アスリートたちが全力で戦った後に口にする感謝の言葉から、我々が学ぶべきものは何か。トヨタがトヨタであるための精神を表した一言。
2011年11月、社長の豊田章男は7月から続いていたタイの大洪水の対応で現地にいた。社長就任来、リーマン・ショックによる赤字転落、大規模リコール問題、東日本大震災と数々の危機対応に追われていた、その矢先の出来事だった。日本ではトヨタの女子ソフトボール部がリーグ優勝をかけて戦っていた。「離れていても、一緒に応援したい」。そう考えた豊田は、現場の仲間に速報を入れてもらうよう頼んだ。
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試合は、両者一歩も譲らぬまま、0対0で延長戦へ。その後、「2点を失った」と連絡が入った。「負けたかな」「帰ったらどんな言葉をかけようか」と考え始めた。しかし、結果はその裏に3点をあげ、劇的な逆転サヨナラ勝ち。豊田は当時の心境をこう語る。
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「胸が熱くなりました。試合に勝ったからではありません。ベンチの選手たちも、応援団も、全員がチームの勝利を信じて、決して諦めることなく、声援を送り続けたことがたまらなくうれしかったのです。当時、会社は厳しい状況でした。会社が戦っているときだったからこそ、決して諦めない姿に勇気づけられました」
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社長就任以降、数々の試練にぶつかり、自分の無力さを感じてきた豊田。「TOYOTA」の文字を胸に、会社を背負って心ひとつに戦う選手たちの姿に、自身を重ね合わせた。
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2015年11月、ワールドワイド・パラリンピック・パートナーに就任した会見でもこのエピソードに触れた豊田は、こう続けた。
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「私がソフトボールの選手に、自分自身を重ねたように、パラリンピアンの戦う姿に、夢を、可能性を重ねる人たちがいます。パラリンピアンは『自分の限界を超え、可能性を広げるために』戦い、さらに自分を支えてくれている『誰かのために』戦っています」
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「自分以外の誰かのために」。アスリートを称えるとき、豊田はこの言葉を口にする。そして、トヨタの従業員の皆も、そうであってほしいと願っている。「自分のために」を超えた先に、豊田が目指すトヨタはある。