生前の功績が称えられ、殿堂入りした豊田章一郎名誉会長。行動で、背中で示し続けてきたその生涯を豊田章男会長が語った。
今年97歳で他界した豊田章一郎名誉会長が日本自動車殿堂に選ばれ、11月14日に都内で表彰式が行われた。
日本自動車殿堂は、日本の自動車産業・学術・文化などの発展に寄与し、豊かな自動車社会の構築に貢献した人々の偉業を称え、顕彰し、後世に伝承する活動を行っている。
今年は、名誉会長を含む4人が殿堂入りしたほか、4台の歴史遺産車が登録され、4つのイヤー賞(カーオブザイヤー/インポートカーオブザイヤー/カーデザインオブザイヤー/カーテクノロジーオブザイヤー)が選ばれた。
名誉会長は「トヨタ自動車を世界的な企業に育て上げ、日本を世界の冠たる自動車大国に導き、幾多の経営課題を克服。モノづくりは人づくりの信念のもと人材育成にも注力した」として受賞。
式典には、豊田章男会長が出席し、受賞のあいさつを行った。エンジニアとして、トヨタの責任者として、そして「日本を豊かな国にしたい」という創業者の「夢」と「志」と「心」の実践者としての、名誉会長の姿を伝えた。
豊田会長
このたびは、豊田章一郎を「日本自動車殿堂の殿堂者」に選出いただきまして、大変光栄に存じます。
また、この場をお借りして、皆様からの生前のご厚誼(こうぎ)に、心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
父が他界した2月14日は、偶然にも、尊敬する祖父 佐吉の誕生日でした。
父は、幼い頃より、佐吉や、父親の喜一郎から「モノづくりの精神」を学び、「論より実行」と、「最後までやり抜くこと」を実践して参りました。
そして、27歳のときに、喜一郎を亡くし、取締役として、トヨタに入社いたしました。
戦後の混乱期から半世紀以上、「責任者」としての重責を果たしながら、「障子をあけてみよ。外は広いぞ」という佐吉の言葉どおり、まさに、障子をあけて、「日本のトヨタ」から「世界のトヨタ」へ、その礎を築いたと思います。
また、企業人の立場にとどまらず、経団連、「愛・地球博」、発明協会の会長として、未来を担う子供たちが夢と希望を持ち、世界の人々が平和で豊かに暮らせる社会になるよう、強い信念と広い視野をもって取り組んで参りました。
そして、何よりも、「日本を豊かな国にしたい」という、喜一郎の「夢」と「志」と「心」を、実践し続けた人でした。
その根底にあったのは、「現地現物」「品質は工程で造りこむ」「絶えざるイノベーションへの挑戦」そして「モノづくりは人づくり」という、トヨタが創業以来、大切にしてきた考えでした。
忘れられない父の言葉があります。
「新しいモノをつくるために知恵を絞り、汗をかき、時間を忘れて熱中する。その瞬間が極めて楽しい。苦心した末にモノができあがったとき、それを誰かが使って、喜んだり、助かったりしたとき、このうえない喜びと感動に包まれる。だから、もっと勉強し、働いて、もっと良いモノをつくろうと思う」
この言葉が示す通り、父は、生涯を通じて、「モノづくり」を愛し、追求し続けたエンジニアでもありました。
そして、昨年、殿堂入りされた中村健也さんのことを「豊田綱領の『研究と創造に心を致し常に時流に先んずべし』を生涯貫いた技術者だった」と言って、大変尊敬しておりました。
その中村さんと一緒に、苦労してつくりあげたのが父の愛車の「センチュリー」でした。90歳を超えてからもなお、その後部座席で気づいたことをトヨタの技術者に伝え続けておりました。
父が後進に伝えたかったのは、「常にお客様を思う」心であり、「クルマづくりに終わりはない」という技術者魂だったと思います。
そんな父でしたので、尊敬する中村さんに続いて、この日本自動車殿堂に選んでいただいたことを本人が一番喜んでいると思います。本日は、誠にありがとうございました。