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震災から10年。東北での決断と10年の歩み(前編)

2021.03.11

一過性ではない復興支援を目指し東北にトヨタ自動車東日本を設立。毎年欠かさず東北を訪れる豊田社長の想いとは。

未曾有の震災から10年が経つ。

10年前、震災直後に、豊田章男は、甚大な被害を受けた東北の復興支援として、ロングスパンでの大きな決断をしていた。

震災4カ月後の2011年7月、東北を中部、九州に次ぐ第3の国内生産拠点にするために、関東自動車、セントラル自動車、トヨタ自動車東北の3社を統合したトヨタ自動車東日本(以下、TMEJ)を設立することを発表。

2年後の2013年には、TMEJの企業内訓練校「トヨタ東日本学園」を開校し、モノづくりの中核を担う人材が東北の地でも育つような後押しをしてきた。

トヨタが培ってきた「現場力」「人間力」「技術力」を駆使して東北に産業をつくり、雇用やサプライチェーンを生み、地元に納税することで“一過性ではない復興支援”を早くから掲げてきた。

そうした背景から、毎年欠かさず東北の被災地を訪れてきた豊田社長。

節目となる2021年の3月4日、トヨタ第3の生産拠点として成長を続けてきたTMEJの宮城大衡工場、それからトヨタの子会社であるハイブリッド用電池メーカー、プライムアースEVエナジー宮城工場を視察した豊田社長は、これまでの復興の歩みをどのように振り返るのか。

トヨタに転職して間もない社員の新人記者・森田京之介が、豊田章男の東北訪問に密着した。ということで今回のリポートは、森田記者の自己紹介から始めさせていただきたい。

トヨタイムズ新人記者 森田京之介 

昨年まで東京のテレビ局で勤務していました。

経済ニュース番組のキャスターとして報道の現場に携わる中、トヨタが国内外で与える影響力を肌で感じていました。

それがトヨタで働いてみたいと思うきっかけのひとつとなり、転職を決意し、今年から本当にトヨタで働く日々が始まりました。

震災10年の節目に際して、トヨタが東北復興において果たしてきた役割をこの目で確かめたいという想いを抱き、今回、同行取材をさせてもらえることになりました。

当時は、震災で生産活動が思うようにできず、さらに円高不況も重なる逆風下、国内の生産拠点増強という復興支援を掲げることは、そう簡単にできた決断ではないと想像していました。

10年経った今、その決断を下した豊田社長が東北の地をどういった目で見つめ、振り返るのか、今回の取材を通じて感じたことをリポートします。

素の現場から問題点や困りごとを聞くのが、豊田章男流の視察スタイル

豊田社長が最初に訪れたのは、TMEJ宮城大衡工場。車両の組立工程や生産設備を開発する現場を視察した。

TMEJは震災から10年の歩みを経て、「欧州カーオブザイヤー2021」を受賞した「ヤリス」をはじめとするコンパクトカーの一大拠点へと成長している。

東北に勤務するTMEJの従業員数は3,100人(2010年)から4,500人(2019年)に、出荷額は、300億円(2011年)から8,000億円(2019年)に拡大(3社統合による拡大も含む)。

それにともない、関係仕入先やその従業員数も着実に増えてきている。

また、同工場には、2020年に閉鎖したTMEJ東富士工場(静岡県裾野市)からの異動組が多く働いている。東富士工場といえば先日トヨタイムズでも報じたWoven Cityの建設地になっているところである。その東富士工場から異動してきた従業員に話しかける豊田社長。工場訪問時は、こうして現場で出会った人に突然声を掛けていくのが豊田社長のいつものスタイルだという。

「東北での生活にようやく慣れてきました」と答える従業員に対し、豊田社長は胸をなでおろした様子に見えた。

豊田社長は、従業員に声をかけるたびに、仕事のことだけでなく、家族の状況を確認していた。そうした会話を通じて、自分が下した大きな決断の渦中にいる人々が、本当に前を向いて歩めているのかを感じ取り、そこで見せてくれる笑顔に安心感を覚えているようにも見えた。

