2年連続で3冠を達成したTOYOTA GAZOO Racing World Rally Team。チームを率いるヤリ-マティ ラトバラ代表の素顔とは? 母国フィンランドで過ごすオフに編集部が密着した。
3つのチャンピオン(ドライバー、コ・ドライバー、マニュファクチャラー)をTOYOTA GAZOO Racingが獲得して2022年のWRC(世界ラリー選手権)は幕を閉じた。
そんなチャンピオンチームのプリンシパル(代表)が“ヤリ-マティ ラトバラ”である。2017年から3年間、同チームのドライバーを務め、2021年からはプリンシパルとしてチームを率いている。
その彼が、いかに“ラリーバカ”で、いかに“クルマバカ”であるかを、ぜひ知っていただきたい…。今回は、そう思って取材した記事である。
フィンランドのカーガイ“ヤリ-マティ ラトバラ”
“ヤリ-マティ ラトバラ”は、 昨年末の来日時に、モリゾウこと豊田章男社長とデモランをしたり、対談もしていた。その後、今年6月の富士24時間耐久レースでは、モリゾウのチームメイトとして水素エンジンカローラもドライブしている。
肩書き上は「自動車メーカー社長」と「ワークスチーム監督」という2人。しかし、モリゾウとラトバラが話している姿は、そんな間柄とは思えない。話し出せば笑いが絶えず、まるで“仲の良い友達”のようにも見える。
“仲の良さ”の根源は2人に共通する「クルマ好き」と「負け嫌い」。富士24時間レースでは、同じチームにいながらも互いのラップタイムを張り合っていた。自身のタイムがモリゾウに及ばず、本気で悔しがっていたラトバラの姿は記憶に新しい。
「どうやったらもっと速くなるのか? どうしたらタイムを削れるのか?」 ラトバラは、それを決してモリゾウに直接聞かない。
他のチームメイトの佐々木雅弘選手や石浦宏明選手にこっそり教えてもらっていた。少なくともあのときのラトバラは、モリゾウのことを“ボス”ではなく“ライバル”と見ていたはずである。
そんな無類のカーガイ“ヤリ-マティ ラトバラ”は、自国フィンランドにいるとき、どんな日常を過ごしているのか? トヨタイムズでは、彼のオフタイムに迫ってみた。
カフェにいた“ヤリ-マティ ラトバラ”
この日は8月2週目の木曜日。年間13戦を戦うTOYOTA GAZOO Racing World Rally Teamにとって大切な一戦となる“ラリーフィンランド”が終わった直後の平日である。
集合場所は湖畔のカフェ。ラトバラはTシャツ・短パンで現れた。インタビューなのでチームロゴのキャップを被ってくれたが、オフタイムの普段着のラトバラであった。
そんなラトバラに「今の自分はチーム代表なの? それとも一人の“カーガイ”なの?」と尋ねてみた。
今週末はチーム代表でなく“Old Rally Driver”に戻るつもりだよ。だから今、自分の中のスイッチを“ドライバーモード”に切り替えようとしてるところ。
それも、以前のWRCドライバーのときの“モード”とはちょっと違う。だから、違うアプローチの心の準備をしないといけないんだ。
WRCフィンランド戦の翌週、ラトバラはフィンランド国内で開催されるラリーに、プライベートでエントリーしていた。自身のオフタイムをドライバーとして過ごすという。
オンもオフもラリーな“ヤリ-マティ ラトバラ”
エントリーしていたのは“Lahti Historic Rally”という大会。Lahti(ラーティ)は地名で、首都ヘルシンキとチームの本拠地のあるユヴァスキュラという街の中間に位置する。そこで開催されるヒストリックカーのラリーである。
今回のラリーは仕事じゃなく“自由な週末”を楽しむ感じだね。
――プレッシャーもなく楽しむための週末だね?
そう!
――“ユホ”にお金払って楽しい週末を過ごすんだね?
そう! そう! そう! そのとおりだよ! これぞ、まさしく趣味!
“ユホ”というのはユホ・ハンニネンのこと。2017年にトヨタは“2台のヤリス”でWRCに復帰したが、そのときのドライバーがラトバラとユホ・ハンニネンだった。そのユホが今回はラトバラのコドライバーとしてエントリーされていた。
「ユホにお金を払って…」というのは冗談で、ラトバラはユホに毎回「お酒をおごるからコドライバーをやってくれ」と頼んでいるという。もちろん「お酒をおごる」も冗談である。2人の元WRCドライバーは、ずっと仲良しのラリー友達“ラリ友”だったということである。
ラトバラはどうしてプライベートな時間もラリーに出るのだろう?
以前、現役WRCドライバーだったときにヒストリックラリーに出たことがあって、そのとき、WRCで走っている自分と違って“本当に楽しんでいる自分”に気づいたんだ。
歌手に「休みの日はなにをしてるんですか?」と聞いて「カラオケです。歌手仲間とよくカラオケで盛り上がってます。」と返ってきたら「この人、ホントに歌うのが好きなんだな…」と思う。ラトバラたちも同じである。「オンもラリー、オフもラリー」が現役当時から変わらぬラトバラの時間の使い方であった。
2つの顔を持つ“ヤリ-マティ ラトバラ”
オフのラリーをラトバラはどんな気持ちで走っているのだろう?
もちろんヘルメットを被ったら真剣になるよ。でも、もう僕らは“世界を獲るため”のスキルを見せなくてもいいんだ。そういう世代になったからね。
――じゃあ、今はすごく自由な気持ちでいられるんだね?
そうだね。そういう意味では自由になったよね。でもね…、一方でチーム代表ではあるから、その責任は忘れずに走ってるよ。だから運転するときも、何をしてもいいという訳じゃなくて、いいイメージを持ちながら、余裕を持ったラインどりを心がけているんだ。
チームを率いる責任を意識しながらラリーを楽しむ姿は、トヨタの社長や自工会の会長という顔とともにドライバーの顔を持つモリゾウに重なる。
「アキオさんと同じ感覚かな?」と聞いてみた。
そうだね。彼もヘルメットを被ると経営者のアキオ社長からモリゾウに変わるよね。ちょっとそれに似ているかもね。最近、フィンランドでガソリンスタンドにいると僕もみんなに声をかけてもらえるようになったんだ。
みんな僕に気がつくと“マリック”って呼んでくる。“マリック”というのはフィンランド語で「チーム代表」っていう意味。昔は「ラリードライバー」って呼ばれていたけど、最近は代表として声をかけられることがすっかり増えてきたね。
ラトバラは富士24時間レースに出る前「モータースポーツを通じたカーボンニュートラルへの取組みに感銘を受けた」「カーボンニュートラルへ向けた活動を自分の肌で感じることで、私からも欧州を中心に世の中に伝えていけたら…」と“固く”語っていた。
しかし、いざハンドル握るとライバルであるモリゾウとのドライブを心から楽しんだ。そこに“固さ”はなかった。
ドライバー“ヤリ-マティ ラトバラ”
改めて、「富士24時間のときは“チーム代表”だったの? それとも“ドライバー”だったの?」と聞いてみた。
あのときの自分は「ドライバー ヤリ-マティ」になっちゃっていたね。モリゾウさんとタイムを競うことになって自分の中からどんどん“Old Face(現役当時の自分)”が出てきちゃった感じ。
アキオさんが本当に速いから、走るたびにもっといいタイムを出さないといけなくなったんだ。彼のタイムに届かなくって…、とにかく少しでも速く走らなきゃって、頑張らざるを得なくなった。だから、石浦さんや佐々木さんに「いつ減速するのがいい? いつスロットルを上げるのがいい?」とコーナーの攻め方を教えてもらっていた。
――やっぱり悔しい? また日本でレースに出たい?
そう! 悔しい! 24時間レースが終わったとき、アキオさんに「もう一回、自分を日本に呼んでください」ってお願いしたんだ。「いいよ! 来てよ!」って言ってもらえたよ。だから本当に来年また行きたいよ。
最近は地元でもチーム代表と声をかけられるラトバラだが、やはり”ドライバー ヤリ-マティ”の話になると明らかに嬉しそうである。
クルマ大好き “ヤリ-マティ ラトバラ”
そんな彼は、いったクルマを何台持っているのだろう?
今、整備中のも合わせると20台だね。その中でトヨタ車は…、ST165セリカが2台…、ST185セリカが2台…、ST205セリカが1台…、カローラWRCが1台…、GRヤリスが1台…、AE86カローラが1台…トヨタ車は全部で8台あるね。
今回のヒストリックラリーには所有車両のひとつ“ST165セリカ”でエントリーしている。この後、ST165セリカが停めてあるところに行くということで我々も同行させてもらった。
“ヤリマティ ラトバラ”のST165セリカ
普段使いのクルマであるレクサスに乗せてもらうとST165セリカの話に花が咲いていく。
今回、僕が乗るのはセリカST165 GT-FOUR。トヨタ初の4WD搭載車なんだ。1988年から販売開始されたクルマだったかな?
とにかく、そのクルマでトヨタはWRCに参戦し始めたんだ。僕のは1990年式で、当時、ドイツにあったトヨタのWRC参戦拠点でお客様のためにラリーカーに仕立てられたクルマだね。
実は、僕の父も同じクルマ(ST165セリカ)でラリーに出るんだけど、それは1990年の(イタリアの)サンレモでカルロス・サインツが優勝、1992年のスウェーデンラリーでマシュー・ジョンソンが優勝したクルマそのものなんだ。
――それらのクルマはどこでどうやって手に入れたの?
それはちょっとした偶然のようなもので…。当時、まだ僕はフォルクスワーゲンのチームにいて、今みたいにトヨタのドライバーになるなんて夢にも思ってなかった頃の話。
ある人がいて、その人が1990年代に買ったセリカ持っていた。あるイベントで、その人に会って、声をかけられて…。
ラトバラは当時の話を丁寧に教えてくれた。お父さんと一緒にその人の家に招待されたラトバラは、見せてもらったST165に親子で興奮し、譲ってもらったということだった。
「手に入れた時のST165は、どんな状態だったの?」と聞いてみた。
そのクルマは90年代半ばに横転していたものだったらしくて、シャシーは事故後の修理が施されたものだったんだ。ロールケージも破損していて、まるっと新しいものにしないといけなかった。
でも、ロールケージを交換したおかげで、今でも安全に乗れるクルマになったと思う。レストア部品はだいたい揃っていたんだけど持っていないものもあった。
空のシェルからクルマを組み立てはじめて、足りない部品は自分で探してきた。クルマを手に入れたのが2016年の夏。そこからだいたい1年がかりでレストアしたと思う。
ラトバラがトヨタのドライバーになったのは2017年1月。セリカを手に入れた2016年、彼はまだフォルクスワーゲンのドライバーだった。
オンタイムはフォルクスワーゲンをドライブし、オフタイムにセリカをレストアするラトバラ…。今振り返ってみると面白いエピソードである。
ボスを待たせた“ヤリマティ ラトバラ”
ラトバラのトヨタ移籍が発表されたのは2016年末。年が明けた初戦で彼はいきなり2位表彰台を獲得した。さらにその1カ月後、2月のスウェーデン戦では優勝を果たす。トヨタはラトバラのおかげで“輝かしいWRC復帰”を実現できた。
そんな輝かしい第1戦と第2戦の間、彼は、東京 台場にあったメガウェブでのイベント出演のために来日していた。古いラリーカーの展示エリアがあり、そこにはセリカST165も置かれていた。
イベントの休憩時間にラトバラは、上司である当時のチーム代表トミ・マキネンを待たせながら、ずっとST165セリカの写真を撮っていた。これらが、そのときの写真である。
この写真を見せて「当時のことを覚えてる?」と聞いてみた。
覚えてる! 覚えてる! さっきも言ったけど、自分が買ったST165 は、そのときバラバラにしちゃっていて、「部品が正しく組み付けられているか?」とか「なにか付け忘れてないか?」とかを確認するために写真を撮ってたんだ!
そんな話で盛り上がっていたら、2台のST165が並んでいる場所に到着した。
クルマの話が止まらない“ヤリ-マティ ラトバラ”
2台のST165セリカ。1台は自身が乗るクルマ、もう1台は父親が乗るクルマであるという。クルマの紹介をお願いすると2台の間に立って説明をはじめてくれた。
ギアボックスは6速ドグミッションを採用していること…。
シャシー自体は市販車のものを利用しないといけないルールだったこと…。
そして、ボンネットを開くと
冷却のためのエアボックスのこと…。
エンジンの角度が良くて車両のバランスがよいこと…。
ターンがしやすいハンドブレーキが採用されていること…。
矢継ぎ早に“こだわりポイント”の説明が続いていく。とにかく話が止まらない。そろそろ終わるかな…と違う話題を切り出そうとすると…、「屋根の上を見て!」と室内の温度を下げるためのダクトの説明がはじまる。
30年前のクルマを“いかに大切に”していて、そのクルマで翌日からのラリーに出ることに“いかにワクワク”しているかがあふれ出すように伝わってくる。
ひとしきりクルマの解説が終わると「ラリー前のテストドライブに行くけど横に乗る?」と誘ってくれた。
もちろん本気のラリードライブではない。しかし、ラトバラが大切にレストアした“30年モノ”のセリカの「エンジン音」「ギアチェンジの音」が聞こえてくる。
そして、それを噛み締めるように確認する「ヤリ-マティ ラトバラ」の表情は少し緩んでいる。
まだまだ速くなろうとする“ヤリ-マティ ラトバラ”
翌日、翌々日のラリーで、このセリカは合計154キロの12ステージを走破した。そして、ラトバラとハンニネンは見事に優勝してゴールに戻ってくる。クルマを降りたラトバラは、笑顔でこう話してくれた…。
ユホと本当に楽しい会話ができたよ。僕の運転がもっと上手くなるようにユホが導いてくれたと思う。終わりの方のステージで「運転が上手くなった気がする!」とユホに言ったよ。今ならWRCでもっと速く走れるかもしれないね。もう乗ってないけど…笑。
でも、いくつになっても学ぶことはできるよね。そうすればいくつになっても、もっと運転が上手くなっていくってことだよね!
――今週末は“ラリーガイ”だったってことでいい?
もちろん‼ 良い週末だった! とにかく心から運転を楽しめたよ!
ラリージャパンの翌週末、2023年のWRC参戦体制が発表された。残念ながらドライバーのラインナップに“ヤリ-マティ ラトバラ”の名前はなかったが、引き続き、彼がプリンシパルとしてチームを率いていく。
「ラリージャパンのあと日本で何をやっていたの?」と聞いてみたら、彼は「他のドライバーやコ・ドライバーたちと、ダートでクルマに乗ったり、カートで対決したりしていたよ」と言っていた。
チームオーナーも、チームプリンシパルも、ドライバーも、みんなが“クルマバカ”のラリーチームが、トヨタのワークスチームとして世界戦を戦っている。1月から始まる2023年シーズンも楽しみである。