商用事業でのアライアンス会見で、「このメッセージが届くように」と想いを込めて語られた内容とは。
7月21日、商用事業でのCASE技術の普及に向けたプロジェクト「Commercial Japan Partnership(以下、CJP)」に、軽自動車のスズキとダイハツが参画することが発表された。
豊田社長は、軽自動車のことを「日本の道がつくった国民車であり、人々の暮らしとともに進化し続けてきたプラクティカルでサステナブルな日本の『ライフライン』」と表現。その会見のラストに、記者から次のような質問が投げかけられた。
---スズキの鈴木修相談役への想いをお聞かせいただきたい
今年6月に会長職を勇退した鈴木修相談役。40年以上にわたり、スズキの社長・会長として経営のかじを取り、軽自動車を日常生活に欠かせない存在にまで成長させた。質問を受けた豊田社長は、多数の記者がリモート視聴するカメラに語りかけるように、こう答えた。
豊田社長
鈴木修元会長、現相談役は、この国に軽を生み、軽を育て、軽を発展させてきました。いわば、軽を日本の国民車に育て上げたおやじだと思っています。
今日は芸術家という表現も出ていましたが、私としては、日本のモータリゼーションのけん引者であり、オヤジであると思っています。本当の息子さんは2つ横にいますが、私にとってもおやじの一人です。
ご退任を発表されたとき、印象に残ったのは「生きがいは仕事です。挑戦し続けることは人生ということでもありますから、皆さんも仕事をし続けてください。バイバイ」とのお言葉で、最後に感謝で締めくくられました。
「皆さん」というのは、ここにいる我々もそうですし、550万人の自動車業界に関わる仲間たちへのメッセージでもあると思います。
現役時代も、インドの事業のときも、鈴木修元会長はよく「我々は中小企業」と言われていましたが、「インドにおいては、スズキこそが大企業であり、トヨタは中小企業。地域によっては、『中小企業のオヤジ』と言うのは気を付けてください」などと話ができるくらい親しくさせていただきました。
残された現役たちが、しっかり仕事をしていくことによって、そのおやじに「自動車業界、軽のためにいいことをしてくれたね、ありがとう」と言わせたいと思っています。
この会見を聞いていただいているかわかりませんが、スズキの幹部の方には、鈴木修相談役にご報告いただきたいですし、メディアの力を借りてでも、このメッセージが届くようにお願いしたいと思っています。
報道によると、鈴木修相談役はこの会見を生で視聴していたといい、メッセージは本人に届いていたようだ。
2月24日に行われた退任記者会見で、鈴木修相談役はこのような言葉を残している。
鈴木修相談役
先見の明はありませんね。勘ピューターであります。行き当たりばったりで、到着したら、インドが見えて、上陸したらそこそこ(上手く)行きました。地球上にはまだ見ない新天地がありますから、歩け歩け、行動力で発見すれば大丈夫ですよ。
自らを「中小企業のおやじ」と呼び、現場にこだわり、自ら動き続けることで「軽自動車」の未来を切り拓いてきた鈴木修相談役。トヨタイムズでの豊田社長との対談でこう述べている。
鈴木修相談役
(豊田社長の行動で)僕が感激したのは2010年2月24日、(米国の)公聴会にさっと出られた。それで、北米のサプライヤーとディーラーと工場の幹部を前にして話をされた。3月1日に北米から直接中国に行かれて、3月15日にヨーロッパに行かれた。日本に帰ってきてからは2000人を集めて、名古屋でもやった。素晴らしいことだと(思いました)。判断力、決断力、行動力。「経営力」だと私は思っていました。
鈴木修相談役がたたえたのも、危機に立ち向かう豊田社長の「行動力」だった。
そして、今回の記者会見で、豊田社長が鈴木修相談役に約束したことも「自動車業界、軽のために」行動し続けることだった。
今回の会見の最後の回答には、豊田社長が鈴木修相談役だけに向けた感謝のメッセージが込められていたのかもしれない。