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「日本のクラウン、ここにあり」 豊田社長が世界へ届けたメッセージ

2022.07.15

7月15日にワールドプレミアされたトヨタのフラッグシップ・クラウン。トヨタイムズでは、豊田章男社長によるスピーチ全文を紹介する。

新型クラウンが、7月15日、幕張メッセ(千葉県千葉市)でワールドプレミアされた。

今回の16代目クラウンは、セダンだけでなく、SUVなど4つのボディーバリエーションを備え、約40の国と地域へ展開を予定するなど、従来モデルから大きく生まれ変わった。

最近では、トヨタの基幹車種は、米国や中国で世界初公開されることが増えてきたが、久しぶりに、ここ日本で、豊田章男社長によるワールドプレミアが行われた。

会見場に向かう通路には、初代から15代までの歴代のクラウンが開発主査の顔写真やメッセージとともに展示されており、今回の16代目に至る歴史を感じることができる。

撮影:三橋仁明/N-RAK PHOTO AGENCY

会場を訪れた出席者に「本日は、新型車の発表会にもかかわらず、皆様には、入り口で15代のクラウンを見ていただきました。それは、なぜか」と問いかけ、話し始めた。

歴代主査とクラウンの物語

豊田社長

撮影:三橋仁明/N-RAK PHOTO AGENCY

本日は、「歴代主査とクラウンの物語」から始めさせていただきます。

クラウンの原点は、トヨタの創業までさかのぼります。今から90年前、豊田喜一郎は自動車事業への挑戦を決意いたしました。その根底には「大衆乗用車をつくり、日本の暮らしを豊かにしたい」という「思想」がありました。

創業から15年がたった19521月、ようやく念願の国産乗用車づくりが始まります

車名の「クラウン」は、喜一郎の発案で決まっていたそうです。初代主査に任命されたのが、中村健也さんでした。

中村さんは、強い使命感のもと、クラウンの開発に全身全霊をささげました。「いいと思うことは、たとえ周囲に反対されてもやる」。そんな強い信念を持ち、前輪ダブルウィッシュボーンサスペンションをはじめ、最新技術のすべてをつぎ込みました。

発売当時を振り返り、中村さんはこう言われています。

「日本中がお祭り騒ぎのようでした。まずいところを謝ると、『小さな傷だ。すぐ直る』とお客様の方がなぐさめてくださった。国中をあげて僕の尻押しをしてくれた感じでした」。

1957年には、日本車として初めて、オーストラリアでの海外ラリーに参戦し、その後、乗用車で初となる米国輸出にも挑戦いたしました。

そして1959年、乗用車専用の元町工場を立ち上げます。乗用車の黎明期、年間6万台の「量産工場」を建てることは、大きな決断でした。

戦後のトヨタにおいて、すべての挑戦は、初代クラウンから始まったのです。まさに、日本という国が豊かになっていく勢いを象徴していたクルマそれが初代クラウンだったと思います。

そして、「マイカー元年」の翌年、1967年に、3代目が発売されます。中村さんのもとで、2代目の開発にたずさわった内山田亀男さんが主査になりました。内山田さんは、駐車場のクルマを観察する中で、ボディの色がだんだん明るくなってきたことに気づかれたそうです。

そこで、マイカーとして乗るお客様が増えることを見越して、白いボディカラーを設定。3代目は「白いクラウン」と呼ばれ、モータリゼーションをけん引していくことになります。

ここまでが、いわばクラウンの「創業期」です。

そこから20年は、お客様が求める「クラウンらしさ」を確立する時代です。

1971年にモデルチェンジした4代目では、外国車との競争激化を見越して、イメージを一新する大胆なデザインに挑戦いたしました。

しかし、品質トラブルの影響もあり、販売面で大苦戦を強いられます。「クラウンは、決してお客様の先を行きすぎてはいけない」。それが4代目の残した教訓です。

それ以降、歴代の主査たちは、「革新への挑戦」と「お客様の期待」、この両立に苦悩しながらクラウンの開発を進めることになります。

そんなクルマづくりが7代目、8代目で実を結びます。開発を担当したのは、今泉研一さんでした。

「いつかはクラウン」そう語り継がれる7代目によって、クラウンは、日本の「ステータスシンボル」になり、8代目では、歴代最高の販売台数を記録いたします。

私は、1984年にトヨタに入社いたしましたが、最初の職場は元町工場でした。8代目のモデルチェンジの生産準備にも携わりましたが、みんなが誇らしげに仕事をしていたことを、今でも覚えております。