また、この日は現場からの叩き上げで、“おやじ”という肩書きを持つトヨタ自動車エグゼクティブ・フェローの河合満も同行していた。

現場を熟知する“河合おやじ”と一緒に行くと、現場はごまかしがきかない。

「だから本当に困っていることが聞ける」と豊田社長はおやじ同行の意義を説明していた。

「現場がどんなことに困っているかを聞けるチャンスを逃したくない」

豊田社長のこうした言葉を聞いて“現場がガチガチになるような時間”ではなく、“現場に寄り添う時間”にしたいという、豊田章男流の視察スタイルを理解することができた。

壊れてはいけない設備ではなく、壊れても直せる設備でモノづくりに革新を

生産設備開発の現場では、自分たちの工場で使うロボットを、自分たちの手で独自に開発している。実はこれが、この工場のオリジナリティでもあり、強みでもある。自作の小型ロボットの評価工程を興味深そうに視察する豊田社長。

視察中、豊田社長と河合おやじの間で“ロボットを自分たちでつくること(内製化)”についてこんなやりとりがあった。

[河合おやじ]

自分たちでつくるから、設備が壊れても自分たちで直せる。そして、また、よくできる(もっと改善していける)

[豊田社長]

そう。だから競争力がついていく…

ロボットを内製化することのメリットについて触れたこのやりとりから、これが東北のモノづくりの強みのひとつであると感じた。

被災地・東北に自動車産業を根付かせてきた10年で開花したもの

TMEJ宮城工場を視察後、豊田社長は同行していた記者陣の前で、震災後に「ヤリス」が東北の地から大きく躍進できたことを、10年の振り返りとともに語っていた。

[豊田社長]

震災の時はなす術もなく、人間のちっぽけさを感じていました。

当事者である被災者の方々の深い悲しみに寄り添うことは、簡単にできることではありません。だからこそ大事なのは、「忘れないこと」だと思い続けてきました。

我々は、東北の地で自動車産業を発展させることが被災した方々の希望になればと考えてきました。結果、TMEJの出荷額は8,000億円に増え、雇用や関係仕入先を着実に増やすことができました。

そして先日、「欧州カーオブザイヤー2021」に「ヤリス」が選ばれました。コンパクトカーの主戦場である欧州において、東北が高めてきた競争力が正しく評価いただけたものと自負しています。

また、東北で製造するクルマの8割は電動車です。自動車の電動化を牽引してきたのは、この東北だと考えています。

電動化にシフトする未来を東北の地でともに創っていく

次に豊田社長が訪れたのは、トヨタの子会社であり、世界シェアNo.1 のハイブリッド用バッテリーメーカー「プライムアースEVエナジー(以下、PEVE)」の宮城工場。

数年来、自動車の電動化がひとつのキーワードになる中、豊田社長がPEVEを東北の訪問先に選んだ意味は大きい。東日本大震災からの復興だけでなく、もう一歩先の大変革を戦い抜く上で重要な拠点だからだ。

東北でつくられる車の電動化率は8割。今回の訪問には、これまでの感謝に加えて、未来への期待が込められていると感じられる。

さらに同工場は、今年の2月、10年前の震災の余震とみられる震度5弱の地震により、配管が破損し、工場内が水浸しになったことも、訪問の理由のひとつである。

しかし、10年前の経験から、現場は災害への対策を強化していた。その現場のがんばりによって、幸いにも今回の地震では1週間程度で復旧できたということだ。

豊田社長は、工場をはじめ、オフィス棟、食堂などを隅々回り、従業員と積極的に対話していった。同時に被害を受けた配管などを見ながら、復旧時の停電や漏電の状況についても耳を傾ける。

現場では、「お客様には絶対迷惑をかけられない」の一心で、水で濡れてしまった電池とそうでないものをひとつずつ手作業で、1週間かけて選別していったという。

そんな同工場の従業員に向け、豊田社長は、激励と感謝の思いを込めて話をはじめた。

この10年間、皆さんの努力とがんばりによって、現状の人とラインで生産性を上げる力を蓄えることができました。

あらためて、皆さんの10年のがんばりに感謝申し上げます。その間、自動車市場も電動化に向けて大きくアクセルが踏まれました。

東北で生産されるクルマの電動化率は8割を超え、その中核を成すバッテリー工場が、当時は1つしかなかったところから、現在7つにまで増えたことで、自分たちの仕事が最前線にあることを感じていることと思います。

2050年のカーボンニュートラルの実現に向けて、電動化はアクセルを踏まれることはあっても、ブレーキを踏まれることは決してありません。

電池生産を内製化しているのは、世界でもトヨタと他に1社しかありません。自分たちでつくり上げる苦労はあるけれども、自分たちで改善し、よりいいものにしていくことができるのです。

100年に一度の大変革に立ち向かうためにも、プライムアースEVエナジーもトヨタも一体となって、今後もぜひお力を貸していただきたいと願っています。

10年前のことを忘れないために、私は毎年、東北を訪れてきました。10年目のスタートとして、あらためて宮城の地で、ともに未来づくりにご参画いただけたらと思います。

帰り際、感謝の気持ちを込めて構内の壁にサイン

毎年来ていたからこそわかること

当日の両工場での密着取材の最後、はじめて豊田社長へ質問することができた。

[森田記者]

豊田社長は毎年東北を訪れてきました。これまで毎年欠かさず訪れてきたからこそ分かったことや、気づいたことについて教えてください。

[豊田社長]

10年間ずっと見続けて分かったことは…

現場がやっていることは、派手じゃないんです。

平凡で地味だけど、ずっとやり続けることで、非凡なものになるということ。

それは(出荷額の伸長など)データでも表れているが、あくまで結果にすぎない。その結果を作り上げているヒトこそ、ここで働く人たちだと思ってるんですよ。

今日、何度も現場で話をさせていただく機会がありました。

私が毎回どの現場でもかならず最後に言う言葉は、「お力を貸してください」だったんです。

トヨタ自動車という会社1社だけでは何もできないんです。

ところが、この10年、大変な状況から、共にがんばってきた“この地の仲間たち”となら、1+1が必ずしも2ではなく、3や4になる可能性があると思っていて…、その期待を込めて、毎年東北を訪れています。

逆に、私が毎年、東北に来れるためにも、私自身も頑張ってないといけない…。

そうでないと「何しに来たの?忙しいんだから邪魔しないでよ!」って言われてしまう。そんな人になったら受け入れてはもらえないだろうと思っています。

そして東北の現場も、平凡を続けて非凡なものにしていってほしいと思っています。

こういうことが、大事だと思ってますので、そういうことを多くの人にわかってもらいたいと思ってます。

ですので、トヨタイムズには、そこのところをお願いしたいなと思っています。

東北の現場で働く従業員にかけてきた言葉、毎年欠かさず訪問を継続してきたことの意味。豊田社長の東北での言動が、未来に対する一つのメッセージとして繋がったように思えた。

10年の節目を前に、再び襲ってきた大きな地震からの復旧、その速さが、この10年で現場がより強くなったことを示していた。マイナスがゼロに戻ったのではなく、むしろプラスになっている。

東北の地が、継続したモノづくりを通じ、競争力が求められるコンパクトカーの一大生産拠点に成長したことは、東北の人たちとともに未来をつくる意味でも大きい。ここにトヨタが行ってきた“一過性でない復興支援”の意義を感じることができた。

毎年の訪問で、過去を振り返るだけでなく、同時に少しずつ前を向く。復興が進む東北の姿は、10年という単位で振り返れば大きな変化に見えるかもしれないが、毎年足を運んで見続けてきた豊田社長にとっては、着実に積み重ねてきた改善の成果であり、それほど大袈裟なものではないのかもしれないと想像する。

後編では、豊田社長が震災以降発信し続けてきたもう一つのメッセージ、「東北を日本の未来を引っ張る地にしたい」という想いを体現する場として訪れた、福島でのリポートをお届けしたい。

後編へ続く

(編集・庄司 真美)

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