液体水素を燃料とするGRカローラが24時間レースを完走した。開発が始まって1年半。世界初の挑戦はいかにして成し遂げられたのか? 現場に密着した編集部がその軌跡をレポートする。
開発打ち切りもよぎった車両火災
新光産業がつくったタンクが初めてクルマに載ったのは2022年10月だった。液体水素システムも機能・安全の評価を重ね、同月中には、走行できる状態にまでこぎつけた。
翌11月には富士スピードウェイの初走行に成功する。このころ、レース参戦のターゲットが2023年3月の鈴鹿(初戦)に決まった。
未知の挑戦に失敗はつきもので、それまで問題がなくとも、条件が変わるとクルマが動かなくなることは何度もあった。その場で原因がわからないこともしばしばあった。
日々、トラブルには事欠かなかったが、問題が起きては現場で直し、着実に歩みを進めているかに見えた。
しかし、デビュー戦を10日後に見据えた3月8日、事件は起きた。
サーキットでのテスト走行中にエンジンルームから出火。幸い、ドライバーや関係者にけがはなかったものの、車両が損傷を受けて、開幕戦を断念せざるを得なくなった。
欠場だけで済めばいい。「このような大きな挑戦は、普通はやらせてもらえるものじゃない。失敗すれば止められるのが常」と語るのは、水素エンジンプロジェクトを統括する伊東直昭主査。
「火災」というイメージが先行してしまったら、プロジェクトが打ち切られてしまうかもしれない。開発陣の脳裏には、そんな不安もよぎった。
しかし、開発は止まらなかった。1週間後、レース欠場の発表には、佐藤恒治社長と豊田章男会長がそろって姿を見せ、開発を続ける意志を明確にした。
「このクルマが参戦するのはST-Qクラス。将来のモビリティ社会実現に資する技術開発に取り組むことを目的に設定されたカテゴリーで、課題を出すのがテストの目的。大事なのは、出てきた課題をどのように次に生かすか。改善の手を緩めることなく、進めていきたい」(佐藤社長)
「水素社会実現のために始まった活動で、当初から言ってきたのは『意志と情熱ある行動が未来をつくる』ということ。エンジニアたちは『そんなことできるわけがない』と言われながらも、アジャイルに、競争しながら、周囲が見ている中で開発を進めてくれています。私自身がドライバーでいることで、『危険』というイメージを『未来』に変えていきたい」(豊田会長)
経営トップに背中を押され、開発陣は2021年の気体水素カローラのデビューと同じ24時間レースに照準を定め、開発を進めることになった。
「戻す」でなく「進化させる」
とはいえ、使っていた部品一つひとつが一品モノ。“ホワイトボディー”というエンジンや座席などが付いていない骨組みの状態から、部品の発注も含めて、2カ月半で車両をつくり直すことに。
普通なら到底ムリなスケジュールだったが、新しいチャンスをもらった開発陣は、総力を挙げて、新たなクルマを仕立て直した。
そして、この間にやったのは、車両を元の状態に「戻す」ことではなく、「進化させる」ことだった。
二度と出火を起こさないよう、水素の配管をエンジンの高温部から離すとともに、継ぎ手が緩まないよう機械的な対策を実施。
さらに、万が一、水素が漏れても、とらえて検知器に導くカバーを装着するなど、二重、三重の安全対策を施した。
また、気体水素のころから300kgほど増えてしまっていた車重も、タンクを中心に50kgの軽量化に成功。
富士スピードウェイのラップタイムは、気体水素で初めてレースに参戦したときを上回るまでになった。
軽量化された後の車両に乗ったモリゾウこと豊田会長は「1回目よりずっといい感じ。ずいぶん軽量化を進めてくれた。本来のクルマとの会話ができた」とうなずいた。