80年代、クラウンは、名実ともに日本を代表するフラッグシップとなりましたしかし、これをピークに、9代目以降苦難の時代に突入していきます。

まず、トヨタにおけるクラウンの位置づけが変わります。

1989年、トヨタは、レクサスの最上級車「LS」を、「セルシオ」として日本にも導入いたしました。「いつかはクラウン」。その立ち位置が変わるという大きな転換点を迎えます。

そして、1991年のバブル崩壊で日本経済は不況に陥り、高級車需要は低迷いたしました。さらに、輸入車との競争も激しくなってまいります。

この逆風の中で、登場したのが9代目と10代目です。開発を担当した渡邉浩之さんは、「いつかはクラウン」の今泉さんのもとで腕を磨かれていました。酸いも甘いも知り尽くした渡邉さんの時代から、クラウンは「変革期」に入ってまいります。

2000年代に入ると、トヨタは海外展開を加速し、規模拡大を追求してまいります。徐々に、売れるクルマ、売れる地域が優先されるようになってまいりました。

クラウンの販売は、右肩下がりの状況。「このままでは、いつかクラウンはなくなってしまう」。そんな危機感の中で、2003年、12代目を迎えます。

開発を担当した加藤光久さんは、「おれの代でクラウンをつぶすわけにはいかない」、その一心で、クラウンの再構築に挑戦。世界基準の走行性能を目指し、プラットフォームやエンジンをゼロから開発いたしました。

ちょうどその頃、私は、師匠である成瀬さんのもとで、運転訓練を始めておりましたので、「ゼロ・クラウン」の「走りの良さ」を、自らのセンサーで感じたことを今でも鮮明に覚えております。

この「ゼロ・クラウン」により、「走りのクラウン」という新たな方向性が見えてまいります。

2008年には、リーマン・ショックが発生。赤字転落の中で、私が社長に就任いたしました。会社としては厳しい状況でしたが、クラウンの変革に向けた挑戦は続けてまいりました。

「一目見て、欲しい!そう思えるクルマにするためなら、何を変えてもいい」。そう言って、開発陣の背中を押しながら、デザインを大きく変え、プラットフォームも刷新し、さらにニュルブルクリンクで走りも鍛えてまいりました。

そこから、14代目の「リボーン・クラウン」、15代目の「コネクティッド・クラウン」が生まれました。

この20年、クラウンは、時代の変化と闘いながら、進化を続けてまいりました

クラウンの“明治維新”

豊田社長

そして、迎えた16代目。日本の歴史に重ね合わせれば、徳川幕府の江戸時代も15代で幕を閉じています。

「何としても、クラウンの新しい時代をつくらなければいけない」。私は、決意と覚悟を固めておりました。

「一度『原点』に戻って、これからのクラウンを本気で考えてみないか」。開発チームにそう伝えたところから、16代目の開発が動き出しました。

私の言葉を受けて、クラウン・チームは歴代主査の想いに立ち戻ることから始めました。

中村健也さんはこう言われています。

「信念をもって人にモノを売るということは、『自分の心でいいと思うもの、本当のお客様の心が入ったもの』をつくるということです。自分の主張を盛り込んだクルマに乗ってもらって、初めてお客様は『面白い。乗りたい』と言ってくれる。そうやってクルマを世に問うことが主査の役割なんです」。

これが「主査制度」の「原点」であり、私たちが目指している「もっといいクルマづくり」の「原点」だと思います。

あれから2年。チームの皆が形にしてくれたものは、これからの時代のクラウンでした。私が初めて新型クラウンを見たときの言葉は、「面白いね」。そして、乗ってみて、クルマから降りたときの言葉は、「これ、クラウンだね」でした。

本日、新しいクラウンが誕生いたします。16代目のクラウン。日本の歴史に重ね合わせれば、それは「明治維新」です。

ご覧ください。新しい時代の幕開けです!

社長にもらった“宿題”

豊田社長がそういって両手を広げると、ステージ奥のスクリーンが上がり、ボディータイプの異なる4台が姿を現した。

撮影:三橋仁明/N-RAK PHOTO AGENCY

「新時代のクラウンの誕生です」。豊田社長はそう宣言して、バトンタッチ。Mid-size Vehicleカンパニーの中嶋裕樹プレジデントが新型クラウンの開発エピソードを紹介した。

中嶋プレジデント

撮影:三橋仁明/N-RAK PHOTO AGENCY

今回のクラウンの開発の経緯についてお話しさせていただきます。

2年と数カ月前のことですが、まず私が手掛けたのは、現在走っているクラウンのマイナーチェンジでした。社長の豊田にその企画を見せたとき、こう言われました。

「本当にこれでクラウンが進化できるのか? マイナーチェンジは飛ばしてもよいので、もっともっと本気で考えてみないか」。

今思えば、ここから16代目のクラウンの開発がスタートしたと思います。

はじめに、歴代主査の想いに触れ、そもそも「クラウンとは何か?」を徹底的に見つめ直すところから始めました。

そこには、クルマの形や、駆動方式という決まりは何もありませんでした。あったのは、歴代主査の「革新と挑戦」というスピリットでした。私たち自身が、「内向き」に決まりをつくり、自らを動けなくしてしまっていたのです。

同時に、社長就任以降、豊田が言い続けてきた言葉を思い起こしました。「もっといいクルマをつくろうよ」と「世界一ではなく町いちばんを目指そう」。この2つです。

クラウンがロングセラーであり続けられたのは、歴代主査が常に「町いちばん」で考え、日本のお客様の笑顔を思い浮かべながら、「もっといいクラウン」を目指して、挑戦してきたからだと思いました。

そこから考えを大きく変えました。固定観念にとらわられず、これからのお客様を笑顔にするクラウンを目指そうと開発を始めたのが、このクロスオーバーです。

ある程度カタチになり、社長の豊田から「これで行こう」とゴーサインが出たと同時に、新しい宿題が出ました。

「セダンも考えてみないか?」

正直、耳を疑いました。一方で、私たちがあのマイナーチェンジのときから、発想を変え、「原点」に戻った今だからこそ、豊田は、セダンをやってみたらどうかと、問いかけているのだと受け止めました。

それならば、この多様性の時代、ハッチバックや、ワゴンも必要だと、4つの異なるモデルを提案した、というのが正直な経緯です。

形の違う4つのクラウン

中嶋プレジデント

あらためて4つのクラウンをご紹介いたします。

まずクロスオーバー。このクラウンは、セダンとSUVの融合で、乗り降りしやすく、視点も高く、運転しやすいパッケージとしながらも、走りは、新たなハイブリッドシステムとともに、「セダンを超えるセダン」として進化させました。

撮影:三橋仁明/N-RAK PHOTO AGENCY

次にスポーツ。このクラウンは、エモーショナルで創造的な雰囲気を持ち、乗りやすく運転しやすいパッケージとともに、俊敏でスポーティーな走りが、お楽しみいただける、新しいカタチのスポーツSUVです。

撮影:三橋仁明/N-RAK PHOTO AGENCY

続いてセダン。このクラウンは、正統派セダンとして、新たなフォーマル表現とともに、上質さ、快適さを追求しました。ショーファーニーズにも十分お応えできるモデルです。

撮影:三橋仁明/N-RAK PHOTO AGENCY

最後にエステート。このクラウンは、機能的なSUVとして、大人の雰囲気で、余裕のある走り、アクティブライフを楽しんで頂けるモデルです。後席はフルフラットデッキにもなり、まさしくワゴンとSUVのクロスオーバーとも言えるでしょう。

撮影:三橋仁明/N-RAK PHOTO AGENCY

以上、これら4車種の名前は、すべて統一して「クラウン」です。今回発売のクロスオーバーを振り出しに、これから1年半の期間で順次、世の中に送り出してまいります。

難しい開発を可能にした2つの取り組み

中嶋プレジデント

4つのクルマを並行して開発するのは至難の業でした。それを可能にしたのが「カンパニー制」と「TNGAです。この2つなくして、新型クラウンは実現できなかったと断言できます

まず一つ目、2016年から始まったカンパニー制です。

それぞれのカンパニーには、担当のクルマに愛着を持ち、また、そのクルマのことを最優先に考える人たちがいます。そして、自分たちの意思で決断し行動することが使命です。

Mid-size Vehicleカンパニーとして、クラウンを一番に考えることができたこと、また、プレジデントとして、自らの責任と判断で実行できたことが、非常に大きかったと思います。

これまで当たり前だった開発プロセスを見直し、無駄を徹底的にそぎ落とし、リソーセスを確保しなくてはなりませんでした。

そのために、例えば、製品企画と開発の各工程を、一つのチームにし、全員がプロであるという意識を高め、従来以上に緊密なコミュニケーションで乗り切りました。

二つ目はToyota New Global ArchitectureTNGAです。

もっといいクルマづくりを実現するため、プラットフォームと、パワートレーンを刷新し、一体的に開発することで、基本性能を飛躍的に向上させることを目指し、2012年にその構想を立ち上げました。

10年の時をへて、TNGAも成熟、進化し、その広がりが、クラウンのシリーズ化を実現させました。

TNGAプラットフォームでは、一目見て、このクルマが欲しいと思っていただけるデザインや、ずっと乗っていたいと思っていただける走り、乗り心地など、クルマの基本性能を高めてまいりました。

今回のクラウンでは、さらに成熟させ、例えば、このスポーツ。新開発した専用プラットフォームを用いてタイヤ大径化とともに、居住性とデザインの両立を狙い、つくられています。

TNGAパワートレーンでは、低重心化とともに、優れた走行性能と、環境性能を両立させ、ダイレクト&スムースを重点的に開発してきました。

今回さらに進化させ、例えば、このクロスオーバーでは、エンジンと電気モーターを直結させ、後輪にも大型モーターを搭載し、350馬力、550Nmというトルクフルな走りを実現。

加えて、緻密な4輪駆動制御で、車両姿勢のコントロールも行う、新しいハイブリッドシステムも導入しました。

クラウンのコンセプトは「トヨタブランドのフラッグシップ」です。

「カンパニー制」と「TNGA」で、4つのクラウンを並行開発し、それぞれのお客様のフラッグシップにふさわしい品質につくり込み、お届けしてまいります。どうぞご期待ください。

日本の底力を世界へ

スピーチを終えた中嶋プレジデントと入れ替わる形で、豊田社長が再び登壇。日本を、トヨタを代表するクルマを世界のお客様へ届けていく意気込みを語った。

豊田社長

いつの時代も、クラウンが目指してきたものは、「幸せの量産」だったと思います。

クラウンは、日本の豊かさ、「ジャパンプライド」の象徴でした。そして、世界に誇る日本の技術と人財を結集したクルマでした。新型クラウンにも、そんな日本の底力が詰まっております。

だからこそ、このクルマで、私たちはもう一度、世界に挑戦いたします

新型クラウンは、約40の国と地域で販売してまいりますシリーズの販売台数は、年間20万台規模を見込んでおります

クラウンが、世界中の人々に愛されることで、日本がもう一度、元気を取り戻すことにつながれば、こんなにうれしいことはありません。

「日本のクラウン、ここにあり」。それを世界に示したいと思っております。

最後に、世界のお客様へ、メッセージをお伝えしたいと思います。

I’m so excited to announce today… that this new Crown family of vehicles will be offered…not just in Japan… but globally…. for the very first time.

(本日皆様に、このニュースをお届けできることを大変楽しみにしてまいりました。新型クラウンシリーズは、日本だけではなく、初めて、グローバルに販売してまいります。)

Customers from around the world will now get a chance to drive this historic Japanese nameplate… born out of passion, pride, and progress.

(日本の情熱、プライド、発展が生み出した歴史あるクルマに、世界中のお客様がお乗りいただけるようになります。)

A car that could very well be… our crowning achievement!

(このクルマはきっと、クラウンの「最高傑作」になると思っております!)

皆様、「日本のクラウン」の新しい未来に、ご期待ください。

撮影:三橋仁明/N-RAK PHOTO AGENCY
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