みんなで挑み、失敗し、悩み、また挑戦する。最後に「ありがとう」と言い合えるように。豊田章男会長、佐藤恒治社長が新年のあいさつを届けた。
2026年、豊田会長が選んだ文字は?
豊田会長
皆さん、あけましておめでとうございます。
こうして年頭あいさつの「場」に立つのは、2023年以来3年ぶりのこととなります。
私は、今年の書初めに「場」という漢字を選びました。
なぜ、私がこの字を選んだのか? AIに聞いてみましょう。
豊田会長
いかがでしたでしょうか。
実はこれ、音声もスライドも全部AIがつくったものなんです。しかも、その所要時間、ほぼ2秒。すてきな解説だし、分かりやすい解説でしたね。
こういう時代だからこそ、今年は改めて「人に立ち返る年」。そうしたいと思っております。
受け継がれる創業の想い
豊田会長
ただ、もう一つ私が「場」という字に込めた想いがあります。
それは、「トヨタ創業の想い」でもあります。
こちらの映像をご覧ください。
〈動画概要〉
終戦直後、焼け野原となった街を前に、父・佐吉の「木と紙の燃える家はダメだ」という言葉を思い出した喜一郎は、翌年から燃えない家の研究を始める。
その姿を章一郎は後年、「『不燃性の住宅を各都市にたくさん建て、その平らな屋上から自家用ヘリコプターでいろいろな所へ飛んでいく。このような世界が必ず近い将来に来る』、戦前からヘリコプターの研究もしていた父は、そんな夢をよく語っていた」と述懐している。
戦前から、自動車だけではなく航空機の研究を進めていた喜一郎。将来は滑走路を必要としない航空機が求められる時代が来ると、研究に熱中していた。
研究は戦争による中断をはさみ、再始動。だが、ドッジ不況による経営危機に陥り、喜一郎はトヨタ自動車工業社長を辞任。
それでも、喜一郎の挑戦は終わらない。
喜一郎の発意により発足したトヨタ自動車工業の施設部プレコン*工場が1950年、ユタカプレコン(現在のトヨタT&S建設)として独立(取締役社長は豊田佐助)する。
*プレキャスト・コンクリートの略。あらかじめ工場で製造した鉄筋コンクリート製の部材(柱や壁、床など)を現場で組み立てて建物を造る工法。
燃えない家に挑み続けた喜一郎だったが、52年、志半ばで永眠。
同年、章一郎がトヨタ自工に入社。喜一郎の遺志は、従弟の英二、息子の章一郎へ。トヨタは多種多様なクルマをつくり、成長していく。その中にあって英二ら経営陣は、自動車市場の限界を懸念し、新事業の道を模索していた。
1968年、グループ各社が集う中開かれた全豊田技術会議で挙がった新事業の要件は3つ。
・国民生活の向上に役立つこと。
・販売店経営の多角化としてもふさわしいこと。
・オールトヨタが持つ技術力・資金力・販売力を活かせること。
この条件を満たす候補となったのが、船舶、航空機、住宅。佐吉、喜一郎が強い想いを抱いていた住宅について研究を行うことが決まった。責任者に選ばれたのは章一郎だった。
動画は、2019年のトヨタホームの株主懇談会で章一郎名誉会長が語った言葉で結ばれている。
「私は、燃えない家をつくろうとプレコンで平屋を建てた。平屋にしたのは、屋上から空飛ぶクルマで移動したいという夢があるから。皆さんも夢を忘れないように大いにやってほしい」
約5分の映像の後、再び豊田会長が語り始めた。