再び拍手が贈られた。
それを受け、豊田会長は、新社長へ声をかけた。
「この拍手は応援だよ」。
社長として臨む初めての株主総会
社長として臨む初めての株主総会。
経理部門の立場から見つめ続けてきた、数字の裏にある現場の努力や想い。
モビリティを通じて、人と社会の可能性を広げる使命。
秘書として見続けてきた豊田章男の背中。社長としてのあり方。
そして、いつか自らも責任を取れる人間になりたいという決意。
近社長が見せたのは、責任の重さを受け止めながら前へ進もうとする率直な姿だった。
「背中を押すことが自分の役割だ」と語った新社長はこの日、過去最多となる株主が集まった会場で、その拍手に背中を押され、新たな一歩を踏み出した。
後編では、3年ぶりに議長席に座った豊田会長の発言を振り返る。
豊田会長が議長となり「株主総会が変わった」と語る株主に、豊田会長はどう応えたのか